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2010年11月11日 (木)

“ゆるい”だけじゃなく

 昨日の続き。どうして「一瞬の風になれ」の評価をあまり高くできなかったのだろう。こういうのは好きな方でツボにはまりそうなのに、とその後考えていた。
 昨今の、というほど読んでいないのでこういう言い方は気が引けるが、スポーツ小説は一昔前のスポ根ものと違っていて、仲良しグループがわいわいやっている印象が強い。ハードな練習を目標に向かって頑張ってはいるのだけれど、チーム内の人間関係とか会話とかが、今どきの若者を反映してか“ゆるい”のだ。新二と連や根岸、桃内、はてはみっちゃんなんかとの会話。あまりにもその辺の若者間に転がってそうで親しみがもて、ゆるゆると漬かっていると心地よい。それをそのものとして楽しむのももちろんありだと思う。そういう小説ならば。新二が心を寄せている谷口若菜、その彼女があこがれている他校の仙波、なんていう関係もゆるくてどう発展するでもなく語られずに終わってしまう。新二の兄の健一のケガもしかり。それぞれのエピソードは単なる雰囲気作りのサイドストーリーでしかないので、結末がどうなろうとどうでもいいのだろう。
 繰り返すが、それが悪いというのではない。それならそれで“ゆるい”ままで最後まで終わって、なんだよつまんないこれなら携帯小説のレベルじゃん、と悪態のひとつもつけばそれで納得できる。そもそもそういうものなのだから。問題は、最後に地区大会決勝という大舞台のクライマックスをもってこようとしたところにある。“ゆるさ”に徹した小説ならそれでよかったのに、ドラマチックな幕切れを意図したものだから、あ、これは起伏に富んだ感動小説だったのか、ということになって、それにしては盛り上がりが今ひとつなラストに比して、だらだらと長すぎるそこまでの道のりに大きな違和感を抱く結果となるのだ。
 “ゆるい”小説ということでは、スポーツものではないけれど、宮部みゆきが「小暮写眞館」について語っていることばが興味深い。いわれてみれば、「小暮写眞館」も大部な内容のほとんどは、高校生花ちゃんをめぐる“ゆるい”人間関係や会話で成り立っている。一応、連作的な構成になっているので心霊写真や幽霊なんかにまつわる小話ごとの区切りは用意されているけれど、ひとつながりの物語としてみれば、単なる日常風景の連続でしかない。というか、そもそも著者はそう意識して書いたのだそうだ。なるほどね、納得。が、この作品の魅力は“ゆるい”だけで終わらないところだ。特異なキャラながら脇役でしかなかった垣本順子が、後半その存在感を増してあの切ない幕切れへともっていく手腕。テーマがスポーツと純愛という違いはあるけれど、「一瞬の風になれ」と比べて、まさに格の違いを見せつけている。やっぱり“ゆるい”だけでなくきっちり最後を盛り上げて、できれば泣かせてくれないと星5個はつかないんだよな。

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