「ふたつめの月」
★★★☆☆。
柳の下にドジョウは二匹いないとか。とかく2冊目は難しい。「賢者はベンチで思索する」に続く久里子と赤坂(国枝)老人もの第二弾。今回も、久里子の身の回りで起こるちょっと不可解なことについて赤坂老が答えを導く、という体裁ではあるのだけれど、ちょっと違う。久里子の独立性が増していてその分赤坂老の存在が薄まっている。結局彼は感想を述べるくらいで大したことはせず、事態は久里子自身が解決してしまっている。
ゆるくつながった3作の大きなテーマは久里子と弓田君との関係であり、そこにからまる明日香の存在であり、なので謎解きというほどでもなく解決するというほどでもなく、若者の揺れ動く心の物語とでもいうか。まあ、おぢさんがしたり顔で論評するような内容ではない。正月明けの成田空港での見送りシーンに「コクリコ坂から」の電停シーンがダブる。どうしてこういうときに主導権をにぎるのは女のコなんだろうか(笑)。
最後の表題作にいたって、赤坂老人の影の一面がまたあらわれて意外な展開になるけれど、これとて1冊目を読んでいれば想像可能な範囲だ。街灯を壊す行為にどういう必然性があるのか、かなり苦しい理由づけながら表題がすべてを表している。「サクリファイス」という表題も衝撃的だったが、「ふたつめの月」という意味がわかってみると、この本の最大の魅力はこの表題なのではという気がしてくる。