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思いつきで始めた路傍の三角点探訪も1ヶ月が過ぎて今回が10点目になった。これまでは三等や四等ばかりだったが、今回は初の一等三角点となる。一等だからえらいというわけでもないのに一等三角点は人気があり、一等三角点の山の制覇を目標とする人も多く、そのためのガイドブックも出版されている。そのついでというわけで低地の一等三角点もweb上の訪問記録がいくつか上がっている。ここ「生振2」もそんな低地の一等三角点のひとつ。訪問は2020年6月9日。
第6回で苦労して見つけた「山口向」、そのときに渡った国道337号線生振大橋までは同じ道をたどる。あのときは橋を渡った先を右折したが、今回は国道を直進する(A地点)。道なりにどんどん進むと左にカーブした先に信号がある(B地点)。その先すぐに左手にカマボコ屋根の倉庫があって、そこの農家のところを左にはいる私道がある(C地点)。目的の三角点はその私道の先でここの家の私有地にある。三角点探訪者が時折あるようで、家の方が草を払ったり整備してくれているそうだ。webに上がっている訪問記にも家の方が心得ていて、こころよく案内してくださったりしているようすが書かれている。ぼくが行ったときは、腰の曲がったおばあさんがたまたま居合わせて、三角点を見に行きたいので通らせてもらっていいですかと声をかけると、不審がることもなくどうぞどうぞと言ってくれた。
ありがたく通らせてもらってアスパラ畑の間を進むと前方に林が見えてきて、その間を抜けた先が二股になっている(D地点)。ここを右にとるとすぐに右手の木から目印の赤いテープが下がっている。ここが入口かなと思ったが、草が深くてちょっとはいれるような感じではないので先へ進むと、その先にまた赤テープの目印がある。そこは右手の丘に踏み分け道らしきものが見えたので、そこから直登することにする。ちょっと急な勾配を木につかまって上るとすぐに頂上に出て、右側に刈り払われたスペースがあって三角点がすぐに見つかった。さすがに一等三角点で、標石の周りに型通り4個の保護石と標識杭が立っている。
ここは明治時代の創基で、移転の記録もなく、古びて丸みを帯びた標石はさすがに風格をただよわせている。もちろん一等の文字は右書きだ。小高い丘の頂上からはあまり見通しは効かないが、南方の茨戸川方向は林越しに陽光が差している。
帰りは斜面を下りて元の農道に出た後、来た道をもどらずに先へ進んで別ルートから帰ることにした。少し南下すると四差路に出るのでそこを左折する(E地点)。道なりに進むと別の農家の敷地内に裏から入っていく。こちらは周りに人がいないので心の中でことわって家の間を通らせてもらうと舗装道路に出る(F地点)。左手に進むと来るときに通った信号の交差点(B地点)で、337号線に出る。
ところで、生振という名の三角点がもう一ヶ所、石狩川の右岸にもある。そちらは三等で歴史的にもこちらの方が古いのははっきりしているが、点の記の表記はこちらが「生振2」となっているのは何でだろう。なんか釈然としないな。
〇一等三角点「生振2」
北緯 43°10′47″.5800
東経 141°22′11″.6604
標高(m) 14.23
JR北海道は宗谷本線の利用者数の少ない29駅を廃止したい意向を沿線自治体に示していたが、そのうち13駅について来年春に廃止受け入れ方針がまとまっている。
比布町:南比布、北比布
剣淵町:東六線、北剣淵
士別市:下士別
名寄市:北星
美深町:南美深、紋穂内、恩根内、豊清水
幌延町:安牛、上幌延
稚内市:抜海
残りの16駅については、地元自治体が年間100-200万円といわれる維持費用を負担のうえ当面存続ということだ。
という話は4月の初めに決まっていたものだが、自治体が廃止容認しても地元や関係者が納得していないところがあって、それが稚内市の抜海駅。6月23日に行われた市議会で稚内市の工藤市長は、駅は集落から2キロ離れていて不便であり、利用客が通学高校生1名と不定期の通院者1名しかいない、として別の交通機関への転換が望ましいとしているが、傍聴した住民8人は誰も廃駅を望んでいないと不満をあらわしたそうだ。
地図をみると駅は確かに遠い。ほとんど利用者のいない駅を存続する意義があるとは思えない。通学高校生というと、石北線の旧白滝駅を思い出す。あそこも1人だけ通学女子高生がいて、テレビでも取り上げられたことがある。その高校生の卒業とともに廃駅になったと記憶する。抜海駅は秘境駅として人気があり、古い木造駅舎がテレビのロケに使われたり、駅ノートが置かれたりしている。テレビロケ地や駅ノートという時点ですでに秘境ではないと思うが、知る人ぞ知る観光地とでもいうべきなのかもしれない。
しかし、この駅に停車する列車は1日3.5往復しかない。これでは利用したくてもしようがないし、集落の高齢化、過疎化を考えると利用者増はとうてい望めないだろう。国鉄末期の赤字ローカル線廃止問題が起こっていた頃、ぼくはせっせと各地のローカル線を苦心して乗り歩いていたが、そのころのローカル線の最低列車本数は判で押したようにどこも4往復だった。それが最低ラインだったのだろう。宗谷本線の音威子府以北はそれを切ってしまっている。
赤字路線廃止問題もそうだけど、鉄道に対する地域の思い入れやなくなることへの不安はよくわかる。でも、利用しないのになくなるのは困る、それでいて維持費負担はできない、では国鉄時代ならともかく、一民営企業であるJR相手には通じないだろう。抜海駅に年間どれくらい観光客が訪れるのかわからないが、観光地として残すのであればたとえば入駅料を徴収して維持費をまかなってはどうだろうか。1人1000円で年間1000人として100万円。それが無理なら廃駅もやむを得ないのでは。
リニア中央新幹線静岡工区の工事問題で静岡県の川勝知事とJR東海の金子社長が初めて会談したものの、議論は平行線のまま終わったそうな(記事)。大井川源流域の水問題は国のあっせんで有識者会議での検討が続けられており、その結論が出るまでは動かないだろう。今月中に準備工事に着手できないと品川名古屋間の2027年開業は難しそうということで、雲行きが怪しくなってきた。
ただでさえ新型コロナ禍で新幹線の利用者が減少し、テレワークやweb会議の実用化によってビジネス需要も減少しそうな見通しであり、今さらリニアいるの?という議論にもなりかねないような。在来の東海道新幹線も徐々にスピードアップが進んで、気がつけば東京~新大阪は最速で2時間21分まで短縮されている。大深度のターミナル駅のアクセスなどを考えれば巨額の投資効果があるのかどうかも疑問だ。まあ民間企業であるJR東海の全額負担事業なのだから門外者がつべこべいう筋合いのものではないけれど。
しかしJR東海ってどんだけ儲かってるんだろう、と某JR他社関係者は思っていることだろう。こちらも新幹線トンネル工事残土処理問題が暗礁に乗り上げているようだけど...。
JR北海道の企画「ヘルシーウォーキング」が8月から再開というお知らせ(pdf)。ヘルシーウォーキングというのは、4月末~8月末の毎週末にある駅をスタート・ゴールとするモデルコースを設定してウォーキングを楽しむもの。予約不要でスタートとゴールの時間帯だけが設定されていて、地図もらって各自好きなように歩くという、団体行動にはならない企画なので、3密にはならないと思うのだが、今年の部は7月末まですべて中止になっている。
たった1ヶ月、3回のみの催行で、8/2美唄駅、8/23滝川駅、8/29苗穂駅と道央圏の近場に偏っているのが残念で、あまり運賃収入にも貢献しないかもしれないけれど、とりあえず再開できたのはよかった。
ぼくはお仕着せコースを歩くのは好きでないので参加したことはないが、あいの里教育大駅や石狩太美駅発のコースが設定されたときに、けっこう大勢の人が三々五々歩いているのを見ているので、楽しみにしている人も多いだろう。
ひとつ不思議なのが、JR北海道の周知の仕方。ちゃんとwebページがあるのにJR北海道のトップページからリンクされていないし、サイトマップにも出てこない。なんでこんなに冷遇しているのだろう。例年はともかく、今年に限っては万一のリスクを慮ってあまり知られたくないのだろうかと勘繰ってしまう。なんでも増収につながることはどんどんやるべきときだと思うけど。
探訪記がたまってきたので少しスピードアップ。
今回は、2020年5月31日に前回の「八幡西」に続いて訪れた「南川下」。川下というのはどこにでもありそうな地名だが、当別町でいうと当別市街から当別川を下って石狩川との合流点に至る手前あたりのことをいう。川下神社があり、川下小学校がかつてあった。
八幡西の三角点から当別川の左岸堤防を上流方向に十九線橋までもどり、橋を渡らずにその先へさらに川沿いに進むと次の橋である南五号線橋に至る。その右手たもとが川下神社で三角点はその先にある。JR石狩太美駅からだと、道の駅とうべつを通り過ぎて当別川堤防へ突き当たったところを左折して十九線橋に至り(A地点)、橋を渡らずに直進するとやはり南五号線橋に到達するので(B地点)、右折して橋を渡ると同じ地点に着く。ただしそれだと少し遠回りになるので、道の駅からの道を堤防の一本手前のサイロのある交差点で左折して、あとはまっすぐ行くと南五号線橋に直接つながっている。
いずれにせよ南五号線橋の東詰(C地点)にくれば、すぐ右手下に川下神社が見え、下りて行く階段がある。簡素だがよく手入れされている神社に無事三角点探訪できますようにとお参りしてから東方向へ道を進むと、前方右手がすぐ旧川下小学校でその手前に右にはいる農道がある(D地点)。右折して少し行くと左手に旧校舎があり奥の建物の妻面の下あたりに三角点の標石と標識杭が目視できる。ここの標石は肩まで露出しているのでよほど草が茂っていなければすぐにそれとわかる。いつもは草をかき分けてたどり着くことが多いので、こういうところは珍しい。あっけないくらい。
川下小学校は1905年開校という歴史をもつが(2004年閉校)、三角点の設置も1913年と古い。古い地図をみると旧来の位置からは移転していることがわかる。その旧川下小学校は、古い木造校舎がそのまま雑草に埋もれて残っている。校舎は当別エコロジカルコミュニティーに再利用されているそうだが、手入れされたようすもなく、現役時の面影を強く残していて風情がある。
〇三等三角点「南川下」
北緯 43°10′31″.6858
東経 141°29′25″.5687
標高(m) 5.42
JR北海道・東日本のインターネット申込限定割引切符「お先にトクだ値」。ネーミングはちょっとどうかと思うがこれは安い。特に、JR北海道の釧路方面の特急「おおぞら」については、夏期の設定はなかったのを新型コロナ禍での利用者減少対策のため、前倒しして7月18日~11月30日の異例の長期設定が発表された(→webページ)。
価格は、札幌~釧路が4990円(通常料金9990円)と半額以下だ。高速バス利用だと札幌~釧路は5880円だからそれより安い。バスは4枚綴り回数券というのがあって、それだと1回あたり4810円だから負けてしまうが、所要時間はバスが5時間ちょっとかかるのに対し、特急「おおぞら」は4時間台前半だから、これはもう勝負あったろう。
釧路往復しても1万円でお釣りがくる。特別定額給付金で支払っても9万円以上残る。いいなあ。釧路の三角点探索にでも行ってくるかな(笑)。
レターパックが届いて何かと思ったら、千歳JAL国際マラソンの中止による参加賞と返金だった。すっかり忘れていた。
中身は、いつものラン坊一家のタオル、洗濯機用抗菌消臭ビーズ試供品、QUOカード(2000円)2枚とお手紙。千歳は完走しないとTシャツがもらえないので、残念ながら今年の分のTシャツはなしだ。手紙には第40回エントリーの皆様へとなっていて、末尾に来年の第41回のエントリーをお待ちしておりますとなっていた。そうか中止しても回数はカウントされるから、記念すべき40回大会はなくなって、来年は41回なのか。
参加登録費が6500円だったので、事務手数料2500円を差し引いた4000円分がQUOカードで返金された。早いうちに中止が決まったので、会場・コース設営や救護、エードなど当日のレースにかかる費用がかからなかったのだろうが、いろいろと繁雑な手間もかかっているだろうに4000円も戻してもらって申し訳ない気がするな。
来年は無事に開催されて今年の分もがんばって走れますように。
札幌も石狩も図書館が正常に動き出して、また元通りに本を借りたり返したりの日々がもどってきた。北大だけはまだで、どうも7月半ばまでは閉館が続きそうな感じだ。新規に借りられないのはともかく、もう3ヶ月も借りっぱなしの本が返せなくて困る。なくしてしまうことはないにしても、ずっと借りがあるようで気分的に落ち着かない。ブックポストに入れてくることはできるけど、あれは本が傷むのできらいなのだ。
それはともかく、石狩市民図書館へ本を返しに行って借りてきた。せっかく足を延ばすのだからと、ついでに近くの三角点に寄って来ようと軽い気持ちで行ったのだが...。多少草は茂っているとはいえ、道端すぐのわかりやすいところだから簡単に見つかるだろうと思いきや、全然見つからない。頼みのGPSも狭い範囲でピンポイントという精度はないので、ここらあたりだろうしかわからず、そこはさっきから探しているんだけど。
というわけで11点目にして初の撤退となった。う~ん、甘く見たな。季節を変えて再チャレンジしよう。
踏査日は2020年5月31日。今回は好天につられて自転車で札幌大橋を渡って当別町へ。橋のたもとの石狩川文学碑からJR学園都市線をくぐって支流の当別川沿いに気持ちのよい堤防道路が通じており、車もほとんど来ないので恰好のランニングあるいはサイクリングコースとして愛用している。
そこを通っていってもいいし、あるいはJR利用なら第5話「当別太」で紹介したように、石狩太美駅から337号線の道の駅とうべつまで南下した道をさらに直進するとこの堤防道路に突き当たる(A地点)。目的の三角点はこの対岸にあるが、橋がないのでちょっと迂回しなければならない。A地点を左折して当別川を右手に見ながら上流方向へ少し行くと赤い十九線橋のたもとに出る(B地点)。右折して橋を渡り切ったところで対岸の堤防道路へ右折する(C地点)。川に沿って今度は下流方向へ進むと道はゆるく左にカーブして前方に江別市環境クリーンセンターの建物が見えてくる。
そのあたりで左手の堤防下の草むらをよくみると、白い河川境界標識が立っているのが見える。三角点はその直下だが、少し先へ進むと左手に分岐があり、鋭角にもどるように堤防から標識へ下りて行くわだちあとがあるのでそこをたどるとラク(D地点)。三角点は標識の堤防側から見て裏側すぐの根元にある。ここまで石狩太美駅からだと5キロちょっとの道のり。
ここは札幌市側からは石狩川を渡った対岸なので当別町のように思えるが、近くに江別市の施設があることからわかるように、行政区画では江別市になる。堤防道路のD地点直前に市町界があり、江別市域の北東端に位置するこのあたりは八幡(やはた)地区なので、八幡西という点名になっている。
四等三角点は三等以上とは違って、地図測量目的ではなく地籍調査用に新しく設けられたものなので、点の記によればここも昭和47(1972)年設置と割合新しいが、昭和63(1988)年移転となっていて、古い地図(1975)では少し東側にずれているのがわかる。
〇四等三角点「八幡西」
北緯 43°09′42″.1238
東経 141°27′01″.7994
標高(m) 3.52
といってもローカルかつコア過ぎて何のことかわからない人が大半だろう。JR北海道がキハ40系の改造車山明号・紫水号のデビューを記念して、キハ40形1両を復刻塗装することとし、そのデザインを6種から公募していたもので、「キハ400宗谷線急行気動車風」というのに決定した。
ぼくはこういうまがい物が嫌いなので興味ないんだけど、まさに昔も今もあり得ないキハ56系急行色とかキハ82系特急色とかにならなくてとりあえずはよかった。宗谷線急行色なら少なくとも同系というか元車は同じキハ400改造車として走っていた塗色だからまあ許せる。調べてみると、実際に宗谷線急行サロベツや利尻として走っていたのは1988-2000年というからもう20年以上昔の話になるのか。となると今の若い鉄道ファンはほとんど知らないだろうし、ちょうど中年にさしかかった世代が懐かしんで投票したのだろうな。ぼくのような老年世代は全然思い入れはないというか、ぼくが初めて宗谷線急行に乗ったのは中学1年の夏の急行利尻で、もちろん客車列車で宗谷線内の牽引機はなんとC55だった。どんだけ昔だ(笑)。
話のついでだけど、山紫水明という四字熟語から採名した山明号・紫水号、なんでそのまま山紫号・水明号じゃないんだろう。奇をてらってひっくり返したのか、商標登録かなんかで使えなかったのか。
昨日の無理がたたり足底筋膜炎が再発して走れないので、今日はウォーキング。懸案だった茨戸川沿い山口大師堂跡の馬頭観音へ行ってきた。
入口はあいの里にある北海道教育大学札幌校裏の国道337号線沿いの分岐(A地点)。はいって左手の茨戸川緑地パークゴルフコースに沿って歩くと、右側の川沿いがちょっとした広場(B地点)になっていて、庚申塚と三基の馬頭観音碑が並んでいる。ちょうどこのあたりに山口大師堂が建っていたはずだが惜しくも現存しない。旧篠路村はペルシュロン種の一級馬産地だったそうで、その縁あってか馬魂碑や馬頭観音碑が点在している。ここはそのひとつ。三つ並んだ碑のうち右側のは明治二十七年と記されている。馬頭観音は午年の守り神、ていねいにお参りする。
この後は、広大な茨戸川緑地内をぶらぶら歩く。ゴルフコースの隣はアスレチック広場があり、管理事務所(C地点)から奥が広い自然散策区域になっている。平日の夕方なのでポツポツとゴルフをしている人のほかはまったく人がいない。緑地の奥は小さな茨戸橋(D地点)を経て石狩川堤防につながっている。左へ行けば231号線の河口橋へ通じ、右へ行けば337号線の札幌大橋のたもとに出る。
堤防上は一般車通行禁止なので、自転車やランニングに恰好のコースで以前はぼくもよく走ったが、最近はご無沙汰していた。堤防上からは手稲山から恵庭岳へのスカイラインがきれいに望める。残雪もほとんどなくなった。
多肉植物の植替えその2。
もともとは、ホームセンターなどで800円くらいで売っている、イチゴパックみたいのにいろいろなカット芽を15,6個詰め合わせたやつを、鉢に並べて育てているもの。変化が緩慢だとはいっても、徒長したり枝分かれしたりするので、時々は適当にカットしてまた並べ直したり、葉挿しで増やしたりして、植えなおしている。
切っては挿しを繰り返しているので、株数は買った時よりずいぶん増えたが、それぞれの株は大きくはならないので、2.5~3号鉢3個に収まってしまう。最初は用心してすき間を開けて並べていたが、ほとんど大きくならないと学習したので最近は詰めて並べているからなおさらだ。はずれた葉は葉挿し用だが、発芽は容易でもこれまた元の株ほどに成長するには何年もかかる。
まったく気の長い人向けの植物だなと思う。年寄りには向かないのでは(笑)。
今日は最高気温がジャスト30.0 ℃。今年初めての真夏日となった。こう暑いとマスクして外を歩くのはさすがにうっとうしい。照りつける陽光の明るい戸外、もういいんじゃねという気になる。北海道ですらこうなのだから、沖縄では早くも梅雨が明けたというし、これから真夏に向かって暑い地方ではなおさらだろう。
緊急事態宣言が解除になってほぼ2週間。テレビは相変わらずコロナ騒ぎをやっているけれど、警戒は続けながらもほぼ店舗は普通に営業をしているし、学校も始まり、通勤電車も人が増えつつあるということで、日常生活が確実に復旧しつつある。
久々にジョンズホプキンス大のまとめサイトをみたら、世界の感染者数は760万人を越えていて、国別の順位はアメリカ、ブラジル、ロシア、インド、イギリスの順となっていた。中国はもちろんイタリアやスペイン、フランスなどはそれ以下で、以前と大きく様変わりしている。国内の感染者数もひところに比べれば落ち着いて、東京で1日20人ていど、北海道も10人以下くらいの日が続いている。道内の感染者数のグラフをみるとロングテール状になっていて、簡単にゼロにはならないのだとすれば、もうこれが定常状態な気がする。これからまた大きな波がやってくる可能性は低く、新型ウイルスとの共存という新たなフェーズにはいったといっていいんじゃないだろうか(希望的観測)。
なんと今シーズン走れるマラソン大会があった。
新型コロナ感染拡大で今年のマラソン大会は軒並み中止に追い込まれているが、そのなかで9月27日(日)にモエレ沼の5キロ周回コースを使って行われる表記大会が開催予定で、6月から募集が再開されている。
詳細はwebページを見ていただくとして、個人とチームの部があって最長距離は惜しくもフルマラソンには届かないものの40キロで制限時間5時間半だからなかなかのものだ。感染抑制のために、開会式や表彰式はなし、結果発表はweb。スタートは一斉ではなく、各自好きな時間に2メートルごとの順次方式。エードステーションはなく、代わりにマイボトルを置くスペースが確保される。5キロの周回コースだから5キロごとに自分で給水できるわけだからこれで十分。よく考えられている。
各部定員が150-200名と少ないのでお申し込みはお早めに。
前回の薮漕ぎで懲りたので、今回は楽な街中の三角点。点名は茨戸(ばらと)だが場所はJR篠路駅のすぐ西側で、なんで「篠路」と名付けなかったのか不思議。古くからここは篠路村の中心部でもあるし、茨戸はもっとずっと北の方なのに。東篠路や南篠路はあるのに篠路という三角点はない。
踏査日は2020年5月28日。所用で街中へ出た帰途に、篠路駅で途中下車。簡易改札口のある西口へ出る。駅前は再開発が進行中で、左手にマンションを見ながら駅前通りを正面西方へ直進すると、T字路に突き当たる(A地点)。地図では迂回しなければならないように見えるが、実際はこの駅前通り(篠路駅西通)が整備中で、すでに家屋は移転して砂利敷の更地になっている。歩行者はそのまま直進できて、その先が東8丁目篠路通の交差点につながっている(B地点)。信号を渡ってさらに西進し、3本目の角(C地点)を右折するとすぐ先左手に篠路駅前西公園が見えてくる。道路沿いは並木になっていて、並木の根元の芝生を見ながら歩いてゆくと、手前側のグラウンドと奥側の公園の境目あたりの木の根元に三角点の表示杭が見える。ここまで駅から歩いて10分かからない。
標石は地面より低く埋まっており、芝刈りした切りくずで覆われていたので、葉を取り除くとかろうじて上面だけが見えた。国土地理院の現況写真では標石上面が地面くらいの位置にあり、表示杭ももっと長いので、周囲の芝生が盛られたようにもみえる。拓北公園の「伊夜日子」は地中に埋設されて蓋がしてあったし、標石が出っ張っていると公園管理上邪魔なのかもしれない。
ところで、点の記によればここは昭和42年選点、設置となっていて移設等の記載はないのだが、より古い地図(1950)には載っていてしかも位置が南東に80 mくらいずれている。旧「茨戸」が廃点になって新設されたのかな。
〇三等三角点「茨戸」
北緯 43°08′51″.5506
東経 141°21′21″.8705
標高(m) 2.45
今日は久々に気温が上がって27 ℃を越えた。天気も良く絶好のウォーキング日和。以前は屋外のエクササイズといえば走るだけだったが、毎日が日曜日の暮らしになってみるとそうそう走ってばかりでは飽きるし、なにより足がもたない。というわけで、最近は週に2日くらいは歩いたり自転車漕いだりするようになった。おもしろいもので、走ってるとき、歩いてるとき、自転車のとき、同じ道でも見えるものが全然違う。変化があっておもしろい。たぶんいろいろ交えた方がトレーニング効率も上がるに違いない。
ここ5日ばかりランの日が続いたので今日は歩く日と決めた。お遍路シューズを引っ張り出して、茨戸川を渡って生振界隈をうろうろしてきた。茨戸川のあいの里側の岸辺には札幌市内では珍しい水田がある。ついこの間田植えをしていたと思ったが、もう苗が大分伸びていた。北海道は全国有数の米の産地でもあるが、不思議と札幌市内には水田はほとんどない。ぼくの知る限りではこのあたりと南区の豊平川沿いの一部くらいしかないのでは。ここで作られているのゆめぴりかは栽培している柳沢さんのところで収穫後に直売もしている。地元産米、今年は買って食べてみようかな。
ここまで順調に進行している三角点探訪記だが、前回のエントリ(山口向)を書いてさすがにぼくも考えた。こんなことをやっていてはだめだ。いや三角点探訪がではなくて、夏の薮歩きがだ。危険すぎる。踏み分け道からたかだか10メートルくらいの距離の薮の中を歩いただけなのだが、背丈ほどのイタドリの薮の中で周囲の見通しがまったく利かないというのは恐怖でしかない。反対側の斜面はすぐに川だし、方向を失ったら落ちるぞとまじ思った。GPS(スマホ)もってきてよかった。
毎年今ごろの季節になると、きまって山菜採りに山に入ったお年寄りが帰ってこないというニュースが流れる。山菜採りというのはおもしろいものらしく、知人にも好きな人がいて戦果のおすそわけに与かることもある。まさに趣味と実益を兼ねているのだ。ただ、おもしろいだけに夢中になって方向を失うこともままあるのだろう。たった10メートル薮の中を歩いただけで肝を冷やしたぼくにはそれがよくわかる。そりゃ遭難もするだろうさ。いくらお年寄りといっても携帯電話だけは絶対にもっていってほしい。
趣味と実益を兼ねるという言葉があるということは、裏を返せばたいていの趣味は実益とは結びつかないものだということだろう。世の中には、何がおもしろくてそんなことをという趣味が山ほどあるし、それに大枚をつぎ込むどころか人生をつぎ込んでしまっている人すらいる。それに比べりゃ路傍の三角点探訪など可愛らしいものだが、ピークハントならともかく平地でたかが十字を刻んだ石を探し歩くことのどこがおもしろいのだろうと大方の人は思うだろうし、ましてや実益はゼロだ。まかり間違って遭難でもしたら、いいトシした爺が何やってるのかと呆れられるのは必定だ。話が元にもどって、だから夏の薮歩きは少し自重することにしよう。点の記をみると国土地理院の専門の人だって現地調査しているのはほとんどが10,11月だ。夏は歩きにくいからだろう。
まあそれはそれとして次はどこへ行くかな。
3年前に100均で買ってからほぼ植えっぱなしだったメイゲツをカットして植えなおした。1週間前に、主枝を2本側枝を2本切り分けて4本の挿し穂をとり、保存してあったものを3.5号鉢に並べただけ。用土は多肉用と花野菜用を1:1混合したもの。最初の頃は多肉用の用土をそのまま使っていたが、どうも水はけがよすぎる気がして、その後は黒土と適当に混ぜている。
写真は光線の加減で赤みが強いが、実際はもうちょっと黄緑っぽい。それよりも、ダイソーでついていた札には「エケベリア属」と書かれていて、いくら素人のぼくが見てもエケベリアには見えなかったので、いろいろ調べた結果、セダム属のメイゲツだろうということに落ち着いた。多肉植物は一部の気難しいのを除けばほっといても枯れないので管理は楽だが、変化が緩慢で手入れの効果が見えにくく、手塩にかけてという気分になれないのが欠点だ。まあずぼらな人間には向いているか。
テレビのニュース速報にびっくり。北朝鮮拉致被害者横田めぐみさんのお父さん、横田滋さんが亡くなられた。享年87歳。近年は体調を崩されていて、公の場にもほとんど姿を見せられなかったので案じていたが、とうとうこうなってしまった。2月に有本恵子さんのお母さん嘉代子さんが亡くなられたばかりだった。謹んでご冥福をお祈りします。
直接講演を聴いたりしたことはなかったけれど、札幌のかでる2・7で開催された横田めぐみさん写真展を見に行ったことがある。日記を検索したら2006年4月29日だから14年前だ。大勢のお客さんの行列で入場まで40分並んでやっと入れたのを思い出した。
めぐみさんが拉致されてから40年以上が過ぎ、今さら過ぎ去った年月を返してくれといっても詮無きことだし、今の北朝鮮の体制にわれわれが何を言ってもしようがない。だけど、日本政府はその間いったい何をしていたのか。するするといいながら安倍晋三は金正恩に直接話をしたのか。いったいどの面下げて滋さんの死にコメントするのだろうか。
茨戸川に囲まれた石狩市生振(おやふる)地区の南東端、北海道教育大学裏から国道337号線生振大橋を渡ってすぐ右側にある。山口という地名は茨戸川の対岸(札幌市側)の今は広大な茨戸緑地公園になっているあたりの地名で、明治初期に山口県人が入植したことによる。その対岸にあるので山口向とつけたのだろう。
踏査日は2020年5月20日。あいの里地区の北端にある道教大札幌校の裏手から歩いても1キロちょっとの近さだが、しかしここは難所だった。道教大方面へはバスがたくさん走っているが、教育大学前の次の停留所あいの里4条3丁目で降りるとすぐに北側の水田の横に遊歩道があり、ほぼ直線で337号線に突き当たる。ここがA地点で信号がないので注意して渡る。直進すると茨戸緑地だが、国道に沿って左折するとすぐに生振大橋で茨戸川を渡る。渡ってすぐの交差点(B地点)を茨戸霊園方面へ右折する。この道(道道508号矢臼場札幌線)は石狩河口橋や旧石狩町方面への短絡路なので結構曲がる車が多く要注意。また次の交差点(C地点)を右折。ここからは未舗装路になる。突き当りは変則4(5?)差路になっていて右側に一軒家がある(D地点)。
ここからが本番。地図では斜め左方向へ進む細い道表示があるが、実態は草がかぶってなんとか元は道だったのだなとわかるくらい。車が入れるような道ではない。膝丈くらいの草を踏み分けてゆるい上り坂を上っていくと右手が少し開けたところに出る。ここが点の記で車をおいたことになっている堆肥置場のようだ。点の記ではここを右手に上るようになっているが、一面のオオイタドリでとても上れるような場所ではない。無理して小高い丘によじ登ってみたが背丈より高いイタドリの薮のなかで現在地すら見失いそう。とても三角点を探すどころではない。
三角点Viewerを起動してみると、もうちょっと北側らしいとわかったが、とても薮の中を進むのは困難なので一旦元の道に下りて先へ進む。右手に太い土管がころがっているあたりから右の丘へ薮の薄いところをたどって上る。GPS表示をたよりにさがすとなんとか足元に露出している標石をみつけた。見つけてみると立派な保護石が4個ついているし、何より先端を赤く塗った目印杭が立っている。しかし背丈ほどの密生したイタドリの薮の中ではよほど近づかないと見えない。実際の位置は、茨戸川岸の丘のほぼ北端で、北側の薮は下りになっていてその先がゴルフ場らしい。全然見通しは効かないけど。平地の三角点だからとあなどってはいけない。長袖長ズボンにしっかりした靴履いてきて正解だった。もちろんGPS必携。
ここも昭和54年移転となっていて、古い地図では丘の南端あたりにあったようだ。なんで薮の奥へ移転したのだろう。正式な国土地理院の白塗りの標柱ではなくて、間に合わせのような白木の標柱が標石横にじかに刺してあった。新しいもので冬を越したようには見えなかったから、春先に人手がはいったのだろうか。
〇四等三角点「山口向」
北緯 43°10′43″.8370
東経 141°23′24″.8862
標高(m) 10.05
A地点から生振大橋を渡る(対岸の手前の枝がかかっているあたりが三角点)
B地点を右折
C地点をまた右折
D地点,、奥の電柱の左を斜めにはいる
膝丈の草むらを上ってゆく
右側が開けたあたり、もう少し先へ行く
土管がころがっているところから右へ
2本の木がくっついているあたりの裏へ直登
丘の上に出たあたりの地面を探すと見つけた
保護石4個つきで四等にしては立派
標石
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)
新旧地図比較(今昔マップ on the web)
詰将棋パラダイス6月号は5月30日に到着。
結果稿は3月号分で、今月も解答を送った分はすべて正解だった。詰棋校は高校の14が無解。こういう無仕掛けに近い簡素図式で持駒の多いやつはほんとに苦手。解答をみるとなるほどねぇというしかない。2六銀から3八桂まではずいぶん読んだのだけどその先がわからなかった。これはもう仕方ないな。その代わり重量級だった短大が全部正解だったのはうれしい。短大の全解は何か月ぶりだろうか。
ところで今月号は昨年の解答順位戦の結果発表があり、ぼくは700点満点中492点の32位だった。厳しめの自己採点だと486点だったので短大の2題の記入ミスは救ってもらったわけだ。ありがとうございます。目標とした7割490点はかろうじて達成したが、順位30位以内は惜しくもならなかった。昨年は易しかったようで、492点取れば2018年なら28位、2017年なら26位だったので残念。
今月号はその詰棋校はお休みの月なのでちょっと一息。その代わり順位戦があって、A~C級に力の入った作品が計23題並んでいる。15手以内だから手数的には高校クラスなので解けないことはないはずなのに、なぜかこの順位戦がぼくは苦手で、まともに解けたためしがなく解答を送ったこともない。例年見るからに難しそうな図面が多いのだが、今年はいつもよりとっつきやすそうなので頑張ってみるか。あと、デパートがやけにおもしろそうなんだけど、同人室もあるしそこまで手が回るかな。
さて、今月の1題はやはり力作ぞろいの短大からということになるが、打歩詰や中合がらみの構想作群の中で1題だけシンプルな新ヶ江幸弘さんのあぶり出し曲詰にしたい。難しくはないが最後まで詰上り形がわからないところへ最終5手の鮮やかさにはため息しかでない。形はもちろん駒配りも美しく傑作だと思う。
緊急事態宣言が解除されて、北大も行動指針がレベル3(大)から2(中)に引き下げられた。現場にいないので詳しいことはわからないが、最低限の研究活動はできるようになったようだ。理系の実験系研究室では、可能な限り自宅で研究を行う、なんてことはできっこないので、論文作成に追われる院生たちもやれやれというところだろう。それにしても学会も軒並み中止だし、就活もままならないだろうし、めぐりあわせとはいえ今年の大学院生はお気の毒としかいえない。みんなが同じ条件という点では地震などの災害よりはましだろうか。
ぼくに直接影響があるのは附属図書館で、再開を首を長くして待っているが、残念ながらこちらは6月末までの閉館が決まったようだ。館内閲覧や自習スペースは無理としても、書架の立入りと自動貸出機利用くらいは許可してくれないかな。不要不急だろと言われれば一言もないが。
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