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2020年9月

2020年9月30日 (水)

9月の総括

 9月も終わり。ここ2日間はおだやかな秋晴れで暖かく、外へ出ても気持ちいい。今日は石狩図書館へ本を返しに行った後、取って返して当別道の駅へ。屋外のイスでしばしボーっとしていた。
 前月に続いて月の変わり目の総括。

 9月の記録(8月比)
  エクササイズ日数 25(-1)
  走行距離(換算km) 171.9(+16.5)
  総エクササイズ(Ex) 237.9(+7.9)
  踏査三角点数 7(+5)
  読了本数(冊) 7(-1)
  詰パラ学校解答数 18(-5)
  ブログ記事数 23(0)

 9月は30日までしかないことを考えるとエクササイズ関係はまあまあだ。しかし外を走るのは暑い8月より格段に楽なことを考えたら、前年同月比じゃないと意味ない気もするが。その代わり屋内アクティビティがガタ落ち。本も読めてないし、詰パラは学校以外も全然だった。なんかあまり気合が乗らないんだよな。今年はまだ2月あるので気合入れ直さねば。

200930
石狩平野秋景

 

2020年9月29日 (火)

三等三角点「烈々布」

 「苗穂町」で一敗地にまみれた後、気を取り直して向かった先は「烈々布」。れつれっぷと読む。元はアイヌ語だろうが意味は諸説あり判然としない。にしても強烈な字を当てたものだ。開拓時代の過酷な環境がしのばれる。百合が原公園の北隅の烈々布会館や北41条通りの烈々布神社など、もともとの地域はもっと北の方の気がするが、三角点は北27条の北海道立札幌高等技術専門学院の前庭にある。

 踏査日は2020年9月24日。アクセスは地下鉄東豊線「元町」駅からすぐで、西15丁目通りを北へ向かって札幌東郵便局を過ぎると右手に札幌高等技術専門学院が見えてくる。正面の入口をはいった前庭に表示杭と標石が鎮座しているのがすぐに見える。きわめてわかりやすい。位置といい状況といい当別町役場前の「東小川」を思わせる。標石が一部セメントで補修されているのが残念だが、右書きで三等三角點と読め由来の古さをうかがわせる。

 点の記では1913年の設置と古いが、その後1979年と2007年に二度移転している。古い地図では1975年までは500 mくらい北にあり(新旧地図マーカー位置)、1995年では学校敷地内の今より70 mくらい南側に移転している。07年に学校が整備されて今の場所に移ったとみえる。

〇三等三角点「烈々布」
 北緯 43°05′52″.3937
 東経 141°22′15″.9693
 標高(m) 7.34

200929a
元町駅北方の東15丁目通り(A地点)

200929b
すぐに高等技術専門学院が見えてくる

200929c
正門をはいってすぐの前庭、写真中央に表示杭が見える

200929d
整備された三角点

200929e
標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web)

 

2020年9月28日 (月)

三等三角点「苗穂町」

 「林檎の碑」を見に行ったついでに近傍の三角点を2点探索してきた。まず1点目が「苗穂町」、近くに「苗穂」という三角点もあって紛らわしいが、こちらの方が都心に近く、苗穂町という住所にも近い。地下鉄東豊線東区役所前駅、環状通東駅、それとJR苗穂駅のいずれからも同じくらいの位置にある。

 踏査日は2020年9月24日。点名に敬意を表してJR苗穂駅から歩くことにする。苗穂駅は最近移転したばかりで、年代物の地上駅舎からピッカピカの橋上駅に変身した。周囲はマンションの工事中で、北口からは大規模商業施設アリオ札幌へ向けた空中歩廊が建設中だ。その北口ロータリーから出発。駅前通りを直進するとすぐにアリオに突き当たるので(A地点)、右折して北東方向へ進む(駅前右手の自転車置き場の先の道路を北進した方が近い)。工事中の道路をJR苗穂工場に沿って進むと北8条通りに突き当たるので道なりに右に進む(B地点)。すぐに郵便ポストの角(C地点)を左に曲がるとすぐ正面が希望公園だ(D地点)。ここまで苗穂駅からほぼ1 km、三角点は公園の北東隅にある。

 あるはずなのだが見当たらない。最初それと思しき場所に十字を刻んだ大きな石板があってこれだこれだと思ったが、どう考えても大きすぎるし位置がずれている。しかも薄っぺらな板だ。この下かなと持ち上げてみたが下には何もない。紛らわしいが十字を刻んだ石は境界標など他にもあるので、これは何か別のものだろう。本来の場所は芝生の下で草を踏み分けてみたもののそれらしきものは見つからなかった。まずいな連敗だ。

 注:本点についてはこの後、基準点成果情報に2021.9.30付で「手続中(廃点・停止)」と記載された(2021.10.26追記)

〇三等三角点「苗穂町」
 成果なし

200928a
ピンボケのJR苗穂駅北口

200928b
駅前通りを突き当たる(A地点)

200928c
北8条通りに出て右へ(B地点)

200928d
すぐの小道へ左折(C地点)

200928e
正面が希望公園(D地点)

200928f
希望公園北東角(中央の円柱手前あたりが三角点位置、右手に偽の石板が見える)

200928g
紛らわしい十字石板

200928h
三角点のあるらしい場所

200928i
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2020年9月26日 (土)

北村村ではなく北村

 「林檎の碑」のエントリで、北村という村の名は北村農場が由来だという話を書いた。道内には仁木町という町があり、ここも仁木某が開拓にはいったことが町名の由来となっている。北村某の名前に由来するのなら北村村ではないかという気がするが、村の字が重複するので単に北村としたのだろう(正確には北村^2か)。昔地図で見て役場所在地の丸印の横に「北」と書かれているのに大いに違和感を覚えたものだ。あくまで地名は「北村」であって「北」村ではないと思っていたからだ。すでに岩見沢市に合併されてしまって村としては消滅したけれど、もしそのまま町に昇格していたら間違いなく北町ではなく北村町になっていただろう。
 そういう例って他にもあるのかなとちょっと調べてみた。まず思いつくのが福島県の原町市(現・南相馬市)。はたせるかなここは、原町村→原町(原町町ではない)→原町市と変遷していた。ついで長野県大町市。ここも大町村→大町→大町市だ。いずれも町制時代に町の字の重複を忌避している。
 では村のつく村、すなわち〇村村というのはないのかなと探したが見つからなかった。そのかわり佐賀県に大町町という町が現存するのを見つけた。ここはもとは大町村なので、大町村→大町町と変わった例だ。なんと律儀な。
 というようなどうでもいいことをどうやって調べたかというと、web上に都道府県市区町村の文字が入る市町村という一覧表がちゃんとある。大町町はここで見つけたのだ。このページを含む「都道府県市区町村」というwebコンテンツはすごい。地名好き必見。こういう発見があるからweb探索はやめられないな。

200926
中央付近に大町町(国土地理院地図(電子国土web))

 

2020年9月25日 (金)

長崎新幹線部分開業予定

 フル規格で建設中の九州新幹線西九州ルート武雄温泉~長崎間約66 kmは2022年秋頃に開業と決まったというニュース。その手前の新鳥栖~武雄温泉間は未着工というかどういう整備方式で建設するかすら決まっていないので、当面は博多~武雄温泉間は現行の在来線特急で、武雄温泉駅ホームで新幹線と対面乗換になる。博多~長崎間の所要時間は現行の在来線特急(約1時間50分)に比べて30分ほど短縮されて1時間20分ほどになるらしい。
 これまでにさんざん議論されているが、途中の未着工区間の佐賀県が新幹線建設負担に首肯しないので、中間区間が頓挫したままで、見通しすら立たない。なので武雄温泉駅乗換えで暫定開業といっても、暫定が当分続くことは間違いない。乗換えの手間と30分の時短効果をどうみるかだけど、巨額の投資をして66 kmばかりのフル規格新幹線作ってこれではなあ、としか思えない。
 博多~長崎間の「かもめ」は何度も乗ったけど、ぼくは鉄道好きなので2時間弱という時間は短すぎてもっと乗っていたいと思うくらいだ。鉄道好きでなくても観光客なら弁当食べたり景色眺めたりおしゃべりしたりでちょうどいいくらいじゃないかなあ。確かにビジネス客なら短いに越したことはないだろうけど、それでも30分くらいの時短では、日帰り滞在有効時間が1時間増えるだけだともいえる。
 九州新幹線は本体の博多~鹿児島間もなぜか末端の新八代~鹿児島中央間が先に開業して、新八代駅で対面ホームの暫定乗換えをやっていた。それがまた繰り返されるわけだ。あのときは7年ほどで博多~新八代が開業したのでまさに暫定で済んだけど、こんどはそうはいかないしな。どうなるんだろうか。

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九州新幹線(西九州ルート)の検討ルートについて(国土交通省Web資料より)

 

2020年9月24日 (木)

林檎の碑

 平岸天神山にある啄木の歌碑を見に行った話を以前のエントリで書いた。そのときに林檎農家だった橘智恵子の実家は平岸ではなく、東区役所の近くでそこに記念碑があるということを知った。これは啄木好きのぼくとしては行かねばならない、ていうか札幌に60年以上住んでいて何で知らなかったんだろう。
 場所は、東区北11条東12丁目。地下鉄東豊線の東区役所前駅と環状通東駅のちょうど中間くらいで、どちらから歩いても500 mちょっとというところだ。面している通りは道道273号花畔札幌線というのが正式名だが、碁盤の目の札幌には珍しい斜めの通りなのでななめ通りとかファイターズ通り(これはもうちょっと札幌駅寄りの方)とかの通称の方が有名だ。通りからちょっと奥まったところのリンゴの木陰に林檎の碑があり、その裏に由来が書いてある。
 それをみると、この地に入植した橘仁氏が明治23年から林檎園を始め、亡くなった昭和5年に消滅したとある。一代しか続かなかったんだ。その仁氏の娘が橘智恵子(チエ)で、なんと啄木は2週間しかなかった札幌滞在時にここを訪ねてきたのだという。そのときは智恵子は不在で会えなかったのだが、前エントリに書いた歌はそのときのことだという。う~ん、そうだったのか。
 その後智恵子は兄の友人である北村某に嫁ぐのだが、その北村というのが北村農場主だとは知らなかった。今は合併で岩見沢市になっているが、2006年までは北村という村があってその由来となったのが北村農場だ。大農場主の跡取りの嫁になったというわけだ。

 石狩の空知郡の
 牧場のお嫁さんより送り来し
 バタかな

 第二歌集「悲しき玩具」に採られているこの歌は、歌集の返礼だったかな、その北村智恵子から貧窮の病床にあった東京の啄木へ当時貴重だったバターが送られたときのものだ。それが北村農場なのか。しかも農場にはこの歌を刻んだ歌碑があるのだという。これはなんとしても行ってみなくては。宿題が宿題を呼ぶ(笑)。

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林檎の碑
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裏面、末尾に啄木の歌が見える
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碑を覆うリンゴの木

 

2020年9月22日 (火)

マラソン大会で接触事故

 もうマラソン大会は解禁してはと昨日書いたばかりなのにこういう事故があると困るんだけど。今日、真駒内公園付近の周回コースを使って行われた札幌・豊平川トライアルマラソン大会で、コースのサイクリングロードを走行中の参加者が高齢女性と接触して、女性は骨折の大けがを負ったというニュース
 トライアルマラソンというのは、アールビーズスポーツ財団の主催で、各地で中止となっているマラソン大会の復活を目指して開催され始めた一連の大会で、フルマラソンはこの豊平川が初めての大会なのだそうだ。まあ企画自体は悪くないと思うけど、行うからには万全の体制で臨まないとかえって逆効果だろうに。
 真駒内競技場発着で真駒内公園内と豊平川河川敷のサイクリングコースというのは札幌では定番のマラソン大会コースで、例年ならいくつもの大会が開かれている。札幌のランナーなら知らない人はないだろう。ぼくも何度も走ったことがあるが、サイクリングコースは狭く多くのランナーが密集するスタート直後などはたしかに走りにくい。今回は定員500人でウェーブスタートだったというからどれくらいの混雑度だったのかはわからないが、あの狭い走路に一般の散歩者などが混在したらそれは危険だろう。明らかに誘導員不足のミスだと思う。
 上記リンク記事には書かれていないが、なぜか削除されてしまった道新webの記事では接触事故を起こしたランナーは埼玉県の人ということだから、わざわざこの大会のために来札したのだろう。この時期リアルに走れるフルマラソンは希有だというのも裏目に出た感じだな。昨日の今日だけど個人の良識的判断てのはだめなのかなあ。

200922
コース図(大会webより)

 

2020年9月21日 (月)

箱根駅伝開催

 来年の箱根駅伝が無観客で開催されることになったというニュース。駅伝が無観客ってどういう意味やねんと思わないでもないが、関東学連としては通達を出して自粛をよびかけるということらしい。まずは開催されることになってよかった。これがないと正月が来た気がしないという向きも多かろう。元旦の実業団駅伝のことは話題に上らないが、たぶんこれで同様に開催ということになるんだろうな。
 そういえば、新型コロナウィルス感染拡大を受けたマラソン大会の開催・中止の状況ページをしばらくチェックしてなかったと思ってみてみたら、年内の大会はほぼ中止で、来春については中止を決めたところもあれば未定のところもある。早いところは今年に続いて2年連続中止のところもある。主催者は頭の痛いところだろう。イベント参加人数制限が緩和されたこともあるし、屋外イベントであるマラソン大会はもう解禁してもいいんじゃないのという気がするが、大きな大会だと要項発表は半年前とかなので判断が間に合わないのかもしれない。
 箱根駅伝は国民的イベントなので、鈴なりの沿道応援をいくら自粛してほしいといっても行く人は行くだろうし、行けば行ったで無言で応援というわけにもいかないからワーワーやる人もいるだろう。だいたいそれをいうなら押し合いへし合いの初詣も自粛するのかいということになるしな。個人個人が良識的に判断すればいいことだと思うけど。

 

2020年9月20日 (日)

北大鉄研50周年

 昨日、レターパックで立派な冊子が届いた。開けてみて厚さと重さにびっくり。北海道大学鉄道研究会50周年記念誌だ。内容も豊富でとても1日では読み終わらない。懐かしい写真がいっぱい。
 北大鉄研は1970年の創部で今年50周年を迎えた。計画されていた特別列車運行などの記念行事はすべて新型コロナ騒動のために中止となり、かろうじて記念誌のみが発行された。これだけのものを執筆・編集するのは大変なご苦労だったろう。中心となった現役生たちに心からの敬意と感謝を贈りたい。
 ぼくが鉄研に入会したのは北大に入学した1973年だから、まだできたばかりの頃で創部メンバーがまだ在籍していた。クラーク会館集会室であった毎週の例会に集まるのは10数人と小規模だったが、気安い先輩同輩後輩方ばかりで楽しい時間を過ごさせてもらった。
 当時はまだ蒸気機関車が現役で走り、北海道内を隅々まで走っていたローカル線も健在で、本州連絡はもちろん青函連絡船だった。現在の大幅に縮小されてしまったJR北海道の路線網、それもさらに廃止計画が進んでいる状況をみるとまさに今昔の感がある。50年の年月は長い。その長い時間をメンバーを入れ替わり入れ替わりしつつ走り続けた北大鉄研50年、おめでとう。

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北海道大学鉄道研究会50周年記念誌

 

2020年9月18日 (金)

三等三角点「麻畑」

 前エントリの「平岸」へ出かけた日に、少し時間があったので近くの「麻畑」へ寄ってみた。ここは住宅街の狭いところなので、行きつけさえすれば見つかるだろうと軽く考えていたが、そうは問屋が卸さなかった。

 踏査日は2020年9月3日。地下鉄南北線を中の島で下車。地上に出たところは地下鉄の走る白石中の島通と豊平川に並行する中の島通の交差点(A地点)。中の島通を北行して精進川を渡り300 mほど先の交差点を右折する(B地点)。右角はマンションで、その手前はGoogle Mapでは広い駐車場になっているが、フェンスで囲われて大規模なマンションの建築中だった。目的地はそのすぐ裏手にあたる。右折してすぐの月極駐車場の角を右に上る(C地点)。駐車場の左奥隅から先ほどのマンション建築現場の裏手の土手に出られる。

 そこは狭い草地になっていて右奥が目的地だ。狭いし草も短いのですぐに標石が見つかるだろうと思いきや見当たらない。半分土面が露出しているあたりのはずだ。あまり時間がなかったこともあり、残念ながらまたこんどということになった。

〇三等三角点「麻畑」
 成果なし

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地下鉄南北線中の島駅直上の交差点(A地点)、正面が中の島通北方向

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マンションの角を右折(B地点)

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すぐに右側駐車場の横の路地を上る(C地点)

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駐車場の左奥の車の裏から土手へ出られる

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土手への出口、向こうにマンション建築の重機が見える

200918f
土手の右手はすぐ行き止まり、三角点は突き当りやや右手

200918g
このへんの地面にあるはずだが

200918h
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2020年9月17日 (木)

三等三角点「平岸」

 最初のうちは札幌北郊ばかり歩いていたが、気分を変えて今回は南へ下って平岸までやってきた。踏査日は2020年9月3日。地下鉄南北線を南平岸で下車。ここは平岸霊園最寄り駅で開業時からしばらくは霊園前という駅名だった。ぼくのような古い人間にはそのほうがしっくりくる。

 駅前(A地点)を霊園とは反対側の西方向に進んで平岸街道との交差点を左折する(B地点)。街道は天神山の山すそに向かって上り坂になっていて、上り切ったあたりの右手に平岸天満宮の石段がある(C地点)。石段を上り鳥居をくぐると正面に小ぶりな社殿があり、その建物の左手に回り込むように裏側へいくと小高い丘の上に三角点がある。

 周囲は雑草もなくわかりやすい。おなじみの表示杭があるが、残念ながら折れていて横たえられていた。天神山はほぼ一周する遊歩道があり、三角点の先を少し下るとその遊歩道に出られる。点の記ではそちら側から上るように書かれているが、徒歩なら天満宮から上ったほうがわかりやすい。

 点の記には1968年設置となっているが、もちろん最初の設置はそれよりも古く、1950年の地図には現在地より南寄りの天神山山頂付近に記号がある(新旧地図マーカー位置)。標石の三等表記も右書きだ。なんらかの事情で1968年に移設再設置されたものと思う。ちなみに古い地図の鉄道記号は旧定山渓鉄道(跡地に地下鉄南北線がつくられた)で、地下鉄澄川駅のところに北茨木駅があった。

〇三等三角点「平岸」
 北緯 43°01′21″.7988
 東経 141°21′59″.1195
 標高(m) 72.31

200917a
地下鉄南北線南平岸駅(A地点)

200917b
駅から西へ向かって平岸街道交差点(B地点)

200917c
平岸街道を南下して上り坂を登った右手に天満宮石段がある

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社殿への石段を上る

200917e
小さな社殿

200917f
建物の左側、石油タンクの奥の丘が三角点位置

200917g
左側に回り込むと正面に表示杭が倒れているのがみえる

200917h
丘上の三角点

200917i
三角点位置から社殿側をみる

200917j
標石

200917k
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

200917l
新旧地図比較(今昔マップ on the web)

 

2020年9月16日 (水)

80450人

 何の数字かというと、全国で昨日現在100歳以上になる人の数だ。毎年9月15日の老人の日になるとこういう話題がニュースをにぎわす(敬老の日は第3月曜日に変更になったが老人の日はそのまま)。80450人て多いのか少ないのか、いや結構多いよなと思うかもしれない。これはとんでもなく多いのだ。なんせ33年前の1987年にはこれがたったの2271人しかいなかったのだから。
 ぼくは今日でちょうど66歳になった。100歳までのほぼ2/3に到達したことになる。そうなのか、じゃあ1/3の33歳になった1987年には何していたかなと考える。この年はぼくにしては激動の1年で、春に2年間の在外研究員生活から帰国して北大にもどり、夏には末娘が誕生した。昭和があと1年ちょっとで終わり、次の平成も昨年すでに令和に代わった。その娘のところについ先日孫娘が産まれた。なるほど感慨深いな。同じ計算でいくと次の33年が過ぎて100歳になる頃には曾孫が生まれているわけだ。その頃の100歳超人口はどれくらいになっているのだろうか。ぼくがその中にはいれるとは思わないけれど。

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100歳超人口推移(jiji.comより)

 

2020年9月14日 (月)

茶番

 いやあめでたい。本日自民党総裁選が行われ新総裁に菅義偉氏が選出された。なにがめでたいって、これでもう愚にもつかない茶番の出来レースの報道を見なくて済む。一足早く決まったなんちゃら民主党の合同と新代表選びとともに、これで与野党のヘッド人事が済んだのだからとっとと国会開いて、総選挙でもなんでもやったらよかろう。
 しかし日本の政治って貧困だなあとつくづく思う。片や史上最長総理大臣が辞任しての後任選び、片や2大野党の合同による新体制作りという歴史的転機だ。これで政治が大きく変わらなければどうかしている。それなのにこの無力感。ちょっとも変わっとらんやんけ。これで選挙やったって結果は目に見えているし。やるだけ無駄では。ぼくは選挙と名のつくものは毎回毎回欠かさず投票しているけれど、こうも変わらないどころか政治が悪くなる一方ではむなしさしか残らない。
 国会は老害の最たるところだから、まず70歳を定年とし、それ以前でも連続当選は5回まで(1回休めばまた出ることは可能)、みたいにして新陳代謝を促進してはどうか。

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国会は赤信号(旅かじりさんによる写真ACからの写真)

 

2020年9月13日 (日)

ドアを開け外へ出る

 9月にはいっても気温の高い日が続いて、上旬に3日も真夏日があったのは2012年以来なんだとか。2012年といわれても記憶にないなと調べてみたら確かにそうで、この年は9月2,3,4日と連続真夏日。それどころか9月は12,15,18日も真夏日で9月中で最高気温が20 ℃を切ったのはたったの1日だった。これはすごい記録的高温だな。その頃何やってたんだろう。
 さすがに今年はそこまで暑くはなく、というかここ数日気温は急降下して昨日の最高気温は19.3 ℃、今日は19時現在17.2 ℃までしか上がっていない。ついこの間まで窓を開けっぱなしで暑い暑いといっていたのに、今日は肌寒くフリースを出してきてかぶっている。
 どんよりと曇って見るからに外は寒そうで出たくない。夕方の定刻になっても体が動かない。まあ無理して走らなくてもいいかと思うが、そんなこといってたらこれから半年走れる日などほとんどない。まだまだ寒さはこれからだし。というわけで重い腰を上げて外へ出る。不思議なもので走り出せば涼しくて足が動き、暑い夏よりよほど快適だ。ジョギングを続けるコツはまずドアを開けて外へ出ることだ、とはよく言われるがまさにその通り。外へ出るところが律速段階でそこの活性化エネルギーが結構高いが、出てしまえばあとは一気呵成だ。
 日曜日でもあり、こんな天気でも公園はジョギング、ウォーキング、自転車、犬の散歩などの人がいっぱい。わかっている人はわかっている。

 

2020年9月12日 (土)

詰将棋パラダイス2020.9月号

 詰将棋パラダイス9月号は8月31日に到着。すでにその内容の一部についてはフライング記事(無駄合問題)に書いてしまったので、それ以外の話。
 なんといっても話題は藤井棋聖誕生。すでに王位も奪取して二冠となり八段昇段も果たしているが、さすがにそこまでは間に合わなかったようだ。お祝いとして藤井新棋聖作の懸賞詰将棋と祝賀曲詰5作が出題されている。フジイソウタなら6作だし何の字だろう(まだ解いていない...)。ぜひ解いて応募したいけど間に合うかな。
 結果稿は6月号分で、6月は詰将棋学校はお休みなので点数計算の話はなく心穏やかに結果が見られる。といいたいところだが、あまりに惨憺たる結果で愕然ということになった。先月号の話のときに詰棋校は解答した分は5ヶ月連続誤解答なしなどと誇らしげに書いたが、6月号ではなんと5題もの誤解答(ヤン詰4番、順位戦A級2番、C級8番、やさしい大学院2番、3番)。不注意としかいいようがない。こんなことでは後半戦が思いやられる。気を引き締め直さねば。
 さて、今月の1作の紹介。順位戦全23題中一番最後に解けた問題がC級5番小林尚樹氏作。これは難しかった。図面(A)を見ると、まず中央に鎮座する成桂(一文字表記は「圭」)が目をひく。短編詰将棋でと金以外の小駒成駒は珍しい。持駒が多いのでさらにこれを取って使うとは考えにくく、桂馬が4枚使用されているからこれは桂合を封じるためだろうな。しかしどこに合駒が出るのだろうか。
 持駒に香車が2枚あるので54香、53香と連打してその成桂を53までひっぱってくれば、61歩成同角62金打で詰む。ところが53香を同龍と取られると、龍の力が強くどうやっても詰まない。なんかうまい手はないものか。ん~桂合はないんだよなと考えて91飛という鬼手に思い至る。同龍ととれば53香で簡単なので52玉と躱すことになるが、そこで54香と上から押さえる。いろいろ変化はあるが玉が上に上がれば93飛成と飛車をとって王手できるので詰む。というわけで同成桂と取る。それからもいろいろあって大変だけど結局、64桂、63金と順に打つといずれも成桂で取ることになって成桂の位置が63にくる。そこで51飛成と最初に打った飛車を捨てて同玉となった局面(10手目)がB図だ。初期配置(A図)との違いは55にあった成桂が63に移動しているだけだ。ここで53香と打てば龍では取れないので成桂で取るしかなく、最初の目論見通りに詰めることができるという仕組み。なんという構想だろう。ぼくは変化紛れの深い難解作は嫌いなのだけど、さすがにこれには感動するしかない。

200912a200912b
詰将棋パラダイス2020年6月号C級順位戦5番小林尚樹氏作
A:問題図、B:10手目51同玉の局面

 

2020年9月10日 (木)

半年ぶり

 今日は約半年ぶりの定例飲み会。今年は大通ビヤガーデンも行ってないし、飲み会自体が久々だ。いつもの店はいつものように開いていて、この時期の木曜日にしては空いていたのがちょっと気になったけど、カウンターに座ってしまえば以前とまったく変わらない。これが日常ということなのだなと妙に安心した。

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今夕の大通公園バラ園

 

2020年9月 9日 (水)

一等三角点「札幌南端」

 前エントリの「札幌北端」に続いて「札幌南端」。踏査日は同じ2020年8月17日で、ぼくは基線歩きと称して北端から創成川通りを歩いて到達したが(注:本来の基線は東1丁目通り)、公共交通機関なら地下鉄東豊線の北13条東駅からすぐだ。

 微妙に曲がっている創成川通りと南北に直進する東1丁目通りが南に向けて合流するあたり(北12条東1丁目)に諏訪神社がある。1882年奉斎というから三角点よりずっと歴史がある。どこから到達するにせよここが恰好のランドマークとなる。神社のすぐ南の郵便局の角が北11東1の交差点(A地点)で、その先の南行車線を渡った創成川畔に三角点がある。まわりは花壇がつくられて小ぎれいに整備されていて、大きな説明板もあるので車道の反対側からでもすぐにわかる。ただし交通量が多いので車道を渡るのは要注意だ。

 点の記には1900年設置、1979年改埋となっている。移設ではなく改埋というのは埋め直しただけなのだろうか。標石前面に刻まれた一等の文字は左書きなので、標石自体がこの時期に更新されたようだ。古い地図では1935年までは現位置よりやや北寄りにあり(新旧地図マーカー位置)、1950年版では現在位置になっているから、この改埋時期より前に移設があったらしい。標高は14.90 mで、北端(7.37 m)よりも約7.5 m高い。札幌市域が乗っている豊平川扇状地が北向きに下っていることがわかる。

〇一等三角点「札幌南端」
 北緯 43°04′29″.6573
 東経 141°21′13″.3896
 標高(m) 14.90

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風格のある諏訪神社

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神社の南側の交差点(A地点)

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歩道側から南行車線越しに説明板が見える

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三角点と花壇

200909e
三角点

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標石、一等表記は左書き

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説明板

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web)

 

2020年9月 8日 (火)

一等三角点「札幌北端」

 札幌の三角点歩きをするならまずここから始めるべきなのがここ「札幌北端」と「札幌南端」。早く行こう行こうと思いつつこんなに後になってしまった。北端・南端というのは札幌の両端という意味ではなく、最初に三角測量を始めるときの基点となった札幌基線の北端・南端という意味だ。実際に北端から南端までの基線を歩いた話はすでに書いた通り。

 踏査日は2020年8月17日。ぼくはJR新琴似駅から歩いたが、創成川通りあるいは東1丁目通りを通る中央バスなら下水道科学館前からすぐだ。新琴似駅(A地点)からだと駅前通りを地下鉄麻生駅方向に進み、琴似栄町通りの大きな交差点を過ぎて道なりに右へ曲がった次の信号を左折(B地点)、直進すると創成川通りに突き当たるので左折(C地点)、すぐに左手に麻生球場があり、その先が創成川水処理センターで正規の入口の手前に車止めがある入口があって(D地点)、そこからはいってすぐ左手の芝生奥に三角点がある。新琴似駅から約1キロほどだ。

 さすがに由緒正しい三角点なのできちんと整備されていて、芝生の中に囲いがあって三角点と水準点が並んでいる。ただし、説明板がなぜかあさっての並木の方を向いてしまっている。ぜひとも反対に向けてほしいものだ。

 点の記には1979年設置、1986年移転となっているが、さすがに大元はそれよりずっと古いはずだ。ちなみに対応する札幌南端は1900年8月1日設置となっているので、それと相前後して設置されたものと思われる。元の位置(新旧地図のマーカー位置)は古い地図では創成川通りと東1丁目通りの分岐点あたりであり、基線は元々の創成川通りである東1丁目通りに沿っていたことがわかる。

〇一等三角点「札幌北端」
 北緯 43°06′49″.2294
 東経 141°20′36″.0018
 標高(m) 7.37

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JR新琴似駅(A地点)

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地下鉄麻生駅手前の左折点(B地点)

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創成川通りに突き当たる(C地点)

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水処理センター南入口(D地点)

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芝生の奥に説明板と囲いが見える

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手前に水準点、奥が三角点

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三角点

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立派な標石

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裏を向いている説明板

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web)

 

2020年9月 7日 (月)

寿都町問題

 にわかに世間をにぎわしている寿都町の高レベル放射線廃棄物最終処分場調査への応募問題。今日から町長が町内主要地区をまわって説明会を開くとのこと。
 今のところ、道も反対、近隣自治体もほぼ反対、周辺漁協等も反対と寿都町は孤立無援状態だけど、一次文献調査には都道府県の同意は不要らしいので、町がその意向であれば手続き的には何の問題もない。もちろん町長個人の意見だけではだめで町民の少なくとも過半数の賛成が必要だろうから、一連の説明会でどんなようすになるかが注目だ。以前の高知県東洋町のときもここが問題で、町を二分する騒ぎになった末に町長選で反対派が勝利して撤回したわけだし、そう簡単には運ばない気がするが。
 しかし、寿都町長は20億円ともいわれる交付金はべつにしても、この問題に一石を投じるという言い方をしている。それは一理あるので、現在のように日本国中反対ばかりでどこも引き受け手がないとこの先どうなるのか。そんな状態で原発を稼働し続けることの方が異常な状況としか言えない。まさにトイレなきマンションで、そんなとこに住めるわけがない。
 国策で原発を推進しているのだから、廃棄物処理問題は国が責任をもつべきで、一地方自治体に判断を丸投げしてしまうのはどうかと思う。米軍基地は沖縄で、核廃棄物は寿都町でお願いね、で済むことなのか。そもそも火山列島で地震多発地帯の島国である日本国内に、10万年もの安定性が保証された場所があるのかどうかすらも疑問だが。

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寿都町弁慶岬( のぶたさんによる写真ACからの写真 )

 

2020年9月 5日 (土)

無駄合問題

 詰将棋パラダイス9月号感想記事をまだ書いていないけれど、何やらTwitterで9月号結果稿がらみの問題が提起されていたので、そっちを取り上げてみたい。
 問題は、9月号で結果発表されている6月号掲載のC級順位戦1番則内誠一郎氏の作品(左図)。これは47金以下の15手詰なのだが、途中からの変化手順で13手目に右図の局面が現れる。これは44にいた飛を43飛成と開き王手した局面だ。玉の逃げ道は一つしかないので65玉と逃げると63龍と飛車をとって詰み、すなわち15手飛余りの詰みとなる。作意順は15手駒余りなしだから、この順は同手数だけど飛車が余るので変化手順ということになる。

 

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左図(詰将棋パラダイス6月号C級順位戦1番則内誠一郎氏作)   右図(その変化図)

 

 ところが、右図で44歩と合駒をするとどうなるか。馬の効きで王手がかかっている局面だから44同馬と取って65玉63龍で詰む。これだと17手かかるけれど、先ほどの飛車のほかに合駒の歩も余分に余ることになる。すなわち44歩合は手数を延ばすだけで意味のない合駒であり、無駄合なのでこの手順は無効である。
 これで終わればなんの問題もないのだが、44歩合は馬の効きを遮断すると同時に43龍の効きも遮断できるので、同馬と取ったときに46玉と逃げる筋が発生する。そうなると35馬55玉46馬66玉75馬で21手もかかってしまう。そこで44歩合には同龍ととって66玉55龍まで17手歩余りの詰みが最短になる。これだと2手延びて合駒の歩が余るだけなので44歩合は無駄合だという解釈が可能だ。
 いやそうだろうか。44歩合をしない順では15手飛車余りで詰んだ。もし44歩合が無駄合ならば17手で飛車と歩が余る順でないとおかしい。それは上記の44歩合同馬65玉63龍の順だ。しかし、44同馬には46玉と逃げるとより長手数かかるのでそちらが正手順となる。それを避けるために44同龍とするのは新たに66に逃げ道が発生するうえに63龍を取って飛車余りになる手順がなくなってしまうので、そもそも別手順と見なすべきだろう。つまり44歩合は無駄合にはならず有効な合駒ということになる。
 すなわち右図の局面は65玉に63龍までの1手飛余りではなく、44歩合に同龍66玉65龍までの3手歩余りが正しい詰手順だろう。となるとこの変化手順は17手歩余りとなって作意順より2手長い変長(変化長手数)ということになる。9月号の誌面ではあいまいな表現だったが、その後詰パラのHPでこの作品は変長があるために不完全作と認定し、入選取消と順位戦降級の取り扱いに修正すると告知された。
 このように後追いで取り扱いが変更されたりしたのでTwitterで論議をよんだわけだが、無駄合かどうかは微妙なところもあるし、仮に変長だったとしても、変長を不完全とするかどうかもまた意見の分かれるところだろう。実際、ぼくがこの作品を解いたときもここで引っかかって、合駒して変長じゃないのかな、でも作品が掲載されているところをみると、これは無駄合という判断なのかなとちょっと考えさせられたものだ。ちょっと釈然としないので作品の評価を1段階下げた。ぼくが気がつくくらいだから大方の解答者は気がついていて、まあ小キズではあるけれど作意順はすばらしいからと不問にした人もいるだろうし、ぼくと同じに気になって評価を下げた人もいるだろう。つまり、解答評価の段階でこの問題も加味されているとすれば、ことさら不完全作としないで現評価のままでいいような気がするが。そもそも作者の則内氏はベテランなのでこの問題を当然認識しているはずで、そのうえで出題されたということは、キズではあるが出来には自信があるということじゃないのかな。

2020年9月 4日 (金)

市電に女性専用車

 乗り物ニュースに目を疑うような記事が。市電といっても札幌市ではなく熊本市電の話で、「市電車内における迷惑行為(痴漢・盗撮等)の防止を図り、安心して利用いただける環境を提供するために、次のとおり「女性専用車両」の試験導入を行います。」(Webページお知らせ)とのことで、9/14~12/28の間の朝の8本について2両連接車の後部車両を女性専用とする。
 ひところ話題になって通勤時間帯を中心に次々に導入された女性専用車だが、それらはすべて車両がたくさんつながっている都会のJRや私鉄の話で、地方の路面電車でしかも2両編成の半分まるまるが女性専用車とは前代未聞だ。
 朝の混雑する電車で前半分に押し込められる男性陣も気の毒だけど、一時東京暮らしをしていた娘の話では、化粧の匂い等で気分が悪くなるので女性専用車には乗らないといっていたし、すべての女性に歓迎されるわけでもないような。
 そもそもなんで熊本なんだろう。熊本ってそんなに痴漢・盗撮被害が多いのだろうか。それならそっちの根本的な対策が必要なのでは。

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熊本市電連接車(ヒゴ清正さんによる写真ACからの写真)

 

2020年9月 3日 (木)

平岸天神山

 平岸天神山に行ってきた。天神山は札幌市街地の大半をを収める豊平川扇状地の頂端付近の突起にあたり、頂上の標高はたかだか89 mだが、北側の低部からの標高差は50 mくらいある。平岸には住んでいたこともあるが、天神山には行ったことがなかった。
 地下鉄を南平岸駅で降り、平岸街道へ出て左折するとすぐに澄川方面の扇状地頂端への上り坂となり、その右側のさらにこんもりとした高まりが天神山だ。入口に平岸天満宮があって、石段を上った社殿がもう標高70 mを越えていてその裏手から山を一周する遊歩道がある。最高点は南側にあって、木の間越しに中心部のビル街を望める。
 山頂周遊路のちょうど平岸天満宮の裏手あたりにひっそりと石川啄木歌碑がある。啄木の歌は昔から好きで、いまでも新潮文庫「一握の砂・悲しき玩具」昭和45年版定価100円は座右にある。啄木と平岸は特に縁がなかったはずだけどなと思って歌碑をみると、

 石狩の都の外の
 君が家
 林檎の花の散りてやあらむ

 ああ、これは。函館の代用教員時代に啄木が思いを寄せた橘智恵子女史を歌った歌だ。智恵子の実家が札幌の林檎農家で、啄木が何かを送った返礼に林檎が送られてきたときの歌だったと記憶する。ちょっと調べてみたら、智恵子の実家は平岸ではなく今の東区役所のあたりだったという。だから天神山の歌碑は平岸の林檎にひっかけただけなのだろう。その東区役所近くの実家跡には林檎の碑があって啄木のことも触れられているそうだ。これはこんど行ってみなくては。

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平岸天満宮
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手書きの頂上標示板から北方展望
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啄木歌碑

 

2020年9月 1日 (火)

8月の総括

 9月になった。
 相変わらずの新型コロナのうえに、猛暑から台風だ、どこぞの総裁選だ、と世間はかまびすしいが、こちらは相も変わらぬ毎日が続く。
 退職してなにがまずいかというと、生活にメリハリがなくなる。もとは教員という曜日が生命線の毎日だったのに、今では平日週末の区別すら関係ない生活をしている。いつの間にかどんどん日が経つ。限りある人生なのにこれはよくない。日々の振り返りと反省をして明日の生活に活かさねばならない。日記はすでに書いているので、月の変わり目に総括をすることにした。それをブログに晒せば逃げ隠れできない。

 8月の記録(7月比)
  エクササイズ日数 26(0)
  走行距離(換算km) 155.4(-17.7)
  総エクササイズ(Ex) 230.0(-46.1)
  踏査三角点数 2(-5)
  読了本数(冊) 8(0)
  詰パラ学校解答数 23(+4)
  ブログ記事数 23(-1)

 数値化できるものじゃないと客観的指標にならないので、急にはこれくらいしか思いつかなかった(飲んだビールの本数? あ、いやそれは...)。8月は相対的に戸外のアクティビティが落ちている感じだな。7項目中4個もマイナスがついたので、今月はそこを目標にしよう。

200901
夏の終わり

 

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