林檎の碑
平岸天神山にある啄木の歌碑を見に行った話を以前のエントリで書いた。そのときに林檎農家だった橘智恵子の実家は平岸ではなく、東区役所の近くでそこに記念碑があるということを知った。これは啄木好きのぼくとしては行かねばならない、ていうか札幌に60年以上住んでいて何で知らなかったんだろう。
場所は、東区北11条東12丁目。地下鉄東豊線の東区役所前駅と環状通東駅のちょうど中間くらいで、どちらから歩いても500 mちょっとというところだ。面している通りは道道273号花畔札幌線というのが正式名だが、碁盤の目の札幌には珍しい斜めの通りなのでななめ通りとかファイターズ通り(これはもうちょっと札幌駅寄りの方)とかの通称の方が有名だ。通りからちょっと奥まったところのリンゴの木陰に林檎の碑があり、その裏に由来が書いてある。
それをみると、この地に入植した橘仁氏が明治23年から林檎園を始め、亡くなった昭和5年に消滅したとある。一代しか続かなかったんだ。その仁氏の娘が橘智恵子(チエ)で、なんと啄木は2週間しかなかった札幌滞在時にここを訪ねてきたのだという。そのときは智恵子は不在で会えなかったのだが、前エントリに書いた歌はそのときのことだという。う~ん、そうだったのか。
その後智恵子は兄の友人である北村某に嫁ぐのだが、その北村というのが北村農場主だとは知らなかった。今は合併で岩見沢市になっているが、2006年までは北村という村があってその由来となったのが北村農場だ。大農場主の跡取りの嫁になったというわけだ。
石狩の空知郡の
牧場のお嫁さんより送り来し
バタかな
第二歌集「悲しき玩具」に採られているこの歌は、歌集の返礼だったかな、その北村智恵子から貧窮の病床にあった東京の啄木へ当時貴重だったバターが送られたときのものだ。それが北村農場なのか。しかも農場にはこの歌を刻んだ歌碑があるのだという。これはなんとしても行ってみなくては。宿題が宿題を呼ぶ(笑)。
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