今期2回目の踏査行はまた厚別から大麻方面へ。昨秋からずっと似たようなところばかり歩いている気もするが、近くには手ごろな三角点がまだまだあるので、もう少し続きそうだ。まずは厚別町山本にある「田中」、探訪日は2022年6月14日。
場所はJR厚別駅のほぼ真北2キロの位置なので、厚別駅から歩く。厚別駅は「厚別」を探訪した日に利用したが、今回は正面の南口ではなく西口に降りる。後からつくられた西口は跨線橋上にあり、並行する南北自由通路の橋の上に抜けられるようになっていて、ここから駅の線路の北側へも南側へも出られる。つまり本来の南側の地上駅があるうえにさらに橋上駅が併設されているといった按配だ。おもしろいつくりだ。
北出口(A地点)から線路沿いに東方へ300 m歩き、まちづくりセンターの標識がある交差点を左折する(B地点)。そこから道なりにどんどん北へ進むと、厚別西公園、厚別通小学校を経て1 kmほどでT字路へ突き当たる(C地点)。T字路のすぐ左手に斜めに通る山本川という人工水路があり、その両岸に平行する道路があるので、その右岸沿いにさらに北へ進む。住宅地がきれて両側は造成された小産業地や老人施設などが点在している。また1 kmほどで一時停止標識のある大きめの交差点に出る(D地点)。そこを右折すると正面に厚別水再生プラザの入口がみえる。三角点はその入口をはいってすぐの右手にある。右側の門柱の裏手に鉄柵で囲われた区域があり、右側がシダーの植え込みになっている。鉄柵の右角のシダーの枝越しに先が赤い背の高い表示杭が立っているのが見え、その根元をのぞきこむと標石が見える。
点の記によると1983年6月14日設置となっているが、履歴には同年6月15日移転、旧設置1980年7月4日とあり、備考に旧位置より南西方向に約314 m移転となっている。三等三角点なので最初の設置はおそらくずっと古く大正時代なのだと思うが、1980年に新たに設置し直したものを1983年に現在地に移転したということだろうか。今昔地図には1975年の図に下水処理場と記載のある現在地より北に1キロくらいの山本公園の横あたりと、南に1キロくらいの厚別北中学校あたりに2ヶ所三角点表示がある(マーカー位置)。このうち南側の三角点はさらに古い1916年の地図にも表示があるので、おそらくこちら側が「田中」の前身ではないかと思う。
それともうひとつ、この点名の由来が分らない。田中という地名は近在にはないし人名のように思える。しかし同じ人名ならこのあたりの地名にもなっている山本とすればいいのに、田中とはどこからきたのか(ちなみに山本某はこのあたりの開拓者)。平成になって新設されたこのあたりの四等三角点には明らかに関係者の人名とおぼしき点名がみられるが、ここは来歴の古い三等点だからそれなりの名前のはずだ。気になる。
〇三等三角点「田中」
北緯 43°03′55″.1287
東経 141°27′52″.8960
標高(m) 6.78

厚別駅北出口(左側の跨線橋を上ったところに西口改札がある、A地点)

線路沿いからの左折点(B地点)

T字路へ突き当たる(左手に山本川沿いの道路、C地点)

山本川沿いの道路からの右折点(D地点)

正面に厚別水再生プラザがある

右側の門柱の裏、正面に鉄柵が見える

鉄柵の右角のシダーの枝越しに表示杭が見える

枝を分けて根元にはいると標石がある

三角点標石、表記は右書き

位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

新旧地図比較(今昔マップ on the web)