看板に偽りあり
幌向ネタをもうひとつ。といってもこんどは上幌向の話。
札幌から函館本線下り旭川方面の列車に乗ると、江別の先は豊幌、幌向、上幌向、岩見沢という順になっている。豊幌は江別市、幌向・上幌向は岩見沢市になるが、もともとこのあたり一帯は幌向太という地名で、幌向駅が官営幌内鉄道の駅として1882年に開業したときは幌向太という駅名だった。札幌から江別までは都市近郊という風景が続くが、江別を過ぎると一転して田園風景となり、ロングシートの電車に揺られていてもなんとなく旅に出たなという感慨を覚える。札幌・江別間はぼくが子どもの頃は苗穂、白石、厚別、野幌しか駅がなかったが、現在では平和、森林公園、大麻、高砂と4つも駅が増えた。それに対し、江別・岩見沢間の駅はその当時のままだ。岩見沢まではデータイムでも30分おきに普通電車が走っているし、札幌まで40分くらいだから十分通勤圏といえると思うが、まだまだのどかなところだ。
そんな上幌向駅に今日降り立ったのは先週に続いて三角点めぐりのためだが、最初の目的地が駅から500 mほどの国道沿いにある岩見沢観光バス営業所の構内だった。駅から国道を歩いて行くと入口に岩見沢観光バスという大きな看板があって、そのすぐ手前になんと腕木式信号機が立っている。ほおと思って近づくと、その根元のレール上に蒸気機関車の動輪が鎮座していて、C57 135のプレートがついている。え、こんなところにと一瞬驚く。C57 135といえば、オールド鉄道ファンなら知らぬ者のないといってもいいくらいの有名機で、1975年に室蘭本線で国鉄最後の客車列車を牽引した栄光の機関車だ。特にSLに思い入れのないぼくでも知っている。当然引退後も丁重に扱われ、現在はさいたまの鉄道博物館に保存されている。岩見沢は終焉の地とはいえ、こんなバス会社の片隅にあるはずのものではない。
それによくみると動輪のサイズがどうみても旅客機関車の大きさではない。いったいなんなんだこれは。周りには説明板のひとつもなくかいもく事情がわからない。帰ってネットで調べたらたちどころにわかった。これはC57ではなくD51 1086の第4動輪とのことだ。同機も同じ年の本線貨物最後の牽引機だったからそれなら納得だ。しかしなんでC57のプレート(もちろんニセ物)が付けてあるのか。紛らわしいというか知らない人が見たら誤解するだろうに。同じ展示するにしてもきちんとしてほしいものだ。まったく鉄道の町岩見沢の会社にあるまじき行いだと思うが。
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