丸墓山
といっても知っている人は、地元の人か、古墳や歴史のコアなファンか、あるいは「のぼうの城」(和田竜)を読んだ人かだろう。ぼくはその最後のやつで、昨日読み終えた。すこぶるおもしろいので、未読の方はぜひご一読を。するときっと丸墓山へ行ってみたくなること請け合い。
この小説は石田三成の忍城攻めの話だが、忍城というのがまた余所者にはわかりにくい。昔、戦記物を読んでいて、武州忍藩の兵が忍城から進攻してみたいな話がでてきて、はてなとなった。どこだそれ。ぼくを含め鉄道ファン、なかでも乗り鉄といわれる物好きは、全国の鉄道を乗り歩いているので、自然地理や地名に詳しくなる。しかしそれには大きな穴があって、路線や駅名に出てこないところは、存在しないかのように無視されがちだ。北関東に忍などという地名は聞いたことがないぞと調べてみると、現在の埼玉県行田市の中心部だった。行田なら秩父鉄道が通じているから知っているし、通ったこともある。行田藩とか行田城といってくれればわかったのに。
その忍城の南側に丸墓山という小山があって、そこに2万の寄せ手が布陣した。秀吉の小田原攻めのときの話だ。三成は丸墓山の左右に長大な堤を築いて、川水を引き込んで湖中に忍城を孤立させた。なかなか壮大な水攻めだが、この城はそれでも落ちなかったという。いったいどんなところだろうと興味が湧こうというものだ。地図で見ると、丸墓山というのは山というより可愛らしい丘で高さは18 mくらいしかない。そもそもが名の通り古墳なのだ。たしかに関東平野の真ん中だし元々山のあるような場所ではない。うちの近所のモエレ山が52 mだからその1/3ほどだ。こんなところに2万の軍勢が陣を布いたとはにわかに信じがたい。ただ平地のただ中だから小なりとはいえ頂上からは遠望が利くのだろう。頂上に三角点があるのも好もしい。ぜひ上って石田三成の気分で、忍城を囲む平地に満々と湖水を湛えた様子を眼中に収めたいものだと思う。
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