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2023年9月

2023年9月30日 (土)

四等三角点「浅田」

 美唄市の三角点めぐりその2、不首尾に終わった「京極農場」から帰途につく。ここからは先へ進んで美唄駅へ出ても光珠内駅へもどっても同じくらいの距離だ。美唄周辺は他の三角点もあるのでそこは次回にして、光珠内へもどることにした。帰りがけに「浅田」に寄ることにする。探訪日は同じく2023年9月3日。

 「京極農場」まで来た道をさらに東へしばらく歩くと一灯式信号の交差点に出る(H地点)。「浅田」までは碁盤目状の農地をどう歩いても同じ距離だが、まずここを右折することにする。2ブロック進んで交差点を左折する(I地点)。さらに1ブロック先の交差点を右折する(J地点)。ここにも美唄市民バスのバス停がある。右折すると右手の先に青い屋根の民家が見え、近づくとその敷地の手前角の道路際に三角点標石が見える。「京極農場」から約40分。

 ここまでくると光珠内駅が近い。駅から来るときはまず鍵交差点(C地点、「保安林」参照)まできてそこを右折し、突き当りのT字路(L地点)を右折、すぐにまた左折(K地点)して直進すると青屋根の家の前に出る。駅から30分ほどだ。

 点の記によればここは1977年の設置。標石は「一区」と同じタイプ。点名の「浅田(あさだ)」は、青屋根の家が浅田宅となっているので、個人名がつけられたもの。敷地の一角に自分の名前がついた三角点があるなんて、なんとうらやましい。

〇四等三角点「浅田」
 北緯 43°18′29″.9698
 東経 141°50′29″.8562
 標高 (m) 23.59

 

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「京極農場」入口の道路から東方向(G地点)

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注意信号の交差点(H地点)

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右折した南方向(H地点)

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2ブロック先の交差点(I地点)

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左折した東方向(I地点)

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1ブロック先の交差点(J地点)

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右折した南方向(J地点)

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三角点(矢印)のある家屋手前の角

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全景

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標石

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鍵交差点(C地点、右折)

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右折した北東方向(C地点)

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T字路に突き当る(L地点)

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右折した東方向(L地点)

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すぐ次の左折点(K地点)

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左折した北方向(K地点)

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左手の住宅の先の角が三角点

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位置図b(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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位置図a(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2023年9月29日 (金)

三等三角点「京極農場」

 美唄市の三角点めぐりその2、「保安林」から北へ転じて「京極農場」へ。探訪日は同じく2023年9月3日。

 「保安林」までたどってきた道を少し西へ進み、次の交差点を右折する(E地点)。この舗装道路が五号線で、3ブロック直進して交差点を右折する(F地点)。右折してすぐに右手の家屋へはいる道がある(G地点)。ここまで「保安林」から25分ほど。三角点は家屋の向こう側の庭先みたいなところにあるはずだが、近づいてみると家は廃屋のようで玄関先まで草が茂っている。その先の庭があった部分も一面の丈高い雑草に覆われている。G地点からの取り付き道路を進んでみたが、とても分け入ることのできる感じではない。残念ながらここで断念となった。

 点の記によればここは1974年の設置で、1988年に移転となっているが、三等三角点であり最初の設置はもっと古いだろう。HINATA GISの古地図(1935)をみると、現位置の200 mくらい南に三角マークがある。点名の「京極農場(きょうごくのうじょう)」は古地図にも表記があり、この場所にその名の農場があったことに由来するのだろう。

〇三等三角点「京極農場」
 なし

 

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「保安林」までの道路から西方向

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すぐ次の交差点(E地点)

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右折した北方向(E地点)

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3ブロック先の交差点(F地点)

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右折した東方向(F地点)

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三角点のある家屋への入口(G地点)

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右折した家屋方向(G地点)

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廃屋の向こう側が三角点位置

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物すごい藪の中

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位置図a(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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位置図b(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2023年9月28日 (木)

四等三角点「保安林」

 美唄市の三角点めぐりその2、「光珠内西」の次はさらに西へ進んで「保安林」に向かう。探訪日は同じく2023年9月3日。

 橋の際の「光珠内西」からそのまま北東方向へ農道をたどる。舗装道路を横切る交差点に出るのでここを左折する(C地点)。この交差点は今回の鍵交差点で、右折すると光珠内駅方向、直進すると「浅田」に行ける。角に美唄市民バスのバス停「共進」があり、1日に3本バスがくるようだ。舗装路を歩いて突き当りの変形T字路を左折する(D地点)。西方向へ歩いて防風林帯の手前の水路にかかる橋の手前左側の水路沿いの荒れ地が三角点位置だ。注意してみると歩いてきた道からも草むらの陰に標示柱が見えるが、ちょうどそこだけ草むらの裏でわかりにくい。横道へはいってゴミの散乱する荒れ地に踏み込んでみるとすぐに標石が見つかる。「光珠内西」同様標石が地上に突き出ているので見つけやすい。

 光珠内駅から直行する場合は、駅前から左の細道をたどり、突き当りの舗装道路を左折する(M地点)。踏切を渡って2ブロック進んだところが鍵交差点(C地点)でそこを直進すればよい。

 点の記によればここは1977年の設置で、2003年に低下改埋となっている。移設ではなく同じ位置に埋め直したということだろうか。点名の「保安林(ほあんりん)」は、すぐ横の防風林のことだろう。これも「畦道」や「水路」と同じ非特異的安易名称だな。

〇四等三角点「保安林」
 北緯 43°18′27″.8812
 東経 141°49′07″.5291
 標高 (m) 14.74

 

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「光珠内西」から北東方向

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舗装道路との鍵交差点(C地点)

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左折した北西方向(C地点)

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斜めに別の道に突き当たる(D地点)

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左折した西方向(D地点)

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防風林帯手前の水路の橋の左が三角点位置

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水路横から道路を見上げる

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別角度から(右上が歩いてきた道)

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標石

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光珠内駅前から左手の細道(A地点)

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舗装道路に突き当たる(M地点)

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左折した北西方向(M地点)

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2ブロック先の鍵交差点(C地点、直進)

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入) 

2023年9月27日 (水)

四等三角点「光珠内西」

 美唄市にはいった三角点めぐり、その第2回はまず光珠内駅西側の「光珠内西」へ。探訪日は2023年9月3日。

 前回の終点光珠内駅からスタート(A地点)。まず駅前から右手の細道をT字路まで、前回「水路」から歩いてきた道を逆にたどる。T字路(B地点)を右折して今度はそのまま踏切を渡って直進する。田んぼの間のダートの細道を進み、防風林帯を抜けた次の交差点が三角点位置だ。右折して水路にかかる米沢農場橋を渡ると橋桁の左裏すぐに黄色三角ポールが立っていて、下に標石がある。橋の際の狭いところだがちゃんと保護石に囲まれている。光珠内駅から20分くらい。

 点の記によればここは1977年の設置で、2002年に移転となっている。標石は「一区」と同じタイプ。点名の「光珠内西(こうしゅないにし)」は所在地からつけたもので、線路をはさんで山側に「光珠内東」というのもある。2010年調整の点の記には所在地が「美唄市字カーウシュナイ」となっているのがおもしろい。正式の地番がこうなのだろう。

〇四等三角点「光珠内西」
 北緯 43°17′52″.0623
 東経 141°49′55″.9183
 標高 (m) 16.26

 

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光珠内駅(A地点)

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駅前から右手の細道(A地点)

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T字路に突き当る(B地点)

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右折した踏切方向(B地点)

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三角点のある交差点(橋を渡った左)

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橋のすぐ裏

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別角度から(左上が歩いてきた道)

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

 

2023年9月25日 (月)

パズル通信ニコリ184号

 今月10日発売のパズル通信ニコリ184号。今回は2週間でだいたい解き終わった。今号の大盛りは、スラローム。すらすら解けるので大好きだ。遠回りの意外性がキモなので盤面が大きいほど面白い問題がつくれると思う。今回は大きいのでも17×17なのでその点いまひとつ。13番はちょっとおもしろかった。大盛りなのだからスーパージャイアントにも取り上げてほしかったな。いやスラロームのSGってこれまであったっけ。今号のSGはスリザーリンクと美術館。スリリンは3をどっちへ回すかがなかなか決まらず、間違えるとガラッとつながりが変わるので緊張した。でも慎重につないでいけば大丈夫。美術館の方は、最後の最後に破綻して目の前が真っ暗になったが、なんとか部分修正で乗り切れた。あってるかな。

 レギュラーパズルのコーナーはどうも低調な感触。特にインパクトのあるものがなく、可もなく不可もなしで解けてしまった。オモロパズルのシンカミノは意外なつながりの発見がダブルチョコ的なところがあるな、これ大判にしたらおもしろいかも。巻頭の特集は今回は理科ということでちょっと期待だったけど、なんだかな。毎回書くけど、特集といっても独自のパズルになるわけではないので、あまり意味がない。リトマス試験紙なんて全然パズルになってないし。あ、特集からはずされたという天秤の古典パズルはおもしろかった。こういうのを考えるのは好きだ。

 そういえば、理科ということで分子模型が紹介されていたのにはびっくり。紙で作る分子模型はいろいろあるが、PuzMolというのは知らなかった。んーでもこれ基本的にsp2の平面炭素モデルなのがちょっと残念。やはり模型が威力を発揮するのは立体モデルなので、sp3炭素をつくってほしい。ぼくは昔現代化学誌に載っていたテトラポッドみたいなのを楊枝でつないていくやつを愛用していたけど、あれはその点優れものだった。それはともかく、分子模型なんてものを取り上げてくれたこと自体は大いに評価したい。前号の詰将棋パラダイスといい、なかなか攻めてるなと思う。

 気になる巻末はさみ込みの懸賞応募はがきの質問事項、今号のは「今号の「パズル通信ニコリ」を、あなたはどのように入手しましたか?」だ。サブスク分は把握できてるだろうから、それ以外といったら書店かネット通販しかないのでは。それとてそれぞれの配本数はわかっているはず。返品不可の買い切り制なので、出荷した分のうちどれだけ売れたかがわからないのかな。何が気になるのだろう。売り方を再検討中とかか。

 

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パズル通信ニコリ184号

2023年9月23日 (土)

読書用眼鏡

 京極堂シリーズ最新刊「鵼の碑」が発売になった。前作刊行時にタイトルが予告されてから実に17年ぶりの実現だ。それまでは数年間隔でシリーズ作が連続刊行されていただけに、この長きにわたる遅滞はいろいろな憶測をよんでいた。それはともかく、首を長くして待ち続けていた一ファンとしてはとてもうれしい。

 これは心して読まねばならないということで、読書眼鏡をつくった。ぼくは外出時は眼鏡をかけているが、左右の視力差が大きく、裸眼でも日常生活ではほとんど不自由しない。というのも、右目は視力が0.6あるので、遠くがそこそこ見えるし、左目は視力0.15の近視のおかげで老眼の進みが少なく、近くのものがちゃんと見える。つまり遠くは右目、近くは左目と分業して困らないというわけだ。脳というのは大したもので視線を動かしてもギャップはまったく感じない。

 眼鏡で矯正すれば両眼で見えるようになるが、遠くも近くもというわけにはいかないので、遠近両用というひずんだレンズを使わねばならない。これがなかなかやっかいなものだ。しかも歳とともに老眼は進行し、それにつれて近視が改善されてきたりする。眼鏡はつくりかえねばならない。それでなくても眼鏡は邪魔だ。冬は曇るし夏は暑い。なので、家の中では裸眼で暮らしている。それがここへきてなんか目が疲れるなと思ったら、右目の老眼が進行して本の字がかなりぼやけているのに気づいた。かといって本を遠くするとこんどは左目が見えにくくなる。というわけでこの機会に読書専用の眼鏡をつくることにしたのだ。

 たしかに快適だ。読みやすい。もっと早くつくればよかった。が、いいことばかりではない。ほんとに手元しか焦点が合わないので、本から顔を上げるとたちまち視界がぼやける。壁の時計すら見えない。専用なので融通が利かないのは当然なのだが、あらためて裸眼の便利さを思い知らされた。

 

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準備万端

2023年9月21日 (木)

光珠内駅

 岩見沢から旭川方面に向かって峰延の次の駅が光珠内駅。ここは明治時代の北海道炭礦鉄道開業時からの駅である峰延とは違って、戦後(1948年)新しく設置された駅だ。周囲はのどかな田園地帯で、駅利用者数も周辺の集落密度も峰延よりも小さい(1日平均駅利用者数は21人(2014))。数年前まで近くに専修大北海道短大があったが、電車通学客はほとんどいなかっただろう。

 駅舎は古びた昭和の造りだが、正面の駅名額はなかなか立派だ。駅前右側には開駅三十年記念碑が建っている。駅舎内はガランとしてイスが数脚あるだけで券売機すらないところは峰延と同じだ。配線は駅舎側の片面と跨線橋で結ばれた島式ホームの2面3線配置だが、中線は今はたぶん使用されていない。

 

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駅舎(2023.8.29、以下同じ)

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風格ある駅名額

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駅前通り

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駅横の開駅三十年記念碑

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ホーム側から駅舎

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1番線から岩見沢方面

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1番線から美唄方面

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駅名標

2023年9月19日 (火)

四等三角点「水路」

 美唄市域の三角点めぐり、「峯延原野」をうまいこと発見して気をよくして帰途につく。来た道を戻るのも芸がないので、距離的にはほとんど変わらないし、ひとつ先の光珠内駅を目指す。ついでに通り道にある「水路」に寄れるという余禄もある。というつもりだったが、そうは問屋が卸さなかった。探訪日は同じく2023年8月29日。

 「峯延原野」のある角から二十五線を先に進み、ぶつかったT字路を左折する(J地点)。そこから1ブロック先の十字路を今度は右折する(K地点)。道なりにどんどん歩いて防風林を横切り、水路に架かる橋を渡った少し先の道路脇右側が三角点位置だ。「峯延原野」からは30分ちょっとだ。この道をさらに進んでJRの踏切を渡った先を左折して線路沿いの細道をたどると25分ほどで光珠内駅に行ける。

 さて、三角点のある道路脇の水路沿いはびっしりと丈の高い雑草が茂っていて、見通しが利かない。目印になる標柱でも立っていればいいが、そんなものも見当たらず、ちょっと踏み込んでみたくらいでは見当がつかない。こりゃだめだとあっさり撤退する。一年でも一番旺盛に草が茂る季節でもあり、こういうことはこれまでもあった。こういうところは春先か晩秋に来なきゃだめなのだ。

 点の記によればここは1977年の設置で、1983年に移転されている。点名の「水路(すいろ)」は、そのままだ。芸のないこと「畦道」と同じ。

〇四等三角点「水路」
 なし

 

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「峯延原野」の角からさらに進む

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突当りの舗装道路を左折(J地点)

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左折した北方向(J地点)

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次の交差点を右折(K地点)

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右折した東方向(K地点)

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道なりに歩いて防風林の先の右道路際が三角点位置

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びっしり草が茂って踏み分けてもわからない

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光珠内駅から向かう場合(光珠内駅、N地点)

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駅前から線路沿いに南方の細道(N地点)

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一旦突当たってクランク状に線路沿いに進む(M地点)

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「水路」につながる道路のT字路を右折(L地点)

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右折した北西方向(L地点、防風林の手前が三角点位置)

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2023年9月18日 (月)

三等三角点「峯延原野」

 美唄市域の三角点めぐり、「一区」「畦道」と峰延駅近くをうろついた後はどこへ行こうと考える。いくつか選択肢があるが、少し歴史のあるところも見ようと「峯延原野」へ足を延ばす。探訪日は同じく2023年8月29日。

 「畦道」から少し戻って、手前の十字路を北西方向に折れる(G地点)。正面に連なる防風林の間を抜けてどんどん進むと、ちょっと大きな道路の交差点に出る(H地点)。峰延駅から直接来るときは、ここを目指して来ればよい。「峯延原野」へは右折しても行けるが、直進した方が少し近い。交差点を直進して道なりに途中で右斜めに曲がり、その先の二十五線との交差点を右折する(I地点)。そこからはすぐで、右手の田んぼの農道の角が三角点位置だ。ここまで「畦道」からは30分ちょっと。峰延駅からだと1時間くらいの距離だ。ぼくはこの後光珠内駅へ抜けたが、そちらから歩いても約1時間と同じくらいの位置になる。

 さて、地図上は三角点のある農道の角だが、それらしいものは見あたらない。ここは基準点成果等閲覧サービスにも写真が載っていないので、地図以外に周囲の状況の情報がない。曲がり角の草むらと砂利が寄せてある道路の境目あたりをよくみると、周囲とそぐわない丸石が顔を出しているのに気づいた。いかにも三角点の保護石っぽい感じだ。これが怪しいなとその前の砂利を移植ごてで掘ってみると、はたせるかな平らな標石上面が顔を出した。草がかぶっているよりも見つけやすくてよかった。

 点の記によればここは1914年の設置で、1997年に移転、柱石交換となっている。旧位置はHINATA GISの古地図(1916)によれば、現位置の100 mくらい南東の田んぼの中だ(新旧地図十字線位置)。当時はこのあたりは美唄原野と表記されている一面の原野で、何の目印もないところによく作ったものだ。その後、田地が造成されてその区画整理かなんかで移設されたのだろう。点名の「峯延原野(みねのぶげんや)」は、美唄原野だと広範囲すぎるので、近くの峯延の地名を採ったのだろうか。いずれにしても渺々と広がる荒涼地を思わせるよい名前だ。今は峰延と書くが、明治時代は峯延の字が普通で、鉄道の駅も開業時は峯延駅だし、集落の社も峯延神社だった。

〇三等三角点「峯延原野」
 北緯 43°17′20″.0406
 東経 141°48′24″.7913
 標高 (m) 17.11

 

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「畦道」手前の分岐点から北西方向(G地点)

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道なりに進んだ右折点(I地点)

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右折した進行方向(I地点)

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三角点のある角(矢印あたりに三角点)

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角の砂利敷の脇に保護石がみえる(矢印)

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保護石(矢印)の前の砂利を掘ると標石があらわれる

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道路側から見た位置関係

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反対側から見た位置関係

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標石

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位置図a(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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位置図b(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(HINATA GISより, 左が1916年)

2023年9月17日 (日)

四等三角点「畦道」

 美唄市内にはいった三角点めぐり、「一区」に続いてはすぐ近くの「畦道」へ。探訪日は同じく2023年8月29日。

 「一区」まで歩いてきた小径を道なりにさらに前進する。すぐに右手の水路に橋が架かったT字路に出る(F地点)。そこを右折して、正面に見える農園の家の方へどんどん進むと、舗装道路に出るので、横切ってそのまま直進する。この道路は峰延駅から歩いてきたときに国道12号線から折れた道だ。なので「一区」に寄らずに「畦道」に直行するなら、踏切を越えた先で左折しないでまっすぐ来るとここに出る。さらに小径を直進して小さな十字路を過ぎる(G地点)。ここを左折すればH地点を経て次に向かう「峯延原野」方面へと通じている。十字路を直進すればすぐ右手の道路脇に三角点の黄色プレートポールが立っていて、その根元に保護石4個に囲まれた標石がある。「一区」から10分くらい。

 点の記によればここは「一区」より少し古い1977年の設置で、どういう事情か翌1978年に移転となっている。標石正面の「三角点」表記の字体は「一区」と同じだ。なんとものどかな点名の「畦道(あぜみち)」は、あまりに普通名詞すぎてほとんど場所の特定の役割を果たせていない。まあ四等点だしこの近所の他の三角点と区別できさえすればいいのだろうが、もうちょっとどうにかならないものか。

〇四等三角点「畦道」
 北緯 43°16′25″.9452
 東経 141°49′11″.8208
 標高 (m) 21.23

 

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「一区」から先に続く小径

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すぐに右に曲がるT字路(F地点)

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右折した進行方向(F地点)

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小径を進んだ「峯延原野」との分岐点(G地点、直進する)

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すぐに右手の道路脇に三角点標識と標石がみえる(矢印)

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全景

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保護石と標石

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2023年9月16日 (土)

四等三角点「一区」

 三角点めぐり、千歳線方面が一段落したので、青春18きっぷ消化をかねて昨年の続きの函館本線下り方面へと転進する。昨年は岩見沢を過ぎて峰延へ到達したところまでだったので、今回は峰延駅がスタート。まずは駅のすぐ裏手の「一区」へ向かった。探訪日は2023年8月29日。

 札幌からの電車を岩見沢で乗り継いで峰延駅に下車。目的地は駅の北側300 mくらいの近さなのだが、駅にはそちら側の出口がないので、駅舎のある南東側に出てぐるっと遠回りしなければならない。見覚えのある駅前からまず左手の細道にはいる(A地点)。突き当りに大心寺という立派な寺があり、北海道八十八ヶ所霊場の幟が立っている。興味がないわけではないが、今日はそのまま通り過ぎる。道なりに右に曲がって国道12号線へでるので左折する(B地点)。美唄方面へ少し歩いて次の信号を左折する(C地点)。 踏切を渡ってすぐの細道へ左折する(D地点)。ダートの細い農道を前方の林に向かって歩き、クランク状に曲がって水路を渡ったところで右に入る(E地点)。あとは道なりにカーブしてゆくとY字路に出て、正面に三角点の黄色プレートポールが立っているのが見える。その根元に立派な保護石3個に囲まれた標石がある。遠回りしても駅から歩いて15分ほどだ。

 点の記によればここは1980年の設置。平成に入ってから設置されたところも多い四等三角点の中では古い方で、昨年訪問した近在の「大願町」「峰延町」と同時期だ。そのせいか標石正面の「三角点」表記の「角」の字が篆書体(内側が人2つ)になっている。点名の「一区(いっく)」というのは、所在地が峰延町峰樺一区にあるためだろう。

〇四等三角点「一区」
 北緯 43°16′02″.9762
 東経 141°48′53″.6449
 標高 (m) 22.98

 

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峰延駅(A地点)

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駅前から左手の細道(A地点)

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突き当りの寺

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寺の横から国道12号へ出る(B地点)

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国道からの左折点(C地点)

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曲がった踏切方向(C地点)

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踏切を渡った先の左折点(D地点)

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曲がったダートの道

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林の手前を右に折れる(E地点)

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カーブ地点に三角点標識

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2023年9月14日 (木)

南千歳駅

 千歳線本線と新千歳空港支線、石勝線の分岐駅である南千歳駅。すべての列車が停車する主要駅だ。2面4線のホームをもち、原則として外側の1,4番線に千歳線本線と石勝線、内側の2,3番線に新千歳空港支線列車が発着する。もともとは千歳空港旧ターミナルへの連絡駅(千歳空港駅)として1980年に開業した。その後、1992年の新千歳空港ターミナル供用開始時に、新千歳空港駅(地下)までの支線が開業し、この駅は空港連絡の役目を終了して南千歳駅と改称された。

 千歳空港駅時代はこの駅で乗り降りして長い連絡橋をターミナルビルまで歩いたものだ。が、南千歳駅となってからはその必要がなくなったので、この駅に降り立ったのは初めてだ。昔の連絡橋は切断されて断面のシャッターが下ろされたままで、改札口前からみると廃墟のようだ。こっちへ行って出口があるのだろうかと不安になるが、シャッターの手前左に非常口のような出口があって国道沿いの歩道にある南口へ出ることができる。もっともほとんど利用者はいない。地上に出たところに自転車が何台か止められいていたが、たぶん千歳科学技術大学関係者が大学アクセスに使っているのだろう。

 一方、反対側の北口は大型商業施設であるアウトレットモール・レラへのアクセス口で、歩けば5分とかからない便利さだが、たぶん大方の人は車で来るから、JR利用者は少ないだろう。そもそもレラそのものも北広島に三井アウトレットパークができてからは、そっちにお客を取られて不振のようだし。上記の千歳科技大や鳴り物入りで建設中のラピダス新工場など、近在に大型施設もあるのだが、駅の利用者増にはつながりそうもない。

 というわけで、この駅はもっぱら苫小牧方面、帯広方面、新千歳空港方面相互間の乗換駅としての機能が主な役割になっている。そのためホーム上には囲われた待合スペースがあり、橋上の改札内にも今どきには珍しく喫煙室が併設された立派な待合室がある。改札外の待合スペースは売店前にイスを並べた一角だけなので、改札口を出入りする客よりも改札内の乗り換え客の利便性が優先されているのだ。そういえば、支線終点の新千歳空港駅を改良して苫小牧方面へ直通できるようにする計画があるが、そうなればここは千歳線列車が通らなくなる。そのときはどうなるんだろう。

 

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橋上駅の改札口(2023.8.21,以下同じ)

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北口方面の通路

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北口

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南口方面の通路

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突当り左に不安な出口

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なんとか出られそう

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南口

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1,2番線から千歳方面(発車してゆく札幌行き3841M)

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3,4番線から苫小牧方面(発車してゆく函館行き10D)

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駅名標

2023年9月13日 (水)

詰将棋パラダイス2023.9月号

 詰将棋パラダイス9月号、到着は8月30日。え、もう来たの。全然解き終わっていない8月号を前に嘆息。結果稿は6月分。そうか学校はお休みの月だ。代わりに順位戦と同人室がある。順位戦をガシガシ解いていたこともあったけれど、最近は難解作は敬遠することにしているので、今年もまったく並べてすらいない。なんで順位戦てこんなに難しいのばかりなんだろうね。15手以内なのに各クラスとも全解者がせいぜい30人くらい。ふだんの高校の半分だ。難解作が高評価されるのってどうなんだろうと思ってしまうが、それはできないものの僻みだな。

 そこへいくと同人室は楽しい、というようなことを毎年書いている気がする。今回のお題は「邪魔駒消去2枚以上」とわかりやすい。解くうえでも大きなヒントになるかというと、いったいどれが邪魔駒なんだかわからないものもあって、そうともいえないか。なかでもぼくが感心したのは10番山田康平氏の作品。これは今月の1題として末尾に取り上げたい。しかし、評価基準は人それぞれとはいえ、この作品が13題中10位の得点で、C評価が4名もいるんだから驚きだ。

 学校休みの月のお楽しみがもうひとつあった。神無一族の氾濫だ。しかし今回は奇抜なルールすぎて手も足も出ずに一つも解けなかった。解説を読むとなるほどなあと思う。「ルール名は複雑でも狙いは明快。フェアリーではそんな作も多いので、ややこしそうな作でも一度は解図を試みてください」とは担当者のことば。まったくおっしゃる通りでぐうの音も出ない。次回の12月号でがんばろう。

 そういえば忘れちゃいけない末尾のデパート。またこれがもう頑張って解くしかないでしょというすごいラインナップ。順位戦をパスしたので時間はたっぷりある。いや期待に違わぬ好作ぞろいだった。なんといっても4番岩村氏作、まず32歩生と開き王手すると33歩合が打歩詰で打てないというカラクリに気づいてびっくり。そこで受方は歩が打てるように攻方に利き駒を発生させる、という攻防に二度びっくり。どうやったらこういう笑っちゃうような発想が出てくるのだろう。奨励会三段にしておくにはもったいない才能だ(冗談)。

 今年は何年ぶりかで詰将棋全国大会が開催されて、そのレポートが今号に掲載されている。相変わらずおっさんの写真ばかりが並ぶ。参加者名簿が載っているが女性らしき名はほとんどない。詰将棋が男の世界だというのがよくわかる。ニコリで同じことをやったら女性比率はもっとずっと高い気がする(先日届いた185号の投稿者を数えてみたら全体の1/4くらいが女性と思われる)。同じ頭脳パズルでなんでこんなに違うのだろう。あと、作者側と解答者側を分けると作者側の人が圧倒的に多いように思った。もっとも、こういう会は出たい人と出たくない人が分れるので、これで全体を推し量ることはできないのだが。

 さて今月の1作は、上に書いた同人室10番山田康平氏作29手詰。手数からいっても、短大の最後におかれそうな自然な配置の一作だ。普通に解いてみると、玉がどんどん上部に逃げ出していって、龍で追っていくのだが詰みそうで詰まない。変だな。よくみると自駒の桂と香が邪魔になっているのだ。これがなければ詰むのに。というところで今回のお題に思い至る。そうか、このいかにも自然な置き駒が実は邪魔駒だったのだ。たしかにとうてい邪魔駒に見えない必要そうな駒が実は邪魔駒だったという作品はあるけれど、これはまた初期配置がきれいすぎて、まったく気がつかなかった。邪魔駒作品というお題でこういうのをサラリと作るセンスと技術、これぞ同人作家。

 

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詰将棋パラダイス2023年6月号同人室10番山田康平氏作

 

2023年9月11日 (月)

二等三角点「千歳」

 三角点めぐり千歳線シリーズ、前回のサッポロビール庭園の次は南千歳へと足を延ばす。途中の長都と千歳を飛ばしたのは、近辺の三角点がみな鉄蓋マンホール式でつまらないからだ。南千歳には前エントリ「最低分水界」で触れた「千歳」がある。探訪日は2023年8月21日。

 南千歳は元の千歳空港駅で、空港連絡の役目を終えた現在も快速エアポートをはじめ全列車が停車する。元の空港連絡橋はスッパリと断ち切られていて、薄暗いその末端から非常出口のような階段を下りると線路に並行する国道36号の歩道に出られる(A地点)。駅付近は道路の両側に歩道があるが、これから歩く苫小牧方面へは進行方向右側すなわち線路の反対側にしか歩道がないので注意が必要だ。すぐ先は国道36号から国道337号長沼方面と新千歳空港ターミナル方面への両側へ分岐する大きなインターチェンジで、車道が複雑に立体交差している。歩道はそれをできるだけ支障しないように2つの歩道橋を介して細々とつながっていて、歩くとなかなかおもしろい。

 まずは一つ目の道路を北千歩道橋で乗り越える(B地点)。越えた先は平面交差の信号があり、その先に二つ目の北翔歩道橋で別の道路を乗り越える(C地点)。その先に、また高架へ上ってゆく分岐があるが、これは行き止まりなので左手の地上を進む。ここを過ぎればあとは道道258号線との大きな交差点まで淡々と国道沿いを歩くだけだ。頭上を頻繁に飛行機が通り過ぎる。国道は交通量が多く、特にこの先にあるレンタカーの営業所への送迎バスが多い。立派な歩道があるのはありがたいが、千歳科学技術大学くらいしか行先がないので、ほとんど歩く人はいない。ぼくが往復した間に行き会ったのは歩行者1人と自転車1台だけだ。

 駅から30分ほどで大きな信号交差点に出るのでそこを左折する(D地点)。曲がった先の道道はすぐにJR千歳線をくぐって、石勝線を越えるオーバーパスへの上りへとかかる。その手前の右に千歳科技大への入口があるのでそこへはいる(E地点)。すぐに道道と並行する小径の入口があるのでそちらへ進む(F地点)。あとは道なりにどんどん行くと、右手に大学の野球場があらわれ、それを過ぎたあたりで、左手の石勝線の線路の向こうに広いレンタカー駐車場が見えてくるあたりが三角点の位置だ。線路との間は草が茂っているが、目印に白いポールが1本立っていて、その根元あたりへ草を踏み分けるとすぐに白い標石が見える。

 点の記によればここは明治時代(1910年)の設置と古く、1976年に現在位置に移転している。元の位置は約2 km西で、新千歳空港のど真ん中にあたる(新旧地図左マーカー位置)。空港拡張時に移設されたのだろう。点名の「千歳(ちとせ)」はいうまでもなくここの地名だ。

〇二等三角点「千歳」
 北緯 42°47′55″.0941
 東経 141°41′53″.9269
 標高 (m) 21.66

 

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南千歳駅出口と国道36号(A地点)

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出口から国道36号南方(A地点)

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北千歩道橋を上る(B地点)

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北千歩道橋を下る

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下った先の信号

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北翔歩道橋を上る(C地点)

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北翔歩道橋を下る

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その先の分岐は左へ

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飛行機が頻繁に来る

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道道258号(早来千歳線)交差点を左折(D地点)

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千歳線をくぐる(D地点)

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千歳科学技術大学の入口を右へ(E地点)

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すぐに左の細道へはいる(F地点)

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線路の向こうにレンタカー会社が見えるあたりに目印の長い杭(矢印)

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杭の根元の草を分けると標石があらわれる

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web)

 

2023年9月 9日 (土)

最低分水界

 北海道経済界の最近の大きな話題となっているのが千歳近郊にできるラピダスの新工場。その是非はともかく、工業用水をどこから供給するかということで、北の千歳川と南の安平川が候補になっている。千歳川は日本海へ、安平川は太平洋へそそぐ川であり、そのどちらからもアクセス可能ということは、工場は分水界近くにあるということだ。日本海側の札幌と太平洋側の苫小牧を結ぶJR千歳線や国道36号線はどこかで分水界を越えているのだが、ひょっとしたら多くの人は漠然と北広島あたりの丘陵がそれだと思っているかもしれない。実際は千歳市街を流れる千歳川は日本海水系なので、分水界は千歳と苫小牧の間にある。ちょうど新千歳空港あたりで、ラピダスの新工場もその近くというわけだ。

 このあたりの千歳川と美々川(太平洋側)の間の尾根の標高はたかだか20 mくらいしかない。日本海水系と太平洋水系を分ける日本の脊梁分水界のうち最も標高の低いのがここなのだ。ちなみに最も標高の高いところは乗鞍岳で3000 mを越えている。ということがわかるのは、以前日本山岳会が中央分水嶺踏査というのを行って、その記録が残されているからだ。ただし、実際の最低地点がどこかピンポイントではわからない。その場所は空港の滑走路になっていて、立ち入ることはできないし、そもそも造成された人工構造物なので、特定しても意味はない。山岳会のメンバーも踏査時には空港外を迂回している。

 なんで突然こんなことを書いているかというと、実はこの最低分水界近くの尾根に二等三角点「千歳」があるからだ。新千歳空港東側のJR石勝線沿いにあり、標高は21.7 m。ほぼ最低分水界といっていい位置だ。さらにいうと元来この三角点はいまの空港内の滑走路の場所にあり、空港拡張のときに現位置に移設されたものだ。歴史的にも最低分水界の三角点といっていいだろう。これは行ってみなければ、ということででかけてきたのだが、その話はまた別に。

 

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最低分水界あたり(国土地理院色別標高図に一部記入)

2023年9月 7日 (木)

釜加神社

 釜加神社といっても知っている人はほとんどいないだろう、と思うのはぼくが無知なせいで、ひょっとして知る人ぞ知る神社なのかも。千歳神社の末社で無格社という位置づけだが、Wikipediaにも項目がちゃんとある。場所は千歳市の北東のはずれで恵庭市との境に近い田園地帯。周囲は農地で、神社のあたりだけこんもりと木が茂っている。最寄り駅は千歳線サッポロビール庭園駅だが、歩いて1時間くらいかかる。もちろんわざわざ出かけたわけではなく、境内にある二等三角点「長都村」を見学に行ったので自然にお参りしてきたというわけだ。

 木々に囲まれた境内に鳥居と本殿があるだけの無人の社で、扁額もなく賽銭箱すらない。およそありがたみのない簡素なつくりだが、立派な狛犬は鎮座していて1953年産だと帰ってから知った。ほぼ同年代なのだ。神社の由来は明治時代にさかのぼり、ご神体の弁財天とともに納められていた厨子は千歳市指定文化財として保管されているそうだ。釜加(かまか)というのはこのあたりの昔からの地名だが、どういう由来なのかはわからなかった。

 

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鳥居

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境内の狛犬

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本殿


位置図

2023年9月 5日 (火)

三等三角点「奥牧場」

 お盆休みの学校敷地内三角点めぐり、「南篠路」に続いては地下鉄を乗り継いで東西線沿線にある「円山1」と「琴似」をまわった後、北上して札幌新道沿いの「奥牧場」へと向かった。探訪日は同じく2023年8月13日。

 「奥牧場」があるのは地下鉄北34条駅から近い北陽中学校の敷地内だ。北34条駅の1番出口は札幌新道の北側に面していて(A地点)、そこから西へ新道沿いに歩く。7分ほどで右手に学校のグラウンドがあり(B地点)、そこに沿って右にはいると北陽中の校舎がある。ここも栄東小と同様に立入禁止の標示があって中には入れない。幸い三角点はグラウンドの校舎寄りのフェンス際にあるガラス室(温室)とフェンスの間の草むらにあるので、歩道からフェンス越しに標石を見ることができる。

 点の記によればここは1913年の設置で、1997年に現在位置に移転している。元の位置は100 mほど南で、ちょうど札幌新道を渡った南側あたりだった(新旧地図マーカー位置)。さて、点名の「奥牧場(おくぼくじょう)」とは何だろう。調べてみると、旧い地図にはこのあたりに牧場らしきものや表記は見あたらないが、現在のJR新川駅の東側に北27条牧場公園というのがあり、反対側の西側には新川西まきば公園、新川まきば公園がある。どうもこのあたりは牧場という地区だったのではないか。札幌の地誌にくわしい方のブログをさがしてみると「新川まきばを歩く」という記事を見つけた。それによると現在の新川駅あたりは、明治末から大正初期に茨戸街道(現在の琴似栄町通)の東側が東牧場、西側が西牧場とよばれていたそうな。すなわち三角点位置は東牧場の奥にあたるので奥牧場となったのだろう。

〇三等三角点「奥牧場」
 北緯 43°06′02″.4880
 東経 141°20′06″.9019
 標高 (m) 8.55

 

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地下鉄北34条駅(A地点)

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1番出口から札幌新道西方(A地点)

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右手に北陽中グラウンドと校舎(B地点、矢印位置に三角点)

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入口側から見る(矢印位置に三角点)

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フェンスと温室の間に標石が見える

230905f
標石の拡大

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

230905zz
新旧地図比較(今昔マップ on the web)

2023年9月 4日 (月)

三等三角点「南篠路」

 お盆休みにこれまで敬遠していた市内の学校敷地内にある三角点を何か所か見てきた。昨今はセキュリティ強化で小中学校は関係者以外立入禁止となっているところが多い。学校開放で図書室や体育館が利用できるところなど立入禁止表示がないところでも、保護者でも地域住民でもない部外者が勝手に立ち入るのは気が引ける。かといって、フェンスの外から覗ける範囲に三角点があればいいかというと、子どもたちがいるところに外からカメラを向けたりするのも、あらぬ疑いを受けぬものでもない。といろいろ気を遣った結果、一番人気のなさそうなお盆休みの日曜日の朝に、とりあえず行ってみるかということになった。行ったのは「南篠路」(栄東小)、「円山1」(陵北中)、「琴似」(発寒南小)、「奥牧場」(北陽中)の4か所。まずは地下鉄栄町駅近くの「南篠路」、探訪日は2023年8月13日。

 地下鉄東豊線の北の終点栄町駅は、ちょうど北41条通と東15丁目通の交差点にある。1番出口から出ると目の前が東15丁目通で、ここから北へ歩く(A地点)。5分ばかり歩いた信号の交差点が北45条通で、ここを左折する(B地点)。左折してまた5分くらい歩いた交差点の右角に栄東小学校がある。三角点は交差点側の百葉箱の横で、黄色三角の標示ポールが立っているのが歩道から見える。北41条通に面した入口には関係者以外立入禁止の掲示があるのではいることはできないが、標示ポールの根元あたりは歩道からもよく見える。

 国土地理院の基準点等成果閲覧サービスに載っている三角点の状況と写真から、標石は地下に埋まっていて地表からは見えないようなので、のぞきこんでも痕跡は何もない。仮に敷地内に立ち入れたとしても、さすがに校地を掘り返すわけにはいかないので、状況は変わらない。標石を確認しないで踏査できたことにしてもいいかどうかは微妙なところだが、考えてみると、地下埋設のマンホールタイプの場合も、蓋を開けて中を確認しているわけではないので、上に土がかぶっているだけで同じことだともいえる。何も目印がなければともかく、黄三角ポールという公式の標示が立っている以上、その近辺にあるのは間違いはないのだから、まあこれで見つけたことにしてもよかろうということにする。

 点の記によればここは1978年の設置となっているが、三等三角点であり1910年代の地図にも表示はあるので、元々の設置はおそらく大正時代にさかのぼる。そのときの位置は今のJR太平駅の南側あたりだ(新旧地図マーカー位置)。当時このあたりは篠路村の南端近くで篠路列々布と呼ばれていたので、「南篠路(みなみしのろ)」と名づけられたのだろう。

〇三等三角点「南篠路」
 北緯 43°07′02″.2807
 東経 141°21′43″.5514
 標高 (m) 5.44

 

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地下鉄栄町駅1番出口(A地点)

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1番出口から東15丁目通北方(A地点)

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左折点から北45条通西方(B地点)

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右角に栄東小学校

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正面入口と掲示

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歩道から見える三角ポール(中央の木の間)

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地面あたりの拡大

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

230904zz
新旧地図比較(今昔マップ on the web)

2023年9月 2日 (土)

北海道バスフェスティバル2023

 今日は北海道バスフェスティバル2023に行ってきた。もちろん孫のお供だ。会場はイオンモール札幌平岡とちと遠そうだったが、道央道札幌南インターのすぐ近くなので意外と早く、東区の孫宅から車で20分ほどで着いた。まだ11時の開場前だったが、もう展示の準備が終わっていて、駐車場に居並ぶバスに乗せてもらえた。孫は子ども用の運転手の制服と制帽を着せてもらって本物の運転席に座ってご満悦。バスの運転手になってねと勧誘されていたし(笑)。
 屋内ではグッズ販売とかイベントコーナーもあったが、こちらは思ったよりこじんまりとしていた。ただ、なぜか沿岸バスの販売コーナーはすごい行列だった。なにか目玉があったのだろうか。前のプラレール博もそうだけど、こういうのは子どもはもちろんおとなも十分楽しめる。孫がいるというのはいいものだな。

 

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屋外の実車展示

2023年9月 1日 (金)

サッポロビール庭園駅

 恵庭駅の次の駅がサッポロビール庭園駅。ここは初めて降りた(2023.7.28)。名前の通り、すぐ近くにサッポロビール北海道工場があり、そのために作られた。開駅は1990年と比較的新しい。工場へのアクセスにどの程度利用されているかはかなり疑問だが、それよりも今となっては特急、快速から普通、貨物まで多くの列車が走る千歳線内での追い抜き駅としてきわめて重要だ。

 島式2面4線の立派なホームをもち、外側線(1,4番線)が退避に使われる。駅舎はなく、ホームからの跨線橋から両側に出られるだけの簡素なつくりだ。自動改札機は橋上ではなく、階段を下りたホーム出口内に設置されていて、狭いスペースに待合イスがおかれている。券売機はなく、ホーム上に乗車駅証明書発行機がある。西口を出るとすぐに工場付設の庭園が広がり、跨線橋入口には園内にあるパークゴルフ場の説明書きが貼られている。

 

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西口(2023.7.28、以下同じ)

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東口

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1,2番線から千歳方面

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1,2番線から札幌方面(待避線に停車中の2742M)

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1,2番線の跨線橋入口

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改札機横の掲示

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駅名標

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