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2024年5月

2024年5月22日 (水)

三等三角点「朝里」

 小樽市朝里地区の三角点、「配水池」の次は尾根筋を海側へなだらかに下った先の「朝里」へ。探訪日は同じく2024年5月1日。

 「配水池」から望洋台の北のはじの交差点(J地点)までもどる。交差点をそのまま北方向へ直進して左側の市営住宅の先の角を左折する(M地点)。すぐ突き当りの右側が公園になっている(N地点)。公園内を北方向に行くと、一段低い面へ階段でつながっている。階段を下りて左前方の隅に三角点がある。隅のフェンス際の地面をこすると標石上面があらわれる。草がかぶっていないので発見は容易だ。「配水池」からは1 kmくらい。公園の一段高い面にもどり、すぐ右に折り返すように階段を下りると、三角点の面よりさらに低い面へ下りられる。その先が住宅地の道路からのアクセス口になっている(O地点)。朝里駅(S地点)から直接行く場合は、駅から小樽側の踏切の道を上って国道5号の交差点に出る(R地点)。右折して国道沿いに西へ進み、桜3丁目のバス停の先の横道を左に入る(Q地点)。坂を200 mほど上った先の交差点を左折する(P地点)。正面の住宅地内道路を道なりに進むとこのアクセス口(O地点)に出られる(約2.3 km)。

 点の記によればここは大正時代(1915)の設置。昭和に入って1973年に移転し、平成になって1997年に現在地へ移っている。最初の位置は、現在地より250 mくらい東側の尾根の端で(新旧地図比較マーカー位置)、その後昭和に入ってからの移設位置は、現在地のすぐ東側の道路際のようだ。立体的な公園をつくったときに移されたのだろう。点名の「朝里(あさり)」は古くからの地名。

〇三等三角点「朝里」
 北緯 43°10′36″.7761
 東経 141°02′47″.940
 標高 (m) 73.20

 

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望洋台北交差点(J地点、北方向)

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公園入口への左折点(M地点)

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突当りの右が公園(N地点)

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公園の奥の一段下の面(矢印位置に三角点)

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フェンス際の角の地面

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標石

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三角点から振り返る(石段の上の先が来た方向)

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三角点の西側の面の下りた出口から振り返る(O地点、正面上段が三角点の面)

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朝里駅前から西方向(S地点)

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道なりに上った国道交差点(R地点)

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国道からの左折点(Q地点)

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坂を上った左折点(P地点)

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web、 右が1915年)

 

2024年5月21日 (火)

四等三角点「配水池」

 小樽市朝里地区の三角点、「新光」の次は朝里川を渡って一段高い左岸に上り、望洋台にある「配水池」へ。探訪日は同じく2024年5月1日。

 朝里駅から登ってきた道路を「新光」のある朝里中学校の先の角で右折する(C地点)。北西方向へどんどん進み、国道5号から高速朝里インターにつながる道道を越えて突当りまで行ったT字路を左折する(D地点)。そこから200 mほどで右手にはいる道があり、角に朝里川公園の案内標識があるので右折する(E地点)。住宅街の細道をたどるとどんづまりのような交差点に案内標識があるので左折する(F地点)。曲がると正面が朝里川公園で、朝里川の両岸に園地が広がって中央の橋で結ばれている。橋を渡った左岸は右に遊具広場、左にテニスコートがあり、一段坂をのぼって左手へ園路を進む(G地点)。テニスコートの上を上流方向に行くと笹薮内の歩道になり、やがて階段となって右側崖上へと登ってゆく。登り切ったところが望洋台の端の道路で(H地点)、直進すると車道に合流して(I地点)、その先に信号交差点がある(J地点)。ここを左折すると望洋台住宅地になり、南に300 mほどで右手にはいる入口があり(K地点)、そこから右→左→右→左→右とクランク状に折れながら進むと三角点前の道路に出る(L地点)。右側の住宅の間が細い公園状の草地になっていて、その手前角石垣の隅に三角点がある。草がかぶっているが、角地をかきわけると標石が現れる。「新光」からは歩いて30分ほど。望洋台地区へはJ-Kの中央道路を通るバスが小樽市内から来ている。

 点の記によれば設置はここも1967年と「新光」と同時期で、同じように1980年に移転されている。昔の地図によれば、元の位置は現位置の200 mほど南の地点で、現在、配水池前のバス停があるあたりだ(新旧地図比較マーカー位置)。点名の「配水池(はいすいいいけ)」は、旧位置の近くに桜第1高区配水池があることによっている。なお、以前訪れた岩見沢市にも三等三角点「配水池」があるが、そちらは「はいすいち」なのに対し、こちらは「はいすいいけ」と読む。

〇四等三角点「配水池」
 北緯 43°10′10″.0157
 東経 141°02′28″.2975
 標高 (m) 101.15

 

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「新光」の先、朝里中校地の角(C地点)

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右折した北西方向(C地点)

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突当りのT字路(D地点)

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左折した先の交差点の公園入口標識(E地点)

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右折した先の交差点の公園入口標識(F地点)

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左折したすぐ先が朝里川公園

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朝里川対岸の遊具広場に上った左側(G地点)

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石段を上った望洋台側出口(H地点)

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その先の望洋台北交差点(J地点)

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右側住宅地入口(K地点)

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三角点前道路(L地点、矢印位置に三角点)

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歩道と側壁のすぐ角の地面

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web、 右が1975年)

 

2024年5月20日 (月)

四等三角点「新光」

 不本意な結果に終わった銭函近郊の三角点めぐりに続いては、次の朝里駅へと足を延ばす。まずは駅から近い「新光」へ。探訪日は2024年5月1日。

 小樽行きの普通電車を朝里駅で降りる。ここも古くからある駅だが降りるのは初めてだ。そもそも小樽市朝里の市街地は、通過するばかりで歩いたことはまったくない。段丘下の海岸にへばりついたような朝里駅の山側ホームは、跨線橋で海側の駅舎と結ばれているが、開放的なホームの両端は接続する道路に直接抜けられるようになっている。どっちみち無人駅なので駅舎を経由する必然性はない。ホームの東側から取り付き道路に出て(A地点)、すぐに南方の段丘上へと急坂をのぼる。道なりに約30 mの高低差を登りつめたところを国道5号が横切っていて信号交差点になっている(B地点)。交差点を渡ってさらに山側へ直進すると、すぐ右手に朝里中学校がある。道路に面して正門があり、その先に高い掲揚ポールが立っている。三角点は道路沿いのポールと灯油タンクの間の草地にある。歩道から低い石垣を上ると草むらに標石と標柱がみえる。駅から歩いて10分ほどだ。

  点の記によれば設置は1967年と四等三角点にしては古く、2009年に移転されている。昔の地図によれば、元の位置は現位置の500 mほど東北東の丘の上で(新旧地図比較マーカー位置)、現在はベイビュータウンという新興住宅地になっている。宅地開発とともに学校敷地に移転されたものだろう。「新光(しんこう)」はこのあたりの町名だ。

〇四等三角点「新光」
 北緯 43°10′20″.6293
 東経 141°03′40″.8148
 標高 (m) 34.12

 

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朝里駅山側ホームから東側道路への出口(A地点)

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東側道路の南方向(A地点)

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国道5号との交差点(B地点)

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交差点を直進した山側方向(B地点)

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朝里中学校の角

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手前の掲揚ポールの先の草むら(矢印あたりに三角点)

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歩道側からポールの根元を見たところ

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(今昔マップ on the web、 右が1975年)

2024年5月17日 (金)

銭函駅

 函館本線銭函駅。札幌から小樽方向へ向かって10番目の駅だ。昔は間に桑園、琴似、手稲しかなかったから、周辺の宅地化によって6駅も増えた。官営幌内鉄道が北海道最初の鉄道として開業した当初からの歴史ある駅だ。行政上はここから小樽市になる。石狩平野が西に尽きて後志の山塊が海にぶつかる位置にあり、ここから小樽に向かって線路は断崖下を縫うように海岸線を通っている。銭函は昔からの札幌市民にとっては海水浴場のイメージだが、より古くはニシン漁で栄えたということで、あまりに即物的なこの地名もそれに由来しているという説だ。ホームには昔の銭函のレプリカ?が鎮座しており、おめでたいと思う向きもあるようで、入場券が縁起切符として人気が出たこともある。

 そんな近在の有名駅でありながらぼくが降り立ったのは今回が初めてだ。昭和初期に建てられた現在の駅舎はなかなか風格がある。駅前はロータリーになっていて、バス停もタクシー乗り場もある。駅は海岸に向いていて、住宅街は駅裏の台地を上った方向にあるので、アクセス客の需要があるのだろう。駅員が常駐しているJRの直轄駅だが、快速列車は停車せず、データイムは毎時2本の普通列車のみだ。上下対面の2ホームと退避用の中線をもつ。この中線は現在は、隣のほしみ駅始終着電車の折り返しに用いられており、ほしみに着いた電車はここまで回送されて中線で折り返してほしみへもどる。どうせならここまで営業運転すればよさそうだが、ホームで折り返せる配線にはなっていないのだ。

 

 

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駅舎正面(最後の1枚以外2024.4.15)

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駅舎内の改札口

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駅舎側3番ホームから小樽方

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駅舎側3番ホームから札幌方

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3番ホームにある銭函

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1番ホームの駅名標

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小樽方踏切からみた中線折返し電車
(回166M~回165M、2024.4.26)

2024年5月13日 (月)

詰将棋パラダイス2024.5月号

 詰将棋パラダイス5月号、到着は5月1日。結果稿は2月分。おお、珍しく保育園から短大まで全題正解できた。先月号もまずまずだったし今年はなかなか出だし好調ではないか、と気を良くしたいところだが、いずれ暴露されるようにその後が尻すぼみの様相。今月の短大の期末問題なんてひとつも解ける気がしない。それはともかく最近また連名作品が増えてきた印象がある。入選扱いをどうするか編集部で協議するという話ではなかったかな。その後音沙汰ないところを見ると、現状追認となったのだろうか。

 話が逸れた。結果稿で記憶に残ったのはまず高6。これは難しかった。どうにも手が広いがまあ43銀だろうとは思う。同玉に42飛と打てば網に入ったかと思うと、どうやってもあと一歩詰まない。こんな手はないだろうと最後の最後にやってみた52銀が正解にはあきれた。ところがそれは変化で43銀には44玉とかわすのが作意だというから恐れ入る。その先も悪戦苦闘してなんとか解けたが、疲れた。この作者、切れ味鋭い短編作家という印象だったけど宗旨替えしたのだろうか。あとは短10も難しい。銀をどかして54桂と跳ねるんだろうな、すると当然焦点の中合がくると。ややこしい2段中合をクリアして一路右へ寄せるとまたしても歩中合、しかもこれをすかさず金打って動かすときた。やれやれ最後の歩が打ててぴったり詰んだと思ったところで、あれ、と気づく。同歩生ととられたら打歩詰ではないの。えーもう後戻りはできないから先へ進むしかない。そっかここで重複している77角を使うんだ、とめでたく取歩駒発生で今度こそ収束。いやすばらしいわ、これ。

 この月は、他のコーナーもきわめて順調で、彩棋会、フェアリーランド、推理将棋、将棋パズルと全題正解、デパートが惜しくも1題解けなかったけど4題正解。いったいどうしちゃったんだろうというくらい好調だった。あれは3か月前のことか...。2月は雪に降り籠められてあまり動けず、時間が有り余っていたのは確かだ。てことは時間さえあればなんとかなるのか。というのは将棋パズルの97番だ。これは時間かかった。磁石盤を持ち歩いて20日くらい考えた。正解者3名には驚いたけど、その短評で、他の方も何度も破綻を繰り返して苦戦したのだなとわかって笑った。いやこれはあきらめの悪い暇人だけが正解できたのでは。して今月号には上田吉一氏の何やら難しそうなステイルメイト問題が。これも持ち歩きかなと思ったけどそうでもなかった。上田氏といえば、今月号にはフェアリーランドにもステイルメイト問題が出題されていて、こちらは見かけによらず易しく楽しいのでお見逃しなく。

 あとはヒマネタ。詰将棋解答選手権チャンピオン戦の報告記事が載っていた。今年は4年ぶり開催で、えらく難しかったという話はあちこちで耳にしていたが、上位者成績表を見てへえと思った。錚々たる顔ぶれの若手プロ・奨励会員がずらりと並んで、最高点が古賀悠聖六段の73点。半分以上取れたのが12人しかいない。制限時間があるので1題平均18分で解かねばならないのだから大変なことだ。今年は難しすぎたという担当者の弁もあったが、差をつけるためにはあるていど難しい必要はあるので、さじ加減が難しいところだろう。また、難しいと部分解答や誤解答が増えるから、部分点や減点の具合が大きく効くだろう。今回の1位の73点は別として、2位の63.5点から8位の58点までは、0.5~2点ずつの僅差しかない。こうなるともう指運だな。ところで、今回は5連覇中の藤井八冠が出場しなかった。多忙だろうし都合がつかなかったのだろうが、メディア的にはがっかりした人も多かろう。いや、一番残念なのは優勝した古賀六段かも。「あの藤井さんが出なかった年でしょ」と言われかねない。

 今月の1作は上記の力作、短10弘中祐希氏作29手詰。銀ダンスの華麗な序奏から始まって、中合3回を繰り出して、最後のをペレでしかも不成で動かし、打歩詰打開で締める、という非の打ちどころのない構成。解けたときは放心した。

 

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詰将棋パラダイス2024年2月号短期大学10番弘中祐希氏作

2024年5月 6日 (月)

四等三角点「礼文塚」

 点名とは裏腹に藪の中で見つからなかった「畑中」に続いて、張碓町へと足を延ばして「礼文塚」へ向かう。探訪日は同じく2024年4月26日。

 住所は張碓だが函館本線の張碓駅はとっくに廃止されている。もっとも元の張碓駅よりも銭函駅からアクセスした方が近い。銭函駅からは、「畑中」への順路である道道の鋭角交差点を直進し、国道5号に出る手前のT字路を右折する(I地点)。あとは道なりに北西方向へ直進し、礼文塚川の深い谷を迂回して渡ると張碓町にはいる。「畑中」からだと道営住宅角(D地点)までもどって右折し、高等支援学校の入口(F地点)を左折してつぎの信号(G地点)を右折するとこの道に出る。直進してきた道が国道5号に出る手前の印刷会社の角を右折する(H地点)。前方に墓地が見え、その手前にふれあい公園がある。銭函駅から約2.6キロ、ただし国道5号を歩いたほうが若干距離は短い。三角点は墓地の一番南側の列の5基目の裏あたりにあるはずだ。しかし、雪解け後の枯れ草をかき分けてみても地面には石がゴロゴロしているだけで、一向に標石らしきものは見あたらない。残念ながらここも撤退。

 点の記によるとここは1967年の設置。2006年の観測時の写真はほとんど現在と変わらないように見えるので、丹念に探せば見つかるかもしれない。点名の「礼文塚(れいぶんづか)」は川名にあるようにこのあたりの地名で、読みは「れぶんづか」が正しいように思う。点名に付されたふりながはときおりこういう齟齬がある。

〇四等三角点「礼文塚」
 成果なし

 

 

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国道5号に出る手前の右折点(I地点)

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右折した北西方向(I地点)

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印刷会社の角の右折点(H地点)

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右折した北方向(H地点)

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公園とその先の墓地

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墓地の横の三角点位置(矢印)

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年5月 5日 (日)

三等三角点「畑中」

 札幌市内から東方、南方と歩いてきた三角点めぐり、今年は西方向へと足を延ばすことにした。函館本線上り方向は星置駅近傍の「高台」まで行ったことがあるので、今回はその先の銭函にある2つの三角点を探す。まずは「畑中」へ。探訪日は2024年4月26日。

 小樽行きの普通電車を銭函駅で降りる。この駅で乗降するのはひょっとすると初めての気がする。駅前はすぐに海岸で、海沿いの道道を西方向へと進む(A地点)。すぐにJRの踏切があり、その先は国道5号へ向かって上り坂が続いている。右手には海に向かって落ち込む台地の崖になっており、崖下の狭いところに線路が敷かれている。「畑中」はこの台地の上にあり、地形図では踏切の先で崖に取り付く細道が通じているように書かれている(B地点)。たしかにそば屋の駐車場の奥に階段が取り付けてあり、つづら折りの上り坂の先は笹薮を刈り払った歩道が続いている。しかしこの道が通れるのは実線部分までで、三差路から先の「畑中」方向の破線部分はすぐに深い笹薮になって歩行困難なことは下見時にわかっていた。

 なので、「畑中」へは反対側からアプローチすることになる。駅前からの道道を少し上ると右に鋭角に分岐する坂道があるのでそこを上る(C地点)。台地上に登って道なりに進み、大きな道営住宅の角を右折する(D地点)。まっすぐ海方向へ歩くと、細道となって正面に新しいアパート様住宅に突き当る(E地点)。ここまで銭函駅から1キロちょっと。地形図の破線歩道はその裏を通っているようだがおそらくそちらは藪で通行不可だろう。三角点位置はアパートの右をすり抜けて奥の四角い物置の横に出ると、その右手の土手を乗り越えた先の藪の中になる。土手からはすぐのはずだが、なにぶん藪が深くちょっと漕ぎ分けたくらいでは全然見つからない。残念ながら撤退となった。

 点の記によれば設置は1913年と古く、2006年の観測時にも笹薮の原野となっている。アクセス路の地形図の歩道は幅約1 mと書かれているが、それから20年近くの間に廃道となってしまったのだろう。幸い藪を切り拓いて新たにアパートが建ったので、その横からはいれるようにはなったものの、標石までは到達できなかった。点名の「畑中(はたなか)」の由来は不明。このあたりの地名は古くは歌棄(うたすつ)であり、道営住宅の角にうたすつ公園がある。

〇三等三角点「畑中」
 成果なし

 

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銭函駅(A地点)

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駅前から西方向(A地点)

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実線の歩道の取付き階段(B地点、2024.4.15)

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笹薮に消える破線の歩道(三角点手前、2024.4.15)

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道道からの鋭角右折点(C地点)

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道営住宅の先の右折点(D地点)

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右折した北東方向(D地点)

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突当りの新築アパート(E地点、矢印が奥の物置)

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物置の横手

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三角点方向の藪を見る

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土手の先は一面の笹薮

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年5月 2日 (木)

四等三角点「八幡」再踏査

 「苗穂道」と同様に夏場は草が繁茂して探索できなかった三角点のひとつ、江別市の「八幡」に春先のこの時期に行ってみた。探訪日は2024年4月22日。

 2年半前の記事に書いたのと同じ道をたどって未舗装の細道を歩いて行くと、右側の側溝手前の草むらは半分枯れていて見通しがよくなっている。そして三角点位置には目印杭が打ってあり、その根元に標石が顔を出していて難なく見つけることができた。基準点等閲覧サービスの近景写真より深く埋まっており、周囲の保護石も見当たらない。夏季に草が繁茂し、目印杭が失われれば見つけるのは困難だろうと納得。

〇四等三角点「八幡」
 北緯 43°09′38″.4784
 東経 141°29′38″.6558
 標高 (m) 3.08

 

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農道と溝の間の草地に目印杭と標石

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反対側から見たところ

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全景

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標石

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