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2024年8月

2024年8月21日 (水)

四等三角点「栄」

 南幌町の三角点めぐり第2回、「十五号」からさらに北上して本日最後の「栄」へ。探訪日は同じく2024年7月16日。

 「十五号」から畦道を西十五号と南十二線の交差点までもどる(H地点)。西十五号をさらに1ブロック北西に進み、南十一線との交差点を右折する(I地点)。2/3ブロック進んだ防風柵の切れ目を農道へ左折する(J地点)。右を見ながら100 mくらい進むと畑の境目のところに三角点位置標識の黄三角ポールが倒れているのが見える。標識の根元あたりに三角の木組み枠があり、その中を土を少し掘ってみると上面舗装枠と標石があらわれた。ここはもう晩翠から近く、農道の突当り(K地点)から遊水地のへりをたどれば「晩翠」バス停まで1キロくらいだ。

 点の記によれば、ここは2007年の設置とこのあたりでは最も新しい。他の新しい三角点同様、地下埋設上面舗装タイプなので、土や草がかぶっていると見つけにくい。たまたま倒れている標識や木組みが目印になったが、これらが散逸してしまうと探すのが困難になりそうだ。点名の「栄(さかえ)」は現在の晩翠遊水地付近の地域名だ(役場のある栄町とは別)。

〇四等三角点「栄」
 北緯 43°03′33″.6768
 東経 141°36′21″.0195
 標高 (m) 6.89

 

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畦道を戻った交差点の北西方向(H地点)

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南十一線との交差点(I地点)

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右折した北東方向(I地点)

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防風柵の切れ目を左に入る(J地点)

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左折した農道(J地点)

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100 m先の右手に三角標識が倒れている(矢印)

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反対側から見る(根元の木組み中に三角点)

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年8月20日 (火)

四等三角点「十五号」

 南幌町の三角点めぐり第2回、「鶴沼」からは西十五号をまっすぐ北上してその名も「十五号」へ。探訪日は同じく2024年7月16日。

 「鶴沼」近くの道道と西十五号の交差点(F地点)から、西十五号を北西に進む。2ブロック先の南十三線との交差点(G地点)を過ぎてさらに半ブロック進んだ右側の農地境が三角点位置だ。草むらの奥をのぞき込むと水田の角になんとか目印杭と標石が見えるが、道路との間には藪と水路があって直接渡ることはできない。しょうがないのでさらに半ブロック先の南十二線との交差点(H地点)まで行き、右の水路を渡って畑の横を折り返すことにした。麦畑の畦道をたどってゆくと、標石の手前に細い水路があるが枡の上を渡って到達できた。たぶんG地点側から同じように畦道をたどることもできそうだ。

 点の記によれば、ここは「福野」と同時期の1951(昭和26)年の設置と古い。点名の「十五号(じゅうごごう)」は横の道路名だが、なぜか前回訪問した「西十一号」「西十三号」のように「西」がついていない。ずっと東の方の岩見沢市域には東十五号相当の区画路があるが、遠いので問題ないのだろうが。

〇四等三角点「十五号」
 北緯 43°03′00″.4359
 東経 141°36′32″.6908
 標高 (m) 7.20

 

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「鶴沼」手前の交差点から北西方向(F地点)

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2ブロック先の交差点(G地点)

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半ブロック先の右手の藪の奥に三角点が見える

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さらに半ブロック進んだ交差点(H地点)

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右の水路を渡って振り返る(H地点)

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畦道を南東へもどると三角点が見える(矢印)

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全景

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反対側から見る(藪の左が道路、右上がたどってきた畦道)

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年8月19日 (月)

二等三角点「鶴沼」

 南幌町の三角点めぐり第2回、「大野」に続いてはさらに南下してこのあたりには珍しい二等三角点である「鶴沼」へ。探訪日は同じく2024年7月16日。

 「大野」のある交差点(D地点)から、西十三号を1ブロック南東へ進むと南十五線に相当する道道1080号に出る(E地点)。この道道は北広島と南幌を結ぶ主要道路で、JRバスが走っている。道道を右折して2ブロック進んだ交差点(F地点)のすぐ先に三角点があるはずだ。はずだというのは、この「鶴沼」は傾斜という理由で成果公表停止になっており、点の記も見られないからだ。成果公表停止になっていても、亡失・不明等の理由以外ならば標石そのものは残っている可能性があり、これまでも「伊藤農場」「苗穂道」でちゃんと見つけることができた。交差点のすぐ先の左側にJRバスの「西十五号」バス停があり、その裏が三角点位置で、バス停のある歩道からちゃんと黄三角標識ポールと標石が見えた。標石は欠けているもののちょっと見には不都合のあるようには見えない。

 点の記が閲覧できないので設置時期は不明。二等三角点なのでたぶん明治時代だろう。1916年の地形図には同じ位置に三角点記号がある。点名の「鶴沼(つるぬま)」は、かつて南側の旧夕張川との間にあった大きな沼の名前によっている。往時鶴が飛来していた名残りかもしれない。

〇二等三角点「鶴沼」(参考値)
 北緯 43.039398028°
 東経 141.618559222°
 標高 (m) 8.17

 

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「福野」の交差点から南東方向(D地点)

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道道との交差点(E地点)

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右折した南西方向(E地点)

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西十五号との交差点(F地点)

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すぐ先の西十五号バス停(矢印に三角点)

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バス停横から見る(矢印に標石)

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年8月18日 (日)

四等三角点「大野」

 南幌町の三角点めぐり第2回、「福野」の次は2ブロック南下して「大野」へ。探訪日は同じく2024年7月16日。

 「福野」のある交差点(C地点)から、西十三号を2ブロック南東へ進むと南十四線との交差点に出る(D地点)。その手前左角が三角点位置だ。このあたりは水田で、道路沿いに水路が流れている。交差点を左折したすぐの左側の水路にちょうど作業用踏板が渡してあり、注意して渡ると目の前の小高いところに、周囲を保護石4個つきの上面舗装枠で囲まれた標石が露出している。踏板がない場合は少し先まで歩いて農地入口からはいってもどってくればいいだろう。

 点の記によれば、ここは1984年の設置。点名の「大野(おおの)」も福野同様このあたりの古くからの地名のようだ。同じく南十五線(道道1060号)を通っている北広島・南幌間のJRバスには空知大野というバス停がある。空知を冠しているのは他の大野との区別のためだろう。すぐに思いつくのは函館近郊の旧大野町(現北斗市)の渡島大野駅(現新函館北斗駅)だ。このように旧支庁(国)名を冠した駅(停留所)名はよくあるが、空知を冠したのは珍しいと思う。大野はありふれた地名なので、同名の三角点が全国に101点もある。どうせなら点名も「空知大野」としたらよかったのに。

〇四等三角点「大野」
 北緯 43°02′59″.3740
 東経 141°37′34″.7407
 標高 (m) 7.30

 

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「福野」の交差点から南東方向(C地点)

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南十四線との交差点(D地点)

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左角の水路に踏板が架かっている

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踏板を渡った先に三角点(矢印)

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年8月17日 (土)

四等三角点「福野」

 南幌町の三角点めぐり、第2回は南幌温泉の南側へと足を延ばす。まずはきらら街道から近い「福野」へ。探訪日は2024年7月16日。

 前回乗り逃した新札幌から江別を経て南幌町へ向かう夕鉄バスは、南幌温泉を過ぎると旧夕張鉄道跡であるきらら街道に沿って進む。今回は1本早いJRで江別駅に着き、このバスに乗って南幌温泉から2つ目の南11線バス停で下車した(A地点)。ちなみに江別からの乗客は8人で、4人は温泉で下車、ぼくが降りた後3人は南幌へ向かった。途中の乗降客はゼロだ。バス停はきらら街道と南十一線の交差点にあり、南十一線を南西に少し歩くとすぐに西十三号との交差点に出る(B地点)。ここを左折して1ブロック歩くと南十二線との交差点があり(C地点)、その手前左角が三角点位置だ。バス停から10分もかからない。角を左折するとすぐ左に民家の取付き路があり、入ってすぐの左手に、黄色三角標識と地上に露出した標石が見えている。

 点の記によれば、ここは前回最後に行った「晩翠」と同時期の1951(昭和26)年の設置で、その後1975年に移転となっている。旧位置は不明だ。この時期の四等点はきちんと標石が地上に露出しており、摩耗しているもののきれいだ。点名の「福野(ふくの)」はこのあたりの古くからの地名だが、名前の由来はわからない。ここから南に3ブロック先の南十五線(道道1060号)を通っている北広島・南幌間のJRバスには福野というバス停がある。

〇四等三角点「福野」
 北緯 43°03′29″.5182
 東経 141°37′06″.5148
 標高 (m) 7.55

 

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南11線バス停(A地点)

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交差点の南西方向(A地点)

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西十三号との交差点(B地点)

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左折した南東方向(B地点)

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南十二線との交差点(C地点)

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左折した北東方向(C地点、矢印の入口をはいる)

240817g
はいったすぐ左手に三角点

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年8月16日 (金)

詰将棋パラダイス2024.8月号

 詰将棋パラダイス8月号、到着日失念。たしか7月中に届いた記憶がある。結果稿は5月分。期末モードだったせいか惨憺たる結果だった。小学校は驚きの個展。藤原氏の狙いのある作品は好きだけど、全5題となるとさすがに飽きる。企画として否定的な意見がならんでいたのもうなずける。中学校は期末にしては低調だなと解いていって最後の25番にぶちあたる。しかしものすごいなこれ。無解者20名は他の学校を含めても最多だ。やっとこ解けたもののえらく苦労した。高校も24番はしんどかったがなんとか全解。最近の室門氏作は難しいよ(中高結果稿の問題番号が間違っている)。と、ここまではたどりついたが、短大はあえなく全敗。手も足も出ないとはこのことだ。短大クラスになるとぼくには荷が重いのだが、いつも2,3題だけ解けるのではなく、全部解けたり全部解けなかったりと極端なことが多い気がする。作品との相性だろうか。

 2ヶ月ぶりのフェアリーランドは妖精賞の発表だ。なんといっても中編の青木氏作。何度見ても素晴らしい作品で、受賞もうなずける。結果稿は4月分と5月分の2ヶ月分。それぞれ8/10と6/8正解とまあまあだった。楽しかったのが5月号4番の上田氏作。攻め駒38枚配置の全駒無防備玉なのに、手順を進めていくとどんどん駒が減っていって、最後には指す手がなくなってステイルメイトという冗談みたいな作品。自玉がないのに自殺というのもへんなものだが。

 そして上田氏作といえば将棋パズル雑談。通算出題100問目という記念作品がまた疑似ステイルメイト問題だった。歩以外の駒を動けなくするということで、効きの多い玉や金の配置に苦労しそうだが、意外と難しいのが斜めの効きの角銀だ。半面使い勝手のいいのが飛車で、1枚しかないのが残念。もっとあると便利なのに。上辺へ追い込むのは手数が足りないのはすぐ気がつき、左辺中段の効率配置はわりとすぐ見つかった。だがしかし、右辺も同様にしようと思うとうまくいかない。そこから苦心惨憺して、右上の簡素効率配置を見つけ出してやっと解決。しかしうまくつくるものだ。

 続いては推理将棋。これは579番がちと問題だった。余詰多数というが、その前に問題文が問題な気がする。「7回の駒取りで全7種の駒が駒台に乗るのを見た」で、駒取り回数は見た時点で7回だから最終的にはもっと多くても可、というのは担当子の説明でわかったが、全7種の駒が同時に駒台に乗っている必要があるのかどうかが紛らわしい。普通に読めば「乗っている」ではなく「乗る」なので同時である必要がないように思えるが、そうすると条件が緩和されるので簡単すぎてしまう。そんなはずはないから同時の意味なんだろうなと、ぼくの解答は「76歩32飛33角成52玉32馬99角成31馬89馬41馬同玉51銀79馬42金迄13手」。駒取り8回だけど条件には合っている。ところが作意解は同時になっていない。ということで余詰多数。うーむ、この作者にしてはちょっとおそまつだったのでは。

 今月の一作は前述の中学校25番加藤義信氏作11手詰。力ずくというか、すごい配置にすごい手順。暑い夏をさらに暑くさせること請け合い。

 

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詰将棋パラダイス2024年5月号中学校25番加藤義信氏作 

2024年8月 1日 (木)

四等三角点「晩翠」

 南幌町の三角点めぐり、「西十三号」に続いては近くの南幌温泉の先にある「晩翠」へと向かう。探訪日は同じく2024年7月10日。

 「西十三号」から道道を南幌方向に南八線の交差点まで戻る(J地点)。南幌町中心部へはさらに直進した方が近いが、バスは南幌温泉を経由するためここを右折する。「晩翠」へはもう1ブロック直進して右折したほうが若干近いが、公園になっている南幌温泉を経由したほうが歩きよいので、ぼくもここを右折する。幌向運河を渡り、池の間を通った先の交差点(K地点)を左折すると、すぐに南幌温泉があり、通り過ぎて旧夕張鉄道跡のきらら街道へ出る直前の右手の石碑のある公園の角に三角点がある。フェンス際の標石は地面から突き出ていてよく目立つ。

 点の記によればここは初め1951(昭和26)年に設置され、その後1986年に現在地に移転となっている。古い地図をみると旧位置は少し線路寄りのようだが地図上ではほとんど差がない。たぶん公園が整備されたのに伴って少しだけ動かしたのだろう。「晩翠(ばんすい)」という風雅な点名はこのあたりの地名に由来する。すぐ近くに夕張鉄道の晩翠駅もあった。晩翠といえば荒城の月の土井晩翠が思い浮かぶ。千歳川を渡った隣の駅が下の月駅だったからなおさらだ。残念ながら地名の由来は荒城の月とはまったく関係なく、どちらもアイヌ語由来だそうだ。

〇四等三角点「晩翠」
 北緯 43°04′03″.6785
 東経 141°36′01″.9002
 標高 (m) 6.71

 

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道道と南八線の交差点(J地点、南西方向)

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親水公園の先の交差点(K地点)

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突当りT字路手前右角(矢印に標石)

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全景

240801e
標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

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