カテゴリー「旅行・地域」の記事

2025年7月15日 (火)

四等三角点「零号」

 前回訪れた「木詰」の近くにもうひとつ気になる三角点がある。それが「零号」。開拓地の区画路である南○線やら西○号やらの名をとった三角点はたくさんあるが、零号とは何ぞや。そこで今回はそこからスタートすることにした。探訪日は2025年6月24日。

 「零号」は、長沼町の農地区画でいうと西五線と零号の交点(C地点)にある。北広島と長沼を結ぶJRバス路線は道道3号を通り、1線区画ごとにバス停がある。つまり順路からいうと西五線通のバス停で降りて西五線を2ブロックほど北上すればよいのだが、三角点は交差点の北東角にあり、道路からは西五線、零号いずれからも水路をはさんでいて、交差点には橋がないので渡れない。水路を渡るには農地に入る橋まで大きく迂回せねばならない。ということならば一町東にある西四線の交差点(B地点)で水路を渡って畦道を西へ一町たどったほうが早い。ということで、ひとつ先の黄金バス停でバスを降り(A地点)、馬追運河を渡って西四線を北上して零号との交差点に出た(B地点)。左折すると零号の道路に沿う水路(零号川)の右手の農地には作業路が並行して伸びているのでそこを歩くことができる。交差点に突当たったところの角が三角点位置だ(C地点)。しかしそのあたりは除草剤を撒いたものか一面の枯草原で、目印になる杭のようなものもいっさいなく、さがしようがない。残念ながらあきらめた。

 点の記によれば、ここは1980(昭和55)年の設置。点名の「零号(れいごう)」は、面している道路名による。農地区画路の南○線、北○線の場合、中心になる線は基線と呼び、そこから南北に南〇線、北○線と番号を振っていく。一方、西〇号、東〇号の場合は、それが零号となるわけだ。たしかに理にはかなっているが、近在では見たことがなかったので奇異に感じる。

〇四等三角点「零号」
 成果なし

 

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道道3号の黄金バス停(A地点)

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馬追運河を渡って西四線へ(A地点)

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馬追運河(上流方)

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零号との交差点(B地点)

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左折して水路右の畦道をたどる(B地点)

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三角点のある交差点(C地点、矢印が三角点位置)

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一面の枯草原で痕跡はない

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年7月 8日 (火)

四等三角点「木詰」

 旧夕張川沿いの三角点探訪の掉尾がこの「木詰(きづまり)」。その顛末は前エントリ「きづまりな地を歩く」に書いてしまったので、詳細はそちらを見ていただくとして、ここではアクセスとデータのみを書いておく。探訪日は2025年6月18日。

 「木詰」へは、ぼくは北側の北広島南幌線からはいって南側の北広島長沼線へ抜けたが、南側から入ったほうが近い。北広島駅からながぬま温泉行きJRバスに乗って西長沼で下車(G地点)。すぐ先の交差点を左折して馬追運河を渡って西六線にはいる。ずっと北上して突き当たった道が旧夕張川の旧流路で、手前の水路橋が木詰橋(本流にかかる同名の橋とは別)だ(F地点)。右折して道なりに少しいった先の農道を左に入る(E地点)。直進してちょっとずれた交差点に出たところを左折する(D地点)。曲がってすぐ右手の道路際、舗装の端に接して三角点の上面舗装があり、中に標石がある。バス停から3キロ弱だ。

 点の記によれば、ここは1956(昭和31)年の設置で1993(平成5)年に移転ということで、前回見つけられなかった「北三号」と同じ履歴をたどっている。場所も近く、様式も同じだ。点名の「木詰(きづまり)」については、「きづまりな地を歩く」のエントリに書いた通り。

〇四等三角点「木詰」
 北緯 43°01′07″.6212
 東経 141°38′18″.1487
 標高 (m) 7.65

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道道3号の西長沼バス停(G地点)

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左折して馬追運河を渡って西六線へ(G地点)

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旧夕張川旧流路に突当たる(F地点)

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右折した旧流路沿い道路(F地点)

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三角点への農道交差点(E地点)

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左折した北方向(E地点)

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三角点のある交差点(D地点)

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左折してすぐ右手の道路際に標石

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年7月 7日 (月)

「きづまり」な地を歩く

 三角点ばかり訪ね歩いてどこがおもしろいのか、と大方の人は思っているに違いない。ほっといてくれということなのだが、今回はちょっと趣向を変えて三角点は二の次ということにして、いわくありげな土地歩きに出かけてきた。

 

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きづまりはし?

 

 まずは前置き。旧夕張川沿いの三角点探訪は、前回「沼の里」まで歩いて次は対岸の長沼町側にある「木詰」ということになる。この「木詰」、地図をみると長沼町の木詰地区にある。「きづめ」と読むんだなと当然のように思っていたが、点の記にあるふりがなをみて驚いた。「きづまり」と読むのだった。ずいぶん変わった地名で、きっと何かの由来があるに違いないと調べてみた。

 旧夕張川は明治時代の開拓当時には大変な暴れ川で、しょっちゅう氾濫していた。もともとこのあたりの石狩低地帯は標高が低く、そこを曲流する石狩川を筆頭に支流の千歳川や夕張川が合流する江別や広島あたりは洪水の常襲地帯だったのだ。そのせいで夕張川は早くから直線的な新流路の掘削が進められ、もともとの流路は旧夕張川として残った。

 その旧夕張川の木詰地区は、上流から大量に流れてくる流木が屈曲部に詰まって、たびたび洪水を引き起こしたことから、木詰(きづまり)という地名がついた。この「木詰まり」を少しでも緩和しようとこの部分の屈曲をショートカットする流路改変が行われたほどだ。

 もともと木詰地区は川の右岸(北側)の幌向村(現南幌町)だったのが、1909(明治42)年頃の流路切替えによって左岸(南の長沼村(現長沼町)側)に変わった。その後、行政区域が川で分離されているのは不便だということで、1920(大正9)年に幌向村から長沼村に編入されて現在に至っている。地図を見ると木詰地区の開拓地の碁盤の目区画は対岸の南幌町側と一致しており、周囲の長沼町側の区画とは傾きがずれているのが一目瞭然だ。その区割りの境界が旧夕張川の旧流路すなわち元々の村界ということになる。

 なるほどそういう経緯だったのか、おもしろい。三角点もあることだしこれは現地に行ってみたいものだ。気づまりなところへ行く気はしないが、木づまりな地にはぜひ行ってみたい。というわけで行ってみたというのが長い前置き。

 

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

 木詰地区に行くには、北広島駅と長沼温泉を結ぶバスを西長沼で降りて歩けば30分ほどの距離だ。しかしGoogle Mapには、旧夕張川の南幌側の沼の里排水機場のところに木詰の地跡というランドマークがある。どうもそこに地名由来の説明板があるらしい(ここに写真があるがよく読めない)。ということでそっちへまず行くことにして、南幌町側からはいって長沼町側へ抜けるルートをとることにした。

 前回の「沼の里」から10日ほど後の2025年6月18日、北広島駅と南幌を結ぶバスを西十五号のバス停で降りる。添付地図では切れているが、バス停は上方の南十五線と西十五号の交点にある。そこから西十五号をまっすぐ南下して川に突当たったところが沼の里排水機場だ(A地点)。木詰の地跡はその右手なのだが、一面に草が生い茂ってモニュメントらしきものはまったくない。残念ながら説明板は亡失してしまったようだ。排水機場の一角に祠が祀られているが、木詰と関係あるものなのかわからない。しかたないので自然堤防にのぼってみるが、川筋は鬱蒼とした茂みで流れはほとんど見えない。上流側では築堤盛土工事がさかんに行われており、いずれこのあたりも工事されるのだろう。工事が終わったあかつきにはまた説明板を立て直してほしいものだ。

 

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道道の西十五号バス停

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西十五号を南方向

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沼の里排水機場に突当たる(A地点)

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排水機場の右手には何も痕跡がない(A地点)

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堤防への道(A地点)

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堤防上の上流方向(築堤盛土工事中)

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堤防上の下流方向

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堤防から旧夕張川(赤矢印に水面、青矢印は木詰橋)

 

 幸い工事車両の出入りの関係で堤防上が整地されていて歩けるので、そのまま下流側の木詰橋まで歩く。流路に沿ってカーブした堤防を歩くこと600 mほどで立派な木詰橋に出た。この橋はわりと新しく2014年の架橋だ。「木詰橋」・「きづまりばし」という立派な銘板がついている。説明書きは特になかったが、きづまり表記を目にすることができて、まあ来たかいがあったというものだ。これで旧夕張川の橋は小林橋、堺橋についで3つ目だが、いずれもいい名前だと思う。

 

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本流の木詰橋(B地点)

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銘板1

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銘板2

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旧夕張川下流方向

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木詰橋を渡った南方向

 

 木詰橋は南幌町側の西十六号に架かっている橋で、渡ると対岸は長沼町木詰地区だが、前置きに書いたようにここはもともと南幌町(旧幌向村)だったところで、西十六号の延長がさらにまっすぐ2ブロック伸びている。その中間点の南二十線相当の道路との交差点を左折する(C地点)。1ブロック歩いたさきに「木詰」三角点がある。そっちの話はまた別に書くこととして、三角点のある交差点(D地点)を右に折れてちょうど西十五号の延長にあたる道を南下すると屈曲する道路にぶつかる(E地点)。このカーブの多い道が旧夕張川流路跡で、明治末期の付け替え前はこちらを川が流れていたのだ。

 

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木詰地区中心交差点(C地点)

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左折した三角点方向(C地点)

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三角点のある交差点(矢印、D地点)

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右折した南方向(D地点)

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旧流路沿いの道路に突当たる(E地点)

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カーブする旧流路(E地点、北東方向)

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カーブする旧流路(E地点、南西方向)

 

 右折して少し行った先の交差点を左折したところに水路橋があり、こちらも木詰橋と名がついている(F地点)。ただ、ガードレールにつけられた簡素な銘板の表記は、なぜか「きつまりばし」と濁らない。この旧流路の南側は昔からの長沼町域で、流路跡を境に農地区画がずれているというのも前置きに書いたとおりだ。あとは長沼町区画の西六線をまっすぐ南下して、道道にぶつかったところが西長沼集落で、北広島と長沼を結ぶJRバスの西長沼バス停があり、そこからバスで帰途についた。

 

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水路に架かる木詰橋(西六線との交差点、F地点)

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銘板1

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銘板2

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橋の先の南方向

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道道の西長沼バス停

 

2025年6月28日 (土)

四等三角点「沼の里」

 思わぬことから寄ることになった「北三号」の不首尾はそれとして、当初の目的地である「沼の里」へと向かう。探訪日は同じく2025年6月9日。

 「北三号」から国道337号にもどり(G地点)、そこから国道を北上して堺橋を南幌町側へ渡る、ここにも昔渡し船があって、藤田渡船場跡というのが近くに残っている。目的地は旧夕張川の右岸を少し下ったところだが、河川堤防は工事中で立入禁止となっているので、少し先の南十九線まで出てそこを左折する(H地点)。あとは1キロ弱進んだ三角点近くの横道を左側河川敷方向に折れる(I地点)。堤防の手前は草原だが、右手のすぐ下流側では整地工事が行われている。旧夕張川の堤防は現在築堤盛土工事が順次進行中で、今はちょうどこのあたりが工事中になっている、というのは後で知った。あまり訪問によい時期ではなかったが仕方ない。
 この日は作業が行われていなかったので、整地されたあたりに行ってみたものの、周囲の様子が変わっていて、三角点位置がわからない。これはまずいなあと一段高くなった堤防側の段丘上を見やると、何やら石柱のようなものがころがっているのがみえた。ん?と近寄ってみると、なんと三角点の柱石だった。整地工事にともなって掘り出されてとりあえず放り出したという感じだ。
 当別の「二十線」で折損した柱石頭部がころがっているのを見つけたことがあったが、ふだんは地中深く埋設されている柱石全体がそのまま掘り出されているのは初めて見た。それはそれで貴重なものだが、しかしいくら必要な工事とはいえちょっとひどすぎないか。三角点愛好家としてはとても胸が痛む。前のエントリに書いたように、国土地理院ではもう柱石三角点の維持管理はせずに不要なものは撤去できるようにする方針ということなので、これがまさにそういうことなのだろう。おそらく工事が終わっても元通りの位置に再設置されることはないだろうな。

 点の記によれば、ここは1979(昭和54)年の設置だから、46年の寿命だったわけだ。点名の「沼の里(ぬまのさと)」はこのあたりの地名らしく、少し下流側の木詰橋の先に沼の里揚水機場というのもある。昔、この一帯は沼地で、すぐ近くに鶴沼があったという話は「鶴沼」のエントリに書いたとおり。

〇四等三角点「沼の里」
 北緯 43°01′37″.1403
 東経 141°38′37″.6045
 標高 (m) 8.36

 

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国道337号の北西方向(G地点)

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堺橋で旧夕張川を渡る

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右岸堤防は立入禁止

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南十九線との交差点(H地点)

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左折した南西方向(H地点)

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河川敷にはいる交差点(I地点)

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左折した河川敷方向(I地点)

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突当り右側に工事区域が広がる(矢印位置に標石)

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整地区域まで行くと段丘の上に標石がみえる(矢印)

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全景

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刻印部分

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年6月27日 (金)

四等三角点「北三号」

 旧夕張川沿いの三角点歩き、「至誠」から下流へ向かうつもりだったが、ひょんなことからその前に「北三号」に寄ることになった。探訪日は同じく2025年6月9日。

 「至誠」近く(E地点)から下流方向への堤防は荒れていて歩けそうもないので、一旦元の道(西四線)にもどる(D地点)。先へ進むと稲荷神社の角に出る(F地点)。本来はここを右折して直接堺橋へ行くつもりだったのだが、地神碑を検分したりしているうちに間違えて、直進して国道337号まで出てしまった(G地点)。稲荷神社から堺橋へは四角形の三辺を行くことになりがっくりだが、悪いことばかりでもない。ここからは、当初は予定になかった三角点「北三号」がすぐ近くだ。というわけでそっちへ寄り道することにした。国道337号(北三号)の交差点(G地点)から西四線を100 mほど進んだ道路右側が三角点位置だ。だがしかし、草むらにそれらしい痕跡は見あたらない。草をかき分けたり移植ごてを突き立てたりしてみたが「中沢」のような僥倖は訪れず、残念ながら敗退となった。まあ行きがけの駄賃みたいなものだったから、そううまくはいかないということか。

 点の記によれば、ここは1956(昭和31)年の設置、1993(平成5)年に移転となっている。。直接面している道路は西四線だが、点名の「北三号(きたさんごう)」は、近くの主要道(北三号・国道337号)から採られている。

〇四等三角点「北三号」
 成果なし

 

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稲荷神社(F地点)

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国道337号との交差点(G地点)

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道路際の三角点位置

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草むらの中

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年6月26日 (木)

四等三角点「至誠」

 さて、懸案の旧夕張川流域の三角点。とりあえず最初は南幌町中心部から歩くこととした。小林橋まで歩いて川を越え、対岸にある長沼町の「至誠」へ。探訪日は2025年6月9日。

 南幌東町行きの夕鉄バスを南幌ビューローで下車する。何度も乗っているこの路線だが町の中心部まで乗ったのは初めてだ。南幌ビューローというのは物産館などの観光施設のはいった建物でバスターミナルにもなっている。昔、夕張鉄道南幌駅があったのもこのあたりだ。ビューロー前の広い道路を南に進んで、突当りを右折する(A地点)。南西に農地区画で1.5ブロック行くと西十号との交差点があるので左折する(B地点)。あとはまっすぐ西十号を4ブロックくらい南下すると道が屈曲して旧夕張川に架かる小林橋に出る。ここは昔小林の渡しがあったところで、橋のたもとに説明板がある。橋を渡ると長沼町で、ここから線号の農地区画の角度が変わり、付番システムも異なるので紛らわしい。南幌町の西十号は橋を渡ると長沼町の北六号になる。三角点へは橋を渡った対岸の堤防上をたどれば近いのだが、とても歩けそうにないので一旦1ブロック先の西四線まで出る(C地点)。そこを右折して1.3ブロック先にあたる農道の交差点を右に入る(D地点)。川に向かって進み、堤防に突き当たったところ(E地点)の右側の畑のあぜ道の先が三角点位置だ。水路沿いの草の中を正面の林までたどりつくと、溝の先に表示杭と三角点標石が見える。

 点の記によれば、ここは1971(昭和53)年の設置。「至誠(しせい)」というなんとも大仰な点名はとても気になるが、明確な由来はわからない。少し離れたところの用水路には至誠橋というのもあるので、昔そういう地名があったのかもしれないが見つけられなかった。関係あるのかないのか、町の反対側の先年閉校になった西長沼小学校の学校だよりの名前が「至誠」だ。その昔孟子ゆかりの教育者でもいたのかもしれない。

〇四等三角点「至誠」
 北緯 43°01′50″.3566
 東経 141°39′50″.5452
 標高 (m) 9.28

 

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南幌ビューロー

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南幌ビューロー前から南方向

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公園に突当たる(A地点)

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右折した南西方向(A地点)

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西十号との交差点(B地点)

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左折した南東方向(B地点)

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小林橋で旧夕張川を渡る

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原始河川のような旧夕張川

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長沼町西四線との交差点(C地点)

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右折した南西方向(C地点)

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農道の右折点(D地点)

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右折した旧夕張川方向(D地点)

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堤防の草むらに突き当たる(E地点)

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右手の畑のあぜ道の突当りに三角点(E地点)

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溝を渡った木の根元に標石

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年6月18日 (水)

四等三角点「中沢」

 「北里」の次に向かったのは、2キロほど南にある「中沢」。探訪日は同じく2025年6月2日。

 「北里」から国道にもどり、すぐ先の信号交差点を右折する(I地点)。あとは道なりに進んで東の里遊水地沿いの直線道路を500メートルほど南下した左側の電柱の先の草むらに三角点がある。しかし一面の草むらでそれらしいものは見えないし、探しようもない。こういうとき、標示柱や表示杭があると助かるのだがそういう手がかりが一切ない。民生用GPSはピンポイントの精度はないので、これも頼りにならない。というわけでギブアップしそうなところだが、いやまてよ。道路の反対側の低木の並びに特徴があり、グーグルマップの写真と照らし合わせると、その真向かいが三角点位置だ。このあたりだよなと移植ごてで突いてみると、カチンと標石にぶつかり、花崗岩の滑面がでてきた。まったく僥倖としか思えない。こういうこともあるんだな。ちょっとことばでは説明しきれないし、わかりやすい写真も撮れなかったのが残念だが、とにかく見つけることはできた。

 点の記によれば、ここは「北里」と同時期の1983(昭和58)年の設置。「中沢(なかざわ)」という点名は、このあたりの地名である中の沢に由来するものだろう。廣島村東部の千歳川流域は昔から中之澤原野とよばれていた。前回の「北里」もそうだが、なぜか間の「の」を落として中沢と短縮するのは点名以外に例がないと思う。

〇四等三角点「中沢」
 北緯 42°58′59″.4289
 東経 141°34′57″.7134
 標高 (m) 5.51

 

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国道274号からの右折点(I地点)

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右折した南方向(I地点)

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遊水地横の電柱の先が三角点位置(矢印あたり)

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電柱(青矢印)と標石(赤矢印)の位置関係(左側が道路)

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2025年6月17日 (火)

四等三角点「北里」

 「共栄」の次に向かったのは、1.5キロほど東にある「北里」。探訪日は同じく2025年6月2日。

 「共栄」の前の道を北上して国道274号に出てもいいが、公園のパークゴルフ場の中を通って道道46号に出た方が少し近い(F地点)。そのすぐ先が国道との大きな交差点だ(G地点)。右折して国道を東に進む。ここは道東方面への主要道であり、行先表示に帯広の文字が見える。交通量の多い国道の歩道を約1キロ進んで左の農地への細い農道へ左折する(H地点)。水田にぶつかったところが変形十字路になっていて、右角にカラーコーンが置いてあり、そこが三角点位置だった。とてもわかりやすい。

 点の記によれば、ここは1983(昭和58)年の設置。「北里(きたざと)」という点名は、このあたりの地名である北の里に由来するものだろう。北広島市中心部の周囲には、廣島村時代からの北の里、西の里、南の里、東の里という地名が今も残っている。

〇四等三角点「北里」
 北緯 42°59′57″.0134
 東経 141°34′25″.9395
 標高 (m) 6.48

 

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「共栄」横の公園

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公園内から表通りに出てすぐの国道交差点(G地点)

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右折した東方向(G地点)

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細い農道への左折点(H地点)

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左折した農道(H地点)

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変形交差点に突当たる(矢印が三角点位置)

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目印のコーンと三角点

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年6月16日 (月)

四等三角点「共栄」

 前回で南幌町西部は一段落といいたいところだが、実は長沼町との町界を流れる旧夕張川界隈にはいくつか気になっているところがある。ただしいかにもアクセスが不便でうまい行程が決まらないのがネックだ。とりあえずそっちはペンディングということにして、今回は北広島市街地近くをまわることにした。千歳線沿線は一昨年に南千歳まで歩いてはいるのだが、そのときはなぜか北広島を飛ばしている。いくつか問題があって気乗りしなかったせいだ。とはいっても外堀が埋まっていくと空白になっているのも気になるのでまあ行ってみよう。まず、市街地近くの「共栄」から。探訪日は2025年6月2日。

 北広島の利点はなんといってもアクセスのよさだ。本数の少ないバスダイヤに縛られないので行程が自由なのがありがたい。北広島駅で快速エアポートを降りて、東口から北方向の遊歩道(エルフィンロード)を歩き始める(A地点)。この道はもともと千歳線旧線跡のサイクリングロードだが、いまではボールパークへの主要なアクセス路となって、試合日には多くの人が行き来する。ぼくも何度も歩いたことがある。今回は、駅を出て少し行ったところの分岐(B地点)から市役所庁舎への道を下りる。出たところが大曲通で、市役所の角の交差点をあゆみ通りへ左折する(C地点)。輪厚川を渡り、道なりにゆるやかにのぼっていくとT字路に突き当る(D地点)。歩道はその先に続いていて次の道にぶつかったところで右折する(E地点)。右側はかぜの子公園のパークゴルフ場になっていて、その先の道路際の笹薮に四角いコンクリート枡があって、中心に三角点の金属標柱が埋まっている。

 ここは、残念ながら現況状態が「傾斜」で、成果公表停止になっているので点の記の閲覧ができない。今昔マップでは、1975年にはなく1996年には現位置に記載があるのでこの間の設置だろう。おそらく近隣の四等三角点と同時期の1983年ではないかと思われる。丸い金属標は南幌町でも何か所か見かけたし、コンクリートの円柱に埋まっているのも「鶴城」と同じだが、全体が大きなコンクリートの角枠に収められているのは珍しい。点名の「共栄(きょうえい)」はこのあたりの古くからの地名だ。


〇四等三角点「共栄」(参考値)
 北緯 42.99608392
 東経 141.5593947
 標高 (m) 22.93

 

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北広島駅遊歩道出口からみた橋上駅舎(A地点)

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ボールパーク方向への遊歩道(A地点)

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市役所への分岐点(B地点)

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市役所前の左折点(C地点)

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左折したあゆみ通り(C地点)

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突当りの先に歩道が延びる(D地点)

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車道に出て右折方向(E地点)

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右手公園の先の藪に三角点のコンクリート枡(矢印)

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全景

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金属標

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2025年6月 5日 (木)

四等三角点「中央」

 「暁」「明星」をめでたく観望したので、帰途につくことにする。北広島と南幌を結ぶ道道1080号を通るバスがあり、どこから乗ってもいいのだが、夕張太の中心部でバス停のある道道交差点には四等三角点「中央」があるので、最後にそこに寄ることにする。探訪日は同じく2025年5月27日。

 「暁」からは例によって碁盤の目のどこを通っても行けるが、歩きやすそうな西十七号→H地点→南十四線→I地点→西十九号という経路をたどることにする。4ブロック約2キロの道のりだ。夕張太中心部の道道交差点に北西側から到達すると、右手前角の薄暗い塀際に三角点がある。草むらに埋もれているが、標石が顔を出していてすぐに見つかった。余談ながら、この交差点にはセコマがあり、バス停にはきれいな待合室とトイレ、その裏は広い公園になっているので、バスを待つ間に本日の成果を愛でつつ祝杯をあげられるという寸法になっている。

 点の記によれば、ここは1984(昭和59)年の設置で、設置日も様式も前回訪問した「協伸」と同じだ。「中央(ちゅうおう)」という芸のない点名は、夕張太中心部にあるからだろう。ちょっとは暁の明星を見習ってほしいものだ。

〇四等三角点「中央」
 北緯 43°01′41″.3643
 東経 141°35′45″.3330
 標高 (m) 5.74

 

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西十七号と南十四線の交差点(H地点、南西方向)

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西十九号との交差点(I地点)

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左折した南東方向(I地点)

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道道同士の交差点(右角の塀際に三角点)

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塀際の標示柱の根元に標石(矢印)

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全景

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標石

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夕張太のバス停

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

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