カテゴリー「旅行・地域」の記事

2023年11月28日 (火)

四等三角点「武田東」

 新篠津の三角点歩き後半の最後は、「北四号」からさらに西へ1キロほどの「武田東」。ここまでくればもう新篠津市街よりも北海道医療大駅の方が近い。探訪日は同じく2023年10月13日。

 「北四号」まで歩いてきた道を北四号(道路の名前)との交差点(K地点)までもどる。交差点を右折、すなわち篠津運河の橋の方から来ると直進する方向(西方)へ進む。2ブロック先の農道交差点を右折する(L地点)。すぐに左に農家があり、右の林帯の先の小径の横に黄三角標識ポールが立っていて、根元に三角点がみえる。

 点の記によれば、ここは1989年の設置。新しい四等点によくある4個の保護石ごと上面舗装枠で固定されているタイプ。点名の「武田東(たけだひがし)」は、このあたりの古くからの地名である武田の東部に由来する。

〇四等三角点「武田東」
 北緯 43°13′50″.3503
 東経 141°35′19″.0637
 標高 (m) 8.07

 

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「北四号」への分岐交差点から西方向(K地点)

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2ブロック先の交差点(L地点)

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右折した北方向(L地点)

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右手の小径の脇(矢印位置に三角点)

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分岐からみる

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2023年11月27日 (月)

三等三角点「北四号」

 新篠津の三角点歩き後半の続き。「豊野」から篠津運河を渡って「北四号」へ。探訪日は同じく2023年10月13日。

 「豊野」まできた道をそのまま西へ進むと、篠津運河に並行する道路に突き当る(I地点)。左折するとすぐに右に運河を渡る橋への分岐があるので(J地点)、右折して橋を渡る。この道が北四号で、道なりに進んで次の農道交差点を右折する(K地点)。道路右側には一段低いところを水路が並行しており、北へ約1ブロック進んで右手に点在する農家の間の、スノーポール直下の水路際に白い三角点標石が見える。水路までの斜面は少し急なので注意して下りる。

 点の記によれば、ここは1978年に旧設置、1996年に再設置となっている。三等三角点なので最初の設置は大正時代であり、それが後年移転されたのだろう。古い地図では現在地より400 mほど北西の位置に三角点記号がある(新旧地図十字線位置)。点名の「北四号(きたよんごう)」は南を通る区画路の名称だ。三角点位置は北五号あたりになるが、北五号に相当する区画路は抜けているので、代用したのだろう。

〇三等三角点「北四号」
 北緯 43°14′06″.8218
 東経 141°36′06″.9879
 標高 (m) 6.59

 

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「豊野」から通りを西進した突当り(I地点)

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左折してすぐの右折点(J地点)

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右折すると運河の橋(J地点)

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篠津運河上流方向

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約1ブロック先の交差点(K地点)

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右折した北方向(K地点)

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農家の間のスノーポール下(矢印位置に三角点)

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水路際まで下りる

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(HINATA GISより, 左が1916年)

2023年11月24日 (金)

四等三角点「豊野」

 新篠津の三角点歩き後半、「北二号」のあとは道道をそのまま西へ進んでもよいのだが、ちょっと寄り道をすることにして、次は少し北にある「豊野」へ。探訪日は同じく2023年10月13日。

 「北二号」から畦道をそのまま歩いて、正面右手の水路の橋を渡り道路に出る(D地点)。すぐ北に道道との交差点があるので、直進して北へ向かう(E地点)。1ブロック先でT字路へ突当たる(F地点)。直進する小径もあるが、先の沼川に橋がないので渡れない。ここを左折して沼川を渡ると右手に地図にない小径があるので、そこを折れる(G地点)。農地の間を1ブロック北へ進んだ交差点を左折する(H地点)。そこからすぐの左手水路脇に三角点がみえる。標石は保護石3個に囲まれ、横に三角ポールが倒れている。

 点の記によれば、ここは1986年の設置。標石は補修されて四等表記が消えてしまっている。点名の「豊野(とよの)」はこのあたりの古くからの地名だ。

〇四等三角点「豊野」
 北緯 43°13′54″.7861
 東経 141°36′50″.3971
 標高 (m) 7.29

 

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「北二号」から前の道路に出たところ(D地点)

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道道との交差点(E地点、北方向)

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突当りのT字路(F地点)

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左折した西方向(F地点)

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橋を渡ってすぐの右折点(G地点)

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右折した北方向(G地点)

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1ブロック先の交差点(H地点)

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左折した西方向(H地点)

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少し先の左手水路横

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反対側から見たところ

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2023年11月23日 (木)

三等三角点「北二号」

 新篠津の三角点歩き、前半は函館本線上幌向駅から新篠津村中心部を経て「宍粟」まで歩き、しんしのつ温泉からバスで上幌向へもどった。その続きの後半は、上幌向駅からバスで新篠津バス停まで行き、そこから歩いて学園都市線北海道医療大学駅へ抜けた。2回合わせると上幌向駅から北海道医療大学駅まで歩いたことになる。通しで歩いても18キロ弱なので歩けないことはないが、急ぐ旅でなしのんびり歩いたというわけだ。その後半の一つ目は、新篠津市街地から西へ道道を2キロ進んで「北二号」へ。探訪日は2023年10月13日。

 上幌向駅前の国道沿いにある上幌向バス停からしんしのつ温泉行きのバスに乗り、新篠津バス停で下車。所要約15分、バスは速い。新篠津バス停は、町の中心を通る道道81号からしんしのつ温泉方面へ左折する信号交差点(A地点)の角にあり、バスは交差点をショートカットするように斜めに抜け、その途中にバス停と待合所がある。バスを降りて、交差点(A地点)を西方向へ歩く。4ブロック進むと方向標識のある大きな交差点に出るが、その150 mくらい手前に左に折れる地図にない小径があるのでそこへ左折する(B地点)。小径を100 mくらい歩くと右手の農地の斜め屋根の倉庫の横に出る畦道があるので、そちらへ右折する(C地点)。畦道を進むと倉庫の手前左側に表示杭と標石が見える。

 点の記によれば、ここは1947年に旧設置、1978年に再設置となっている。古い地図では現在地よりも少し南側に三角点記号があるので(新旧地図十字線位置)、大正時代に設置したものを昭和に入って移転したものだろう。保護石はなく柱石のみで、柱石は白くてきれいだが、天面が汚損しているのが残念だ。なお、点の記の地図には小屋(倉庫?)が2つ並んでいるが、右側のはなくなっている。点名の「北二号(きたにごう)」は道道81号に指定されている区画路の名称だ。

〇三等三角点「北二号」
 北緯 43°13′16″.7338
 東経 141°37′08″.1972
 標高 (m) 8.31

 

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バス停「新篠津」のある角(A地点、正面が西方向)

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4ブロック先の交差点の150 m手前(B地点)

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左折した南方向(B地点)

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100 mほど進んだ右折点(C地点、矢印方向へ)

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右折して畦道を倉庫方向へ(C地点、矢印位置に三角点)

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倉庫の手前の三角点

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反対側から見たところ

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(HINATA GISより, 左が1916年)

 

2023年11月 5日 (日)

四等三角点「宍粟」

 新篠津界隈の三角点めぐり第1回のおしまいは、「新篠津」から「宍粟」へ。探訪日は同じく2023年9月25日。

 「新篠津」から村の中心部へ出るにはM地点まで戻る方が若干近いが、同じ道を歩くのも芸がないので、三角点前の道を西にたどって月形へ通じる道道との交差点に出る(N地点)。そこを左折して1ブロック南下すると「新篠津市街」バス停の近くの道道交差点に出る(O地点)。右折するとすぐにバス停があり、右手に村役場をみて直進すると次の角が「新篠津」バス停だ(P地点)。ここを左折してしんしのつ温泉方面へ1ブロック南下した交差点が「宍粟」バス停でここを右折する(Q地点)。あとは左手の住宅地を見ながら進み家の途切れた先の左手、水路との間に上面舗装に囲まれた三角点がある。

 点の記によれば、ここは1990年の設置。点名の「宍粟(しそう)」は、難読市名として有名な兵庫県宍粟市に縁がある。明治時代に彼の地の人々がこのあたりに入植したことから、宍粟という地名が現代まで残ったものだ。

〇四等三角点「宍粟」
 北緯 43°13′07″.9127
 東経 141°38′28″.0882
 標高 (m) 7.88

 

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「新篠津」の角から西方向へ

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道道との交差点に出る(N地点)

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左折した南方向(N地点)

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新篠津市街の交差点(O地点)

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右折した西方向(O地点)

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新篠津バス停の交差点(P地点)

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左折した南方向(P地点)

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宍粟バス停の交差点(Q地点)

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右折した西方向(Q地点)

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建物の先の道路と水路の間

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2023年11月 4日 (土)

二等三角点「新篠津」

 ちょっと間が空いてしまったが新篠津界隈の三角点めぐりの続き。「大沼橋」の次はいよいよ石狩川を渡って新篠津村にはいる。まずはその名も「新篠津」、貴重な二等三角点だ。探訪日は同じく2023年9月25日。

 「大沼橋」から道道にもどって新篠津方面へと向かう(J地点)。大沼橋をわたると次はいよいよ石狩川に架かる優美な斜張橋たっぷ大橋だ。渡り終えて新篠津村にはいり、すぐに右折して堤防上の道にはいる(K地点)。少し上流側に進むと左の堤防下に下りる分岐があるのでそこを左折する(L地点)。下りたところを右折して堤防下を北に向かう(M地点)。あとは500 mほどで三角点のある交差点に着く。新篠津村までバスで来た場合は、「新篠津市街」バス停からO→Mとたどればよい。三角点は交差点の北西角の畑の手前の草地にあり、白い標石と隣の標柱が道路からでも目立つのですぐ見つかる。

 点の記によれば、ここは1987年11月移転となっていて、残念ながらそれ以前の履歴の記載がない。もちろん二等三角点なので最初の設置は大正初期と思われる。こういうふうに移転時に点の記が更新されて、それ以前の履歴が転記されない例が散見されるが、貴重な歴史資料なのだからきちんと記載してほしいものだ。古い地図によれば旧位置は現位置の300 mほど東の川岸で、ちょうど9 mの標高点があるあたりだ(新旧地図十字線位置)。孤立する標石は純白に近く美しいが、角が何か所も削られているのが痛々しい。新篠津村の歴史は古く、明治時代中期に分村成立しているから、点名の「新篠津(しんしのつ)」は村名由来だ。

〇二等三角点「新篠津」
 北緯 43°13′49″.4988
 東経 141°39′25″.5617
 標高 (m) 9.78

 

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「大沼橋」から道道へ戻り石狩川を渡る

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たっぷ大橋から見た石狩川下流方向

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渡り終わって堤防上道路へ右折(K地点)

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すぐに左へ降りる(L地点)

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降りて堤防下道路へ右折(M地点)

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右折した北方向(M地点)

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三角点のある交差点

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角の畑の手前に白い標石が見える

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反対側から見たところ(正面が堤防)

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(HINATA GISより, 左が1916年)

 

2023年10月29日 (日)

四等三角点「外宮前」

 新篠津編が「大沼橋」までしかいってないが、先にこちらを書いてしまう。お伊勢参りのついでにどこか寄れるところはないかなと国土地理院基準点成果等閲覧サービスで検索したところ、外宮の真ん前にその名も「外宮前」があるのを見つけたので見てきた。探訪日は2023年10月25日。

 JR伊勢市駅を出て正面の鳥居から外宮の参道が続いている(A地点)。土産物屋や旅館などが立ち並ぶ道を5分歩くと通りに出て、渡った左が小公園になっている(B地点)。道路に面した生け垣のすぐ裏に三角点があり、公園の舗装面と同一平面に上面舗装と中心の標石がある。

 点の記によれば、ここは2002年10月の設置。伊勢市内にはこの周囲に何か所か四等三角点があるが、すべて同時期の設置で地下埋設上面舗装という形態も同じだ。北海道外の三角点を見るのは初めてなので興味津々だったが、これまで見てきた四等三角点と同じような形式だ。それもそうか。点名の「外宮前(げぐうまえ)」はその名の通り、この先すぐに伊勢神宮外宮があることによる。正式には「げくう」と濁らないという話だが、点名は人口に膾炙している通り「げぐう」だ。

〇四等三角点「外宮前」
 北緯 34°29′16″.4998
 東経 136°42′25″.6521
 標高 (m) 3.27

 

 231029a
伊勢市駅からの参道

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交差点の先の公園(B地点)

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生垣を内側から見る(手前に三角点)

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2023年10月23日 (月)

四等三角点「大沼橋」

 新篠津界隈の三角点めぐり、「幌達布」の次に向かったのは「大沼橋」。新篠津界隈といいながらここまではまだ岩見沢市内。探訪日は同じく2023年9月25日。

 「幌達布」まで来た道路を北東方向に引き返す。G地点を過ぎて直進すると道道に行き当たるのでそこを左折してもよいが、ひとつ手前の道を左にはいることにする(H地点)。この道は幌達布集落内の道で、左手に旧幌達布小学校跡が広がり、記念碑、二宮尊徳像などが立ち並ぶ。その先には多目的体育館が威容を誇っている。立派な寺の前を右に折れるとすぐに道道に行き当たる(I地点)。左折して道なりに進み、幾春別川にかかる北幌橋を渡った先を右に折れる(J地点)。ゆるやかに左カーブした先に左の農地に入る横道があり、入った右手に黄色の三角プレートが横倒しになっているのが道路から見える。その根元にマンホールがあって鉄蓋の中に三角点がある。「幌達布」から2キロくらい。バス利用なら北幌橋手前の北幌橋バス停で降りる。

 点の記によれば、ここは2013年8月の設置だからまだ10年しか経っていない。最も新しい部類だろう。ぼくがこれまで訪れた中では当別町の「二十三線」と2日違いだ。同時期設置のせいか形態もよく似ている。マンホール鉄蓋式の三角点は他にもあるが、実は鉄蓋の意匠は何種類かあり、これより古いものでは日本地図が描かれているが、ここと「二十三線」のは地図がなく中央に三角点と刻字されているタイプだ。点名の「大沼橋(おおぬまばし)」は、幾春別川と石狩川の間にある大沼に架かる道道の橋の名前だ。単に大沼でもよさそうだけど。

〇四等三角点「大沼橋」
 北緯 43°13′03″.0909
 東経 141°40′30″.6494
 標高 (m) 8.38

 

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「幌達布」から来た道をもどる(北東方向)

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道道に突き当る手前を左へ(H地点)

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左折した北西方向(H地点)

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道なりに進んで道道に出る(I地点)

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左折した北西方向(I地点)

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北幌橋の先のT字路(J地点)

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右折した東方向(J地点)

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左への小道の横に三角ポールが倒れている(矢印)

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三角ポールから道路側をみる

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鉄蓋

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2023年10月22日 (日)

三等三角点「幌達布」

 新篠津界隈の三角点めぐり、「鮒沼」の次に向かったのは「幌達布」。探訪日は同じく2023年9月25日。

 「鮒沼」のある交差点(D地点)からさらに北西方向へ2ブロック進んだところの変形十字路を左折する(E地点)。右手にタマネギを満載したコンテナの列をみながら進み、新篠津への往還である道道81号を渡って、さらに1ブロック直進したところを右折する(F地点)。ダートの道を1.5ブロック進んで舗装道路に出たところを左折する(G地点)。右手の先に民家が見え、その手前の畑と藪の境界に三角点がある。G地点から電柱を2本進んで屈曲した紅白のスノーポール(3枚目の写真に写っているやつ)が立っているあたりの道路下だ。草が茂っているが、スノーポールの下を目印にさがすと標石が見つかる。「鮒沼」から3キロちょっとの距離。道道のもよりバス停は拓幌。

 点の記によれば、ここは「鮒沼」と同じ1914年の設置。それ以降移設等の履歴はなく、大正時代のままの姿で今も立っている。保護石はなく柱石のみ。畑地からはずれているせいか、「鮒沼」のような欠損部もなくきれいな柱石が残っている。点名の「幌達布(ほろたっぷ)」はこのあたりの集落の名前だ。ここは岩見沢市に併合される前の旧北村の村域であり、村に何か所かある集落のひとつ。現在も付近の道道沿いに民家が並んでいて、小学校跡もある。ちなみに、大正時代の地図ではこのあたりの石狩川両岸には他に上達布、下達布、袋達布などの地名があり、この一帯が達布とよばれていたことがわかる。新篠津村に至る道道が渡る石狩川の橋は、以前は岩見沢大橋だったが、平成に入ってから立派な斜張橋に架け替えられ、名称もたっぷ大橋となった。

〇三等三角点「幌達布」
 北緯 43°12′20″.8179
 東経 141°40′14″.1751
 標高 (m) 9.19

 

231022a
「鮒沼」の先の交差点(D地点)

231022b
さらに2ブロック進んだ変形交差点(E地点)

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左折した南西方向(E地点)

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2ブロック進んだ交差点(F地点)

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右折した北西方向(F地点)

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舗装道路に突き当る(G地点)

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左折した南西方向(G地点、矢印が三角点位置)

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スノーポール根元あたりの道路脇

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2023年10月21日 (土)

三等三角点「鮒沼」

 函館本線下り方面の三角点めぐりは美唄へ到達して一段落。次に、岩見沢から鉄道路線を離れて未踏の新篠津村方面へと向かうことにした。まず岩見沢市の上幌向駅から新篠津村中心部まで歩くこととして、途中の「鮒沼」へ。探訪日は2023年9月25日。

 上幌向駅は昨年「上幌向」から岩見沢市内へ歩いたときに降りた駅だ。そのときは駅正面の南口へ出たが、今回は新篠津をめざすので裏側の北口からスタートする。上幌向駅は橋上駅で、ホームから跨線橋を上って無人の改札口を出ると左右に通路が分れ、右側に進むと北口へ出られる。出た先は線路と平行する道路でそこを左折して南西方向に進む(A地点)。すぐにT字路に突き当るので右折する(B地点)。その先へ少し行ってクランク状に道が食い違っているところ(C地点)を通過すればあとはずっと直進だ。駅から30分ほどで三角点のある交差点に着く(D地点)。交差点の手前に水路に架かる橋があり、その手前右手の畑の角に三角点があって、ちょうど紅白の長いポールが目印に刺してある。標石はその根元にある。

 新篠津村には鉄道が通っていないが、岩見沢と新篠津の間は新篠津交通バスが1日10往復走っている。バスは歩いてきた道の一本南西の道道81号(岩見沢石狩線)を通っており、「鮒沼」の交差点を南西に1ブロック歩いたところに四線橋バス停があるので、そこから歩けばすぐだ。バスは上幌向駅(南口の前、A'地点)を通るので、札幌方面から向かう場合は岩見沢まで行かずともそこから乗れば早い。

 点の記によれば、ここは1914年に旧設置、1982年に再設置となっている。古い地図では現在地よりも少し南側に三角点記号があるので(新旧地図十字線位置)、大正時代に設置したものを昭和に入って移転したものだろう。保護石はなく柱石のみ。柱石は白くてきれいだが、農機に削られたか周囲が欠けているのが残念。点名の「鮒沼(ふなぬま)」はすぐ南側にある河跡湖とおぼしき沼の名前だ。近くには「猫沼」など似たような沼がいくつもあるが、いまでは干上がっているものも多い。

〇三等三角点「鮒沼」
 北緯 43°11′50″.8490
 東経 141°41′50″.3051
 標高 (m) 9.01

 

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上幌向駅北口(A地点)

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駅を出た道から南西方向(A地点)

231021c
突き当たった右折点(B地点)

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右折した北西方向(B地点)

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途中のクランクを直進(C地点)

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三角点のある水路の橋手前

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右手の畑手前にポール(矢印)

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ポール位置を反対側から見る

231021i
全景

231021j
標石

231021z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

231021zz
新旧地図比較(HINATA GISより, 左が1916年)

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