カテゴリー「旅行・地域」の記事

2024年5月17日 (金)

銭函駅

 函館本線銭函駅。札幌から小樽方向へ向かって10番目の駅だ。昔は間に桑園、琴似、手稲しかなかったから、周辺の宅地化によって6駅も増えた。官営幌内鉄道が北海道最初の鉄道として開業した当初からの歴史ある駅だ。行政上はここから小樽市になる。石狩平野が西に尽きて後志の山塊が海にぶつかる位置にあり、ここから小樽に向かって線路は断崖下を縫うように海岸線を通っている。銭函は昔からの札幌市民にとっては海水浴場のイメージだが、より古くはニシン漁で栄えたということで、あまりに即物的なこの地名もそれに由来しているという説だ。ホームには昔の銭函のレプリカ?が鎮座しており、おめでたいと思う向きもあるようで、入場券が縁起切符として人気が出たこともある。

 そんな近在の有名駅でありながらぼくが降り立ったのは今回が初めてだ。昭和初期に建てられた現在の駅舎はなかなか風格がある。駅前はロータリーになっていて、バス停もタクシー乗り場もある。駅は海岸に向いていて、住宅街は駅裏の台地を上った方向にあるので、アクセス客の需要があるのだろう。駅員が常駐しているJRの直轄駅だが、快速列車は停車せず、データイムは毎時2本の普通列車のみだ。上下対面の2ホームと退避用の中線をもつ。この中線は現在は、隣のほしみ駅始終着電車の折り返しに用いられており、ほしみに着いた電車はここまで回送されて中線で折り返してほしみへもどる。どうせならここまで営業運転すればよさそうだが、ホームで折り返せる配線にはなっていないのだ。

 

 

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駅舎正面(最後の1枚以外2024.4.15)

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駅舎内の改札口

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駅舎側3番ホームから小樽方

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駅舎側3番ホームから札幌方

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3番ホームにある銭函

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1番ホームの駅名標

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小樽方踏切からみた中線折返し電車
(回166M~回165M、2024.4.26)

2024年5月 6日 (月)

四等三角点「礼文塚」

 点名とは裏腹に藪の中で見つからなかった「畑中」に続いて、張碓町へと足を延ばして「礼文塚」へ向かう。探訪日は同じく2024年4月26日。

 住所は張碓だが函館本線の張碓駅はとっくに廃止されている。もっとも元の張碓駅よりも銭函駅からアクセスした方が近い。銭函駅からは、「畑中」への順路である道道の鋭角交差点を直進し、国道5号に出る手前のT字路を右折する(I地点)。あとは道なりに北西方向へ直進し、礼文塚川の深い谷を迂回して渡ると張碓町にはいる。「畑中」からだと道営住宅角(D地点)までもどって右折し、高等支援学校の入口(F地点)を左折してつぎの信号(G地点)を右折するとこの道に出る。直進してきた道が国道5号に出る手前の印刷会社の角を右折する(H地点)。前方に墓地が見え、その手前にふれあい公園がある。銭函駅から約2.6キロ、ただし国道5号を歩いたほうが若干距離は短い。三角点は墓地の一番南側の列の5基目の裏あたりにあるはずだ。しかし、雪解け後の枯れ草をかき分けてみても地面には石がゴロゴロしているだけで、一向に標石らしきものは見あたらない。残念ながらここも撤退。

 点の記によるとここは1967年の設置。2006年の観測時の写真はほとんど現在と変わらないように見えるので、丹念に探せば見つかるかもしれない。点名の「礼文塚(れいぶんづか)」は川名にあるようにこのあたりの地名で、読みは「れぶんづか」が正しいように思う。点名に付されたふりながはときおりこういう齟齬がある。

〇四等三角点「礼文塚」
 成果なし

 

 

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国道5号に出る手前の右折点(I地点)

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右折した北西方向(I地点)

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印刷会社の角の右折点(H地点)

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右折した北方向(H地点)

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公園とその先の墓地

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墓地の横の三角点位置(矢印)

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年5月 5日 (日)

三等三角点「畑中」

 札幌市内から東方、南方と歩いてきた三角点めぐり、今年は西方向へと足を延ばすことにした。函館本線上り方向は星置駅近傍の「高台」まで行ったことがあるので、今回はその先の銭函にある2つの三角点を探す。まずは「畑中」へ。探訪日は2024年4月26日。

 小樽行きの普通電車を銭函駅で降りる。この駅で乗降するのはひょっとすると初めての気がする。駅前はすぐに海岸で、海沿いの道道を西方向へと進む(A地点)。すぐにJRの踏切があり、その先は国道5号へ向かって上り坂が続いている。右手には海に向かって落ち込む台地の崖になっており、崖下の狭いところに線路が敷かれている。「畑中」はこの台地の上にあり、地形図では踏切の先で崖に取り付く細道が通じているように書かれている(B地点)。たしかにそば屋の駐車場の奥に階段が取り付けてあり、つづら折りの上り坂の先は笹薮を刈り払った歩道が続いている。しかしこの道が通れるのは実線部分までで、三差路から先の「畑中」方向の破線部分はすぐに深い笹薮になって歩行困難なことは下見時にわかっていた。

 なので、「畑中」へは反対側からアプローチすることになる。駅前からの道道を少し上ると右に鋭角に分岐する坂道があるのでそこを上る(C地点)。台地上に登って道なりに進み、大きな道営住宅の角を右折する(D地点)。まっすぐ海方向へ歩くと、細道となって正面に新しいアパート様住宅に突き当る(E地点)。ここまで銭函駅から1キロちょっと。地形図の破線歩道はその裏を通っているようだがおそらくそちらは藪で通行不可だろう。三角点位置はアパートの右をすり抜けて奥の四角い物置の横に出ると、その右手の土手を乗り越えた先の藪の中になる。土手からはすぐのはずだが、なにぶん藪が深くちょっと漕ぎ分けたくらいでは全然見つからない。残念ながら撤退となった。

 点の記によれば設置は1913年と古く、2006年の観測時にも笹薮の原野となっている。アクセス路の地形図の歩道は幅約1 mと書かれているが、それから20年近くの間に廃道となってしまったのだろう。幸い藪を切り拓いて新たにアパートが建ったので、その横からはいれるようにはなったものの、標石までは到達できなかった。点名の「畑中(はたなか)」の由来は不明。このあたりの地名は古くは歌棄(うたすつ)であり、道営住宅の角にうたすつ公園がある。

〇三等三角点「畑中」
 成果なし

 

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銭函駅(A地点)

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駅前から西方向(A地点)

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実線の歩道の取付き階段(B地点、2024.4.15)

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笹薮に消える破線の歩道(三角点手前、2024.4.15)

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道道からの鋭角右折点(C地点)

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道営住宅の先の右折点(D地点)

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右折した北東方向(D地点)

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突当りの新築アパート(E地点、矢印が奥の物置)

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物置の横手

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三角点方向の藪を見る

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土手の先は一面の笹薮

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年5月 2日 (木)

四等三角点「八幡」再踏査

 「苗穂道」と同様に夏場は草が繁茂して探索できなかった三角点のひとつ、江別市の「八幡」に春先のこの時期に行ってみた。探訪日は2024年4月22日。

 2年半前の記事に書いたのと同じ道をたどって未舗装の細道を歩いて行くと、右側の側溝手前の草むらは半分枯れていて見通しがよくなっている。そして三角点位置には目印杭が打ってあり、その根元に標石が顔を出していて難なく見つけることができた。基準点等閲覧サービスの近景写真より深く埋まっており、周囲の保護石も見当たらない。夏季に草が繁茂し、目印杭が失われれば見つけるのは困難だろうと納得。

〇四等三角点「八幡」
 北緯 43°09′38″.4784
 東経 141°29′38″.6558
 標高 (m) 3.08

 

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農道と溝の間の草地に目印杭と標石

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反対側から見たところ

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全景

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標石

2024年4月23日 (火)

四等三角点「ゴルフ場」

 「苗穂道」を無事発見した後、自転車で堤防道路をもどりながら考えた。草の枯れているこの時期なら、いつも横を通りながらあまりの草藪で近づくことすらできないでいた「ゴルフ場」も到達可能ではと。というわけで帰り道に寄ってみることにした。探訪日は同じく2024年4月13日。

 「苗穂道」のD地点から堤防道路を北上し、学園都市線橋梁と続く国道337号札幌大橋をくぐって抜け、北側に出る。札幌大橋のたもとからさらに1.7キロ進むと茨戸川緑地への分岐がある(B地点)。ここから左に下りて緑地内を南下すると国道337号との交点に出る(ここが「山口向」のA地点、市内からのアクセスは「山口向」の項を参照)。分岐からさらに堤防道路を1.3 キロ進むと左手にゴルフ場が見えてくる。夏は見通しが利かないくらいの草藪だが、この時期は草が枯れてゴルフ場まで歩いて渡っていける。ゴルフ場の横を50 mくらい歩いて行くと右側の農地との段差の縁の木の間に三角点が見える。すぐ横をゴルフ場園路が通っていて、境界には白杭が立っている。

 点の記によると設置は1974年。保護石4個に囲まれた立派な三角点だ。点名の「ゴルフ場(ごるふじょう)」はあまりにもベタな名前だが、ここのゴルフ場は1966年の開設と歴史のあるコースで、三角点よりも先輩なので、まあ致し方ないか。

〇四等三角点「ゴルフ場」
 北緯 43°11′33″.3943
 東経 141°23′42″.4860
 標高 (m) 5.77

 

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国道337号から茨戸川緑地への入口(「山口向」のA地点)

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茨戸川緑地北端の水路に架かる橋(A地点)

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堤防道路との合流点(B地点、北方向)

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ゴルフ場の横(C地点、三角点は矢印の林の際)

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ゴルフ場の縁を歩いて近づくと見える

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反対側から堤防道路方向を見る

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全景(白杭は境界柱)

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入

2024年4月22日 (月)

三等三角点「苗穂道」

 札幌の北東部、苗穂から豊畑へ延びる三角点通をさらに北上し、モエレ沼の横を通って中沼から福移を過ぎると、ちょうど石狩川と豊平川の合流点に到達する。その堤防下にあるのが三等三角点「苗穂道」。大正時代からの由緒ある三角点だが、残念ながら成果異常で公表停止になっている。わが家からは石狩川堤防をまっすぐ上手と近いので気になって何度か訪問しているのだが、夏場は草がぼうぼうで見つけられなかったので、今回は春先の草のない時期に行ってみた。探訪日は2024年4月13日。

 北区あいの里にあるわが家からは、「東篠路」踏査時と同じ石狩川左岸堤防に登り、そこから堤防道路を2.5キロほど遡るとD地点に到達する。ここは豊平川が石狩川に合流する地点で、左岸サイクリングロードの終点になっているので、そちらからアクセスすることもできる。三角点はその堤防下の溝の向こう側になる。公共交通機関で行くには、地下鉄環状通東駅とあいの里教育大駅を結んでいるバスを「福移入口」バス停で下車し(A地点)、道道128号を少し南東に進んで大きく右にカーブしているところ(B地点)から左手に分れる小径をたどる。小径の突当りが豊平川との合流点あたりの石狩川堤防で、右手が中沼墓地、左手が鎖を張った空き地になっている(C地点)。ここまで1キロくらいだ。三角点は空き地の中心当たりから右手に溝に向かって一段下がった段の草むらの真ん中にある。夏場はひどい藪で下段に下りられないので、行くなら初冬か早春がおすすめだ。

 点の記が非公開なので設置日は不明だが、1916年の地形図にはすでに存在するので、大正時代以前であるのは間違いない。灰色の柱石は古びて当時から変わっていないようすだ。三等表記が西面を向いているが、これが成果異常の事由だろうか。ただ、同じねじれは「御茶ノ水」「美唄」にも見られるのでそうとも言い切れない。「苗穂道」という点名は、ここが三角点通の延長の事実上の終点にあることを意味しているのだろう。とすると、逆に三角点通という諸説ある通り名の由来がここであるのかもしれないが、さて。

〇三等三角点「苗穂道」(参考値)
 北緯 43.149794278
 東経 141.446016389
 標高 (m) 3.38

 

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道道128号のバス停「福移入口」(A地点)

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三角点通方面へ折れる交差点(B地点)

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左折した北方向(B地点)

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堤防へ突当たる手前(C地点)

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左手の広場入口(C地点)

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広場右手の溝に沿った下段に三角点(矢印)

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広場からは一段下がった段

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標石

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堤防上から豊平川合流点を見る(D地点)

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年1月22日 (月)

地震の余波

 年明け早々に起きた令和6年能登半島地震から3週間がたった。ニュースでは今も被害地域の様子が報道され続けている。多くの地域でいまだに道路の寸断、停電、断水が続き、多くの被災住民が避難生活を余儀なくされていて、生活再建などいつのことやらという状況には胸が痛む。といってぼくなんぞに直接何ができるわけでもないので、せめてもと義援金を送らせてもらった。

 それはともかく、今回の地震の大きな特徴として大規模な地殻変動があげられる。輪島市、珠洲市では数メートルもの水平移動および隆起が観測されて、能登半島北部では隆起によって90 kmに及ぶ海岸線の後退がみられるそうだ。地図を書き換えなければならないほどの変動だ。そうなると気になるのが、地域測量の基準となる三角点などの基準点の扱いだ。国土地理院webページの基準点成果等閲覧サービスをみてみると、案の定広範囲にわたって三角点・水準点などの成果公表が停止されていた。その範囲は群馬・新潟・富山・石川・長野の5県にわたり、三角点だけでも4332点にものぼる。地図でみると、震央から東側の範囲に広がっていて、石川県南部のように震源から近くても公表停止になっていないところもある。地震による地殻変動には偏りがあるということなのだろう。

 三角点フリークのぼくとしては、いったいこれどうするのだろうと心配になるが、国土地理院の発表資料に今後のフローチャートが載っていて、それによると概略は次のようになっている。

基本測量成果の公表停止(電子基準点、三角点・水準点) ←いまここ
 ↓
電子基準点成果の改定
 ↓
三角点・水準点改測作業の実施
 ↓
三角点、水準点及び電子基準点の成果改定・公表

 まずは電子基準点の成果を改定して、その後一般の三角点の改測作業が実施されるわけだ。電子基準点は衛星による測位を利用するので問題はないだろうが、それ以外の三角点についてはわざわざ現地に赴いて改測作業をするのだろうか。数ある三角点の中にはもちろん現在でも利用されているものもあるのだろうが、深山幽谷にあるようなところは明治・大正時代から点の記が更新されていないものもたくさんある。総計4000点以上となると膨大な作業量だろうし、とうてい現実的とは思えないが。

 

2023年12月19日 (火)

北海道医療大学駅

 「武田東」で終わった新篠津村の三角点歩き、その後は愛宕神社に立ち寄った後、学園都市線北海道医療大学駅へ抜けて、JRで帰途に着いた。愛宕神社あたりまでくると2キロほど西の山すそに北海道医療大学のビル群がはっきりと見える。道はほぼまっすぐで、旧学園都市線に並行していた国道275号を渡るとすぐに廃線の踏切跡で、駅がすぐだ。

 駅舎は医療大キャンパス直結で、スカイウェイという屋根つき通路で学部棟につながっている。傘いらずだ。1981年の設置当初は大学前という片面ホームの簡略駅だったが、1995年に大学が現在の名前に改称されたのと同時に北海道医療医学駅になった。それとともに折り返し列車用の2番線が新設され、2012年にはこの駅まで電化された。2020年に当駅から新十津川駅までの区間が廃止され、末端駅となって現在に至っている。

 無人駅ではあるが電化もされているし、札幌近郊区間でICカードも使えるし、そこそこ列車本数もあるので、将来的に安泰のように思われたが、今年になって突如本体の北海道医療大学キャンパスが4年後に北広島市に全面移転するという話が降って湧いて、雲行きが怪しくなった。駅の利用客はほぼ100%大学関係者なので、大学がなくなってしまえば駅の存在意義がなくなってしまう。ただちに廃駅になることはないかもしれないが、JR北海道の現状をみれば予断を許さないと思われる。

 

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駅舎正面(2023.10.13, 以下同じ)

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駅前の月形方面代替バス乗り場

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西側の裏口

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本線上の1番ホーム当別方

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1番ホーム終端方

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側線の2番ホーム

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駅名標

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終端の先の踏切跡から駅方向

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同じく石狩月形方向

2023年11月28日 (火)

四等三角点「武田東」

 新篠津の三角点歩き後半の最後は、「北四号」からさらに西へ1キロほどの「武田東」。ここまでくればもう新篠津市街よりも北海道医療大駅の方が近い。探訪日は同じく2023年10月13日。

 「北四号」まで歩いてきた道を北四号(道路の名前)との交差点(K地点)までもどる。交差点を右折、すなわち篠津運河の橋の方から来ると直進する方向(西方)へ進む。2ブロック先の農道交差点を右折する(L地点)。すぐに左に農家があり、右の林帯の先の小径の横に黄三角標識ポールが立っていて、根元に三角点がみえる。

 点の記によれば、ここは1989年の設置。新しい四等点によくある4個の保護石ごと上面舗装枠で固定されているタイプ。点名の「武田東(たけだひがし)」は、このあたりの古くからの地名である武田の東部に由来する。

〇四等三角点「武田東」
 北緯 43°13′50″.3503
 東経 141°35′19″.0637
 標高 (m) 8.07

 

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「北四号」への分岐交差点から西方向(K地点)

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2ブロック先の交差点(L地点)

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右折した北方向(L地点)

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右手の小径の脇(矢印位置に三角点)

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分岐からみる

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2023年11月27日 (月)

三等三角点「北四号」

 新篠津の三角点歩き後半の続き。「豊野」から篠津運河を渡って「北四号」へ。探訪日は同じく2023年10月13日。

 「豊野」まできた道をそのまま西へ進むと、篠津運河に並行する道路に突き当る(I地点)。左折するとすぐに右に運河を渡る橋への分岐があるので(J地点)、右折して橋を渡る。この道が北四号で、道なりに進んで次の農道交差点を右折する(K地点)。道路右側には一段低いところを水路が並行しており、北へ約1ブロック進んで右手に点在する農家の間の、スノーポール直下の水路際に白い三角点標石が見える。水路までの斜面は少し急なので注意して下りる。

 点の記によれば、ここは1978年に旧設置、1996年に再設置となっている。三等三角点なので最初の設置は大正時代であり、それが後年移転されたのだろう。古い地図では現在地より400 mほど北西の位置に三角点記号がある(新旧地図十字線位置)。点名の「北四号(きたよんごう)」は南を通る区画路の名称だ。三角点位置は北五号あたりになるが、北五号に相当する区画路は抜けているので、代用したのだろう。

〇三等三角点「北四号」
 北緯 43°14′06″.8218
 東経 141°36′06″.9879
 標高 (m) 6.59

 

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「豊野」から通りを西進した突当り(I地点)

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左折してすぐの右折点(J地点)

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右折すると運河の橋(J地点)

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篠津運河上流方向

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約1ブロック先の交差点(K地点)

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右折した北方向(K地点)

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農家の間のスノーポール下(矢印位置に三角点)

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水路際まで下りる

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(HINATA GISより, 左が1916年)

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