カテゴリー「旅行・地域」の記事

2024年11月25日 (月)

四等三角点「拓新」

 秋の当別から新篠津歩きのお終いは、「高倉」のある北六号の2本北にある北八号沿いの「拓新」へ。探訪日は同じく2024年10月18日。

 「高倉」まで歩いてきた道を、篠津運河を渡り四十二線との交差点までもどる(F地点)。右折して2ブロック分北上すると北八号に相当する道道751号に出るので、そこを左折する(G地点)。西に1ブロック歩いた四十一線との交差点(H地点)が三角点位置で、右折して水路の橋を渡った右手の林の手前の草むらをよくみると、黄色三角標識が立っている。草をかき分けていくと、その根元近くに標石がある。

 ここは、残念ながら現況状態が「露出」で、成果公表停止になっているので点の記の閲覧ができない。なので設置時期や詳細は不明だが、今昔マップの地図で1975年にはなく、1995年には載っているので、その間に設置されたものだ。点名の「拓新(たくしん)」はこのあたりの字名で、少し南の北六号沿いに拓新会館というのがある。語源はわからないが、このあたりの高倉、武田、豊野と違って大正時代の地図には載ってないので、新しい名前なのだろう。

〇四等三角点「拓新」(参考値)
 北緯 43.25218086
 東経 141.6064777
 標高 (m) 7.55

 

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「高倉」からもどった右折点(F地点)

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右折した北方向(F地点)

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2ブロック先の道道交差点(G地点)

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左折した西方向(G地点)

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三角点のある交差点(H地点)

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右折した右手林の手前(H地点、矢印に黄三角標識)

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標識を目印に草むらの中へ(矢印に標石)

241125h
全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年11月24日 (日)

四等三角点「高倉」

 秋の当別から新篠津歩き、「北六号」に続いてはさらに東に進んで、篠津運河を渡った先にある「高倉」へ。探訪日は同じく2024年10月18日。

 「北六号」までたどってきた道(北六号)をさらに東に進む。四十二線との交差点を過ぎ、次の四十三線に相当する位置で篠津運河を渡る。ちょうど運河が南流から南西へと屈曲する位置に橋が架かっている。橋からは上流側(北側)に樺戸山系、下流側(南西側)に空沼山系がきれいに望める。橋から300 mほどの右手道路下が三角点位置だ。道路と溝の間で「北六号」と同じような位置関係だが、ここは雑草がかなり茂っていて見つけずらい。一時停止予告標識の直下あたりを注意深く探すと、コセンダングサ?の群落の中に保護石に囲まれた標石が見つかった。

 点の記によれば、ここは1986(昭和61)年の設置で、同じ北六号沿いに並んでいる「三十八線」「北六号」よりやや古く、昨年探訪した篠津運河の少し下流にある「豊野」と同じ日だ。点名の「高倉(たかくら)」はこのあたりの字名で、「北六号」の近くには立派なたかくら保育所(来春閉所するそうだが)があった。高倉というのは人名由来ぽいが、北大農の先達高倉先生の一族と関係があるのかどうかは知らない。

〇四等三角点「高倉」
 北緯 43°14′35″.1401
 東経 141°37′28″.9850
 標高 (m) 8.55

 

241124a
「北六号」から東方向

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篠津運河を渡る(遠景は空沼岳)

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一時停止予告標識の根元に三角点

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年11月23日 (土)

四等三角点「北六号」

四等三角点「北六号」

 秋の当別から新篠津歩き、「三十八線」からは北六号をまっすぐ東に進んでその名も「北六号」へ。探訪日は同じく2024年10月18日。

 「三十八線」までたどってきた道をさらに東に3ブロック半歩くだけなので、とてもわかりやすい。途中で通る四十一線との交差点(E地点)を左折すると、この日最後に訪れた「拓新」に直接行ける。「北六号」はその交差点から少し進んだ右手の道路下で。4個の保護石つきのコンクリート枠がはまった標石がある。標石は基部までかなり露出しており、しかも気のせいか全体が溝の方に傾いている気がする。

 点の記によれば、ここも1989(平成元)年の設置で、「三十八線」と同じ日だ。それにしては様式が違っているのが不思議ではある。表土が流出して周囲の上面舗装枠が沈下したものか、基準点成果閲覧サービスで閲覧できる写真(2006(平成18)年10月)よりも明らかに標石基部の露出が著しく、もう成果保留(露出)としてもよいくらいだ。点名の「北六号(きたろくごう)」は説明するまでもない。

〇四等三角点「北六号」
 北緯 43°14′31″.4015
 東経 141°36′40″.6606
 標高 (m) 7.55

 

241123a
「三十八線」から東方向

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「拓新」への分岐(E地点)

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分岐から「拓新」方向(E地点)

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分岐を半ブロック直進した右側

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全景

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標石

241123z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年11月22日 (金)

四等三角点「三十八線」

 当別郊外はわが家からアクセスが良く、電車一本ですぐに歩きだせるのが魅力だ。とはいえこの秋はすでに2回歩き回ったので、手近な三角点がもうあまりないのが残念。そこで、もう少し足を延ばして新篠津方面へ行くことにした。新篠津は昨年の秋に反対側の上幌向からバスではいって当別側へ歩いたことがあるが、それを逆にたどろうというわけだ。まず向かったのは、その昨年の回ですぐ横を通りながら見落としていた「三十八線」。探訪日は2024年10月18日。

 学園都市線の電車をいまや終点になった北海道医療大駅で降りる。駅前(A地点)から右手の山すそに線路跡に沿って舗装路が延びているのでそれをたどる。 1キロほど歩くと分岐があり、すぐ右側を並行する国道275号に出る道へ折れる(B地点)。国道の手前で札沼線の線路跡(2020.5 廃止)を横切るが、踏切部分以外はまだレールが残っている。突き当たった国道を注意して渡り(C地点)、少し月形方向へいくとすぐに小さな分岐があり、そこから北六号にはいる(D地点)。この500 mくらい先の篠津川旧流路が町村界で、新篠津村にはいる。国道から北六号を碁盤の目の農地区画4ブロック東に歩いたところが三十八線との交差点で、その南東角に三角点がある。道路のすぐ下の草地に保護石4個に囲まれた標石とその横に黄三角標識ポールが立っているのが見える。

 点の記によれば、ここは1989(平成元)年の設置。没個性な点名の「三十八線(さんじゅうはっせん)」はここを南北に走る区画路の名前だ。

〇四等三角点「三十八線」
 北緯 43°14′24″.4091
 東経 141°35′14″.0834
 標高 (m) 7.64

 

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北海道医療大駅前から北東方向(A地点)

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北六号方向への分岐点(B地点)

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右折した国道方向(B地点)

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国道275号に突当たる(C地点)

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国道と並行していた札沼線跡(C地点)

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国道から北六号への分岐(D地点)

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北六号と三十八線の交差点

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渡った右角に三角点

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全景

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標石

241122z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年10月25日 (金)

四等三角点「南八号」

 今秋の当別郊外歩きその2、「菅村」までずいぶん歩いてきたので、このへんで引き返してもよいのだが、ここまできたのでもう少し先の「南八号」まで足を延ばすことにする。探訪日は同じく2024年9月17日。

 「菅村」のある篠津運河沿いの道路を南下する。道はゆるくカーブしてやがて三十一線になり、「菅村」から約2ブロックのところで南八号と直交する交差点がある(X地点)。ここは以前北西の角が短絡カーブになっていた名残りが残っている。ここを右折して南八号を2ブロック西に進むと二十九線との交差点に出る。三角点はその右角の荒地の中にあり、一面の枯草の中に白い標石が突き出ているのが道路からよく見える。

 点の記によれば、ここは1972(昭和47)年の設置で、2年後の1974(昭和49)年に現位置に移転されている。わずか2年間の旧位置は不明だが、点名の「南八号(みなみはちごう)」は道路名なので、どこかこの近くだと思う。ついでながら、1本北の南七号が市町界なので、ここは当別町ではなく江別市域になる。

〇四等三角点「南八号」
 北緯 43°09′52″.6248
 東経 141°32′08″.1536
 標高 (m) 6.52

 

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「菅村」から運河沿いの道路の南西方向

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道なりに2ブロック南下した交差点(X地点)

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右折した西方向(X地点)

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2ブロック先の交差点

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右角の枯草の中に白い標石が目立つ

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全景

241025g
標石

241025z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年10月24日 (木)

四等三角点「菅村」

 今秋の当別郊外歩きその2、「大橋」の次は1.5キロほど西の篠津運河沿いにある「菅村」へ。探訪日は同じく2024年9月17日。

 「大橋」まで南下してきた三十四線をひとつ手前の区画路交差点(V地点)までもどる。そこを左折して西方へ進む。道央圏バイパス(国道337号)の下をくぐり、ダートの細道は篠津運河に沿う舗装道路に突当たる(W地点)。鋭角に右折してちょっと歩くと右手の農地沿いに茂るスギナの中に三角点の目印杭が立っていて、その横に標示杭もある。道路からは少し先のくずれたところから溝を渡って近づくことができ、目印杭位置に標石が見つかった。ちょうど標石の正面の縁に沿って平杭が刺されていてうまく写真が取れなかったのが残念。

 点の記によれば、ここは1999(平成11)年の設置で「大橋」と同じ日だ。同日に同一設置者による設置だからといって様式が同じということはなく、こちらは「大橋」と違って保護石がない。点名の「菅村(すがむら)」は横の農地の所有者名で、Google地図にはすがむら農園と記載がある。

〇四等三角点「菅村」
 北緯 43°10′35″.4790
 東経 141°33′00″.3378
 標高 (m) 7.24

 

241024a
「大橋」から北へもどった区画路交差点(V地点)

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左折した西方向(V地点)

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運河沿いの道路に突当たる(W地点)

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右折した北東方向(W地点)

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右手の畔に目印杭と標柱(矢印に三角点)

241024f
全景

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標石

241024z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2024年10月23日 (水)

四等三角点「大橋」

 当別郊外歩きその2、「沢崎」からさらに南下して「大橋」へ。探訪日は同じく2024年9月17日。

 「沢崎」の交差点を先へ進むとすぐにT字路に突き当る(S地点)。この道は国道337号道央圏バイパスへの接続路なので車の通行がわりと多い。ここを左折してすぐに右の細道へ右折する(T地点)。道なりに進んで舗装路との十字路に出たところを右折する(U地点)。あとはまっすぐ南に2ブロック進み、3ブロックめの真ん中を過ぎた左手の畦道に三角点がある。道路との間の溝は大きなものではないが斜面が急なので、手前の農地入口からはいって畔を歩いて行ったほうがよい。標石はかなり地面から露出しており、目印杭も立っているのでわかりやすい。

 点の記によれば、ここは1999(平成11)年の設置。点の記の地図に標示杭との位置関係が記してあるのは珍しい。木製の標示杭は折損しやすいが、標示杭だけ見つかってまわりを探すこともあるからこれはよい情報だ。点名の「大橋(おおはし)」も「沢崎」と同じく謎だ。人名ぽいのですぐ先にある農家の名前かもしれない。

〇四等三角点「大橋」
 北緯 43°10′26″.3390
 東経 141°34′08″.5508
 標高 (m) 8.22

 

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「沢崎」交差点から南東方向(突当りがS地点)

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左折した北東方向(S地点)

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すぐ先の右折点(T地点)

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右折した南東方向(T地点)

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道なりに進んだ交差点(U地点)

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右折した南方向(U地点)

241023g
約2.7ブロック先の左手(矢印が三角点位置)

241023h
畔道を歩いて到達

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全景

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標石

241023z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年10月22日 (火)

三等三角点「沢崎」

 今秋の当別郊外歩きその2、「南一号」に続いては1.5キロほど南下して篠津運河を渡った先にある「沢崎」へ向かう。探訪日は同じく2024年9月17日。

 「南一号」の前の農道を東に進んですぐにぶつかる交差点を右折する(R地点)。あとはどんどん南下していくとやがて篠津運河にぶつかり、左に45度カーブして橋を渡る。渡ったすぐ先が工事用道路の交差点で、三角点はその先の左角にある。角地は一面の丈高い草むらだが、道路から三角点までは草が刈られていて、下の写真のAあるいはBのどちらからも踏み入ることができ、三角点標石と目印杭がすぐに見つけられた。草が刈られていないと分け入るのは難渋しそうなところで、テープのついた目印杭がないと見つけにくいかもしれない。

 点の記によれば、ここは1954(昭和29)年の設置で、2000(平成12)年に移転となっている。1975年の地図によると元位置は少し東側のT地点の近くだ。(新旧地図比較の右マーカー)。ただ、ここは三等三角点であり、最初の設置は大正時代と考えられる。さらに古い地図(1952)では、篠津運河の対岸の橋のたもとに記号があるので、ここが原初位置だと思う(新旧地図比較の左マーカー)。点名の「沢崎(さわさき)」は謎だ。古い地図にも近隣にそのような地名はない。人名のようでもあるがわからない。〇線だの〇号だのも好ましくないと思うが、こういう由来の思いつかないのも困りものだ。

〇三等三角点「沢崎」
 北緯 43°11′13″.6919
 東経 141°33′41″.0827
 標高 (m) 11.18

 

 241022a
「南一号」から東方向

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次の交差点(R地点)

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右折した南方向(R地点)

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篠津運河を渡る

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渡ってすぐの交差点(A,Bが三角点入口)

241022f
Aからはいると正面に標石

241022g
Bからはいると標石と目印杭

241022h
全景

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標石

241022z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

241022zz
新旧地図比較(今昔マップ on the web、 右が1975年)

2024年10月21日 (月)

四等三角点「南一号」

 秋の当別歩き第二弾は、前回より東寄りの方への向かう。まずは前回踏査した「東裏」を過ぎて「南一号」へ。探訪日は2024年9月17日。

 学園都市線当別駅から「東裏」までは前回と同じなので省略。「東裏」近くのT字路(C地点)からさらに東へ2ブロックほど行くと、東裏集落の中心交差点に出る(P地点)。右角に閉店したマーケット、廃止されたバス停と郵便局、交差点の先は東裏小学校跡がある。交差点を右折して32線沿いに2ブロック南下した先の交差点を左折する(Q地点)。未舗装の農道を半ブロックほど進んだ右手が三角点位置だが、道路と水路の間は一面の雑草に覆われている。注意深く見ると水路手前に三角点の標柱が立っているのが見えた。その手前の地面を移植ごてであちこち突いてみるとカチンと石に当たり、土をよけると運よく標石の表面があらわれた。標柱の道路側少し西寄りあたりだ。

 点の記によれば、ここは1978(昭和53)年の設置。没個性な点名の「南一号(みなみいちごう)」はここを東西に走る区画路の名前だ。

〇四等三角点「南一号」
 北緯 43°12′06″.1779
 東経 141°33′14″.3531
 標高 (m) 11.36

 

241021a
「東裏」から東進した東裏交差点(P地点)

241021b
右折した南方向(P地点)

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2ブロック先の左折点(Q地点)

241021d
左折した東方向(Q地点)

241021e
道路横の水路手前に標柱と三角点(掘り出した後)

241021f
全景

241021g
標石

241021z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2024年9月30日 (月)

四等三角点「西裏」

 秋の当別歩き、その名も「当別」まではるばる南下してきたが、あとは駅まで戻るだけ。まっすぐ引き返すのも芸がないので、ちょっと寄り道して「西裏」へ行くことにした。「東裏」に始まって「西裏」に終わるのもいい。探訪日は同じく2024年9月4日。

 「当別」まで南下してきた道を国道337号の立体交差までもどり、高架をくぐった先を左折する(F地点)。高架に沿って行くとT字路に突き当るので右折する(G地点)。道なりに歩いて交通量の多い国道275号を注意して渡るとすぐにまたT字路。ここを右折する(H地点)。たまたまその先で電気工事をやっていて車は通行止めになっていたが、歩行者は横を通らせてくれた。その先がまたT字路。こんどは左折(I地点)。あとは用水路に沿って進むが、右手に同じような農地への橋が架かっているので、曲がり角を間違えないように進んで右折(J地点)。さらに道なりに進んで突き当りを右折(K地点)。ずいぶんうねうね曲がってきたが、あとはまっすぐ行くとすぐ右手の水路の横に保護石に囲まれた三角点が見えてくる。ここまで45分くらい。当別駅から直接来るなら、「北蕨岱」の地図のO→N→M→Lとたどれば同じくらいの時間で、ぼくはそれを逆にたどって駅へもどった。

 点の記によれば、ここは1978(昭和53)年の設置で、2003(平成15)年移転となっている。古い地図(1995)では現在地の南西50 mくらい道路際が元位置だ(新旧地図比較のマーカー位置、現地図の道路からのズレはたぶん重ね合わせ誤差)。点名の「西裏(にしうら)」は東裏に対応するこのあたりの地名だが、昔から東裏ほどまとまった集落はない。

〇四等三角点「西裏」
 北緯 43°11′39″.0815
 東経 141°30′41″.3624
 標高 (m) 7.27

 

240930a
「当別」からて国道をくぐった先の交差点までもどる(F地点)

240930b
左折した西方向(F地点)

240930c
T字路に突き当る(G地点)

240930d
右折した北方向(G地点)

>240930e
道なりに進んだT字路(H地点)

240930f
右折した北方向(H地点)

240930g
T字路に突き当る(I地点)

240930h
右折した西方向(I地点)

240930i
右の水路を渡る橋(J地点)

240930j
右折した北方向(J地点)

240930k
道なりに進んだT字路(K地点)

240930l
右折した北東方向(K地点)

240930m
右手の水路際に三角点(矢印位置)

240930n
保護石に囲まれた中に標石がある

240930o
全景

240930p
標石

240929z_20240930170701
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

240930zz 
新旧地図比較(今昔マップ on the web、 右が1995年)

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