カテゴリー「寺社・仏像」の記事

2024年6月 3日 (月)

朝里神社

 小樽市朝里地区の三角点歩きの途次、たまたま前を通りかかったので寄ってみた朝里神社。きわめて簡素な造りで、鳥居と本殿のほかはなぜか用をなしていない屋根付きの手水鉢があるだけで、狛犬も由緒書きもない。もちろん無住。まあいなかの神社だからなとお参りして、帰って調べてみてびっくり。

 北海道神社庁によれば、天保5年(1834)創立という。何度か移転ではない遷座しているので元の位置はわからないが、そんなに歴史が長いのか。北海道神宮の前身である札幌神社ができたのが明治にはいってからだから、それよりずっと古い。たしかに小樽が開けたのは札幌より早いからなと納得。もっとちゃんとお参りしてくればよかった。

 

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朝里小学校を向いた正面(以下すべて2024.5.1)

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本殿

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重厚な手水鉢

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境内から鳥居側を見る


位置図

 

2023年12月 1日 (金)

愛宕神社

 愛宕神社という名前の神社は各地にあるが、全国に約900社もあってその総元締めが京都の愛宕山なのだそうだ。ぼくが行ったのはもちろんそっちではなく、北海道の片田舎、新篠津村にある愛宕神社だ。新篠津村といっても当別町との境に近く、何かと話題の北海道医療大当別キャンパスから歩いて30分ほどのところにある無住の小さな社だ。なんでこんなところに愛宕神社があるんだろう。

 北海道神社庁のwebページによれば、1895(明治28)年に武田某が愛宕神社の御神体を奉斎してこの地に入植したのが始まりというから、由来は古い。武田の名前はこのあたりの地名に今も残っていて、三角点「武田東」を探訪した話はすでに書いた。創立は不明ながら神社は大正初期よりあったということだ。農地の中にぽつんとあり、鳥居があるから神社とわかるものの、社殿は神社らしくない。正面に愛宕神社と揮毫された古さびた扁額が架かっている。

 ついでながら、社のすぐ北隣に民家があり、その軒先の植込みの中に「武田」という三角点がある。ちょっと覗いてみたくなるが、さすがに個人の住居の窓下まで無断ではいり込むわけにもいかず、さりとてわざわざ訪いを入れるのも迷惑な話だろうから、やめておいた。

 

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鳥居

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社殿

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扁額


位置図

2023年11月 6日 (月)

新篠津神社

 新篠津村の中心部にある新篠津神社は1896年の創始。この1896年という年は篠津村(現江別市)から分村して新篠津村が成立した年でもある。まさに村とともに存続してきた神社といえる。正面の碑の村社というのは神社の社格で、無格社の一つ上だそうだ。鳥居をくぐった境内には正面の本殿の他には目立つものはなく、わずかに左手に新篠津村農協めん羊生産組合の獣魂碑が建っている。裏面には何の由緒書きもない。新篠津は稲作の村だと思っていたが、羊も飼っていたらしい。

 

 

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正面の鳥居

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境内

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本殿

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獣魂碑


位置図

2023年10月28日 (土)

伊勢神宮

 お伊勢参りに行ってきた。いなかの無住の末社と並べるのは畏れ多いが、どちらが主かはともかく三角点めぐりに付随する神社訪問のひとつでもある。三角点の話はまた後ほどとして、まずは伊勢神宮の方を。

 旅の出発は丘珠空港。今年3月からFDAの札幌丘珠~名古屋小牧便が就航したので、格段に便利になった。なんせわが家から丘珠までは車で15分だ。これが遠い千歳空港だと空港にたどり着くまでが一仕事だから大違いだ。機材が小さくて乗り降りに時間がかからず、手荷物もすぐに出てくるのもいい。札幌と名古屋という日本第5位と第4位の大都市を結ぶ便でありながら、両空港とも地平を歩いてタラップで乗り込むというのも、まるで昭和の中頃の風景のようだ。丘珠はともかく、名古屋小牧はセントレア開港前は名古屋の主要空港だったのだが、出発到着がすべて一階に集約されて搭乗口も一ヶ所のみと、往時の面影はまるでない。

 そんなこんなで伊勢に到着。一夜明けて身を浄めて神域へ向かう。外宮も内宮も、いくつもの鳥居をくぐりぬけてたどりついた正殿は、最後の鳥居のすぐ先で門が閉じられていて、え、ここで行き止まり?と拍子抜けする。森閑とした杉の巨木の間を歩いて、どんなに荘厳な神殿が現れるのだろうと期待してきた結果がこれだ。大きな賽銭入れだけはちゃんとあって、立ちはだかる門扉に向かってお参りをするものの、どうも釈然としない。日本を代表する神社の総元締めがこれではなあ。外国人もたくさんくるだろうにまるでそっけない。

 そもそもどこの神社でもご神体というのは外には現れないものなのだろうが、こうもあからさまに目の前でピシャリと扉を閉てられていては、遠路はるばるお参りにきた意気も阻喪しようというものだ。いくら想像をたくましくして願をかけてもこれではすべて扉板にはね返されてとうてい通じるとは思えない。これが仏寺ならご本尊がだいたい目前に居られているからわかりやすい。あちらは悩める衆生をあまねく救うために千本もの手をもったお姿を顕される観音様すらおられるというのに、こちらは戸板一枚、えらい違いだ。

 一生に一度はお伊勢参りと、古くから多くの人々が参詣に押し寄せた。もちろん全国から参集する人々はみな十日も二十日もかけて歩いてやってきたのだ。やっとのことでたどりついたありがたい神の社がこれでは、さぞがっくりした人も多かろう。いやそんなことは百も承知で、お伊勢参りは方便で道中や伊勢での旅の楽しみが主目的だったのだろう、などと罰当たりなことを考えてしまう。まあ他人のことは言えないか。

 

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内宮正殿前

2023年10月 6日 (金)

四国88ヶ所納経料値上げ

 四国八十八ヶ所の各札所の納経料等が来年4月から値上げになるそうだ。四国八十八ヶ所霊場会の公式ページにすでに告知されていたのだが、ぼくは低級遊民MJBぢぢいさんのブログで今日初めて知った。

 公式ページによれば、納経料は納経帳が300円→500円、掛け軸が500円→700円、白衣が200円→300円で、納経帳の重ね印は300円据え置きとのこと。リピーターは優遇され、初回者は負担増というわけだ。88ヶ所回って納経印を集めると26400円→44000円と17600円もの値上げだ。これを高いとみるかしかたないとみるか。昨今ブームになっている神社の御朱印は相場が300円で、500円のところもあるという状況らしいから、まあそんなものなのだろうか。

 それとともに納経時間も短縮されて、7時→17時だったのが8時→17時になるそうだ。こちらは朝早くから回り始めるお遍路さんには痛手だろう。ぼくも歩いたときは朝6時出発が普通だったし。ふつうの窓口なら8時でも文句のいえないところだけど、お寺の朝は早いだろうからなんとかならなかったものかと思う。なかなかお遍路歩きもやりにくくなるな。

 そういえば、この納経料と納経時間の変更、すでにやっているところもあって、上記ブログによれば12番焼山寺は500円だし、36番青龍寺は8時からなのだそうだ。前に値段や時間は実は各札所で決めていいみたいな話をきいたことがあるから、今回のはうちだけ変えるのもなと様子見していた札所の意向が集まってえいっと全部変えることにしたということなのかも。

 ぼくは近々2巡目を回ろうかと計画中だが、納経所でのゴタゴタがいやなのでもう納経印はもらうつもりはないから関係ないけど。

 

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四国八十八ヶ所霊場会の告知ページより

 

2023年9月 7日 (木)

釜加神社

 釜加神社といっても知っている人はほとんどいないだろう、と思うのはぼくが無知なせいで、ひょっとして知る人ぞ知る神社なのかも。千歳神社の末社で無格社という位置づけだが、Wikipediaにも項目がちゃんとある。場所は千歳市の北東のはずれで恵庭市との境に近い田園地帯。周囲は農地で、神社のあたりだけこんもりと木が茂っている。最寄り駅は千歳線サッポロビール庭園駅だが、歩いて1時間くらいかかる。もちろんわざわざ出かけたわけではなく、境内にある二等三角点「長都村」を見学に行ったので自然にお参りしてきたというわけだ。

 木々に囲まれた境内に鳥居と本殿があるだけの無人の社で、扁額もなく賽銭箱すらない。およそありがたみのない簡素なつくりだが、立派な狛犬は鎮座していて1953年産だと帰ってから知った。ほぼ同年代なのだ。神社の由来は明治時代にさかのぼり、ご神体の弁財天とともに納められていた厨子は千歳市指定文化財として保管されているそうだ。釜加(かまか)というのはこのあたりの昔からの地名だが、どういう由来なのかはわからなかった。

 

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鳥居

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境内の狛犬

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本殿


位置図

2023年8月 3日 (木)

島松神社

 古くからある集落には必ず神社があるので、郊外の町などを訪ねると通りがかることも多い。というわけで、ついでの神社めぐりも5回目かな。今回は島松神社。島松駅へ降り立って、左手方向に進み、四等三角点「下島松」へ向かう道すがらに鎮座している。

 ここはちょっと変わっていて、千歳線の線路に並行に走る道路に面して西向きに入口の鳥居が立っており、そこをはいると正面は先の道路へつきぬけていて、途中の左手直角に曲がった位置に二の鳥居があり、その奥に三の鳥居、本殿というつくりになっている。一の鳥居横には古びた島松神社の石柱が建っていて、右面には千歳郡恵庭村字島松鎮座と刻まれている。境内には由緒書きはないが、神社庁のwebページによれば、明治34年(1901年)の落成だそうだ。GoogleMapには廣島神社兼務社と注釈がはいっている。廣島神社というのはお隣の北広島にある神社だろうが、そちらが管理しているということなのだろうか。

 簡素な本殿はシャッターが閉まっているて、賽銭入口がついている。扁額には嶋松神社となっている(鳥居の扁額は島松神社)。境内には立派な屋根付きの土俵があった。相撲大会でも行われるのかもしれない。

 

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西側の道路を向いた一の鳥居(2023.7.5、以下同じ)

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はいるとすぐに左に二の鳥居

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二の鳥居からの正面

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本殿

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参道横の土俵

 
位置図

2023年5月18日 (木)

茨戸天満宮

 茨戸天満宮にお参りした。今年の寺社巡り一回目、いやいやそんな企画はない。これまで過去ログに書いた神社訪問は、たまたま三角点歩きの途上に通りかかったときに形ばかりお参りしただけだ。今日は三角点歩きですらなく、足腰のトレーニングを兼ねて石狩図書館に予約しておいた本を借りに歩いていったとき通りかかったものだ。石狩図書館歩きは往復約15キロと手ごろなので年に1,2回やるけれど、この茨戸天満宮は順路にはない。今日はたまたま脇道にはいって遠回りしたので初めて前を通った。

 札幌で最も北に位置する神社だそうだ。茨戸は北区の北端だからさもあろう。茨戸神社といいならわされることもあるが、茨戸天満宮が正式名称とのこと。扁額にも賽銭箱にも天満宮と表記されている。無住の社で篠路神社の境内外末社という位置づけだ。天満宮であるからは菅原道真公をお祀りしているので、学業成就のご利益があるとか。うちから一番近い天満宮であるのにこの歳になって初めてお参りしたとは、遅きに失したとしかいえない。どうりで学業成就がならざるわけだ。

 

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正面

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社殿


位置図

2023年4月 7日 (金)

おびんずる様

 ありがたいおびんずる様が、こともあろうに善光寺の本堂から盗まれたというニュースには驚いた。盗んだやつもやつだが、朝の8時に本堂の正面から堂々と盗まれるって、誰も気づかなかったのか。通りがかった人とかいただろうに、あまりに大っぴらだったので不審に思わなかったのかも。一人で作業服着て毛布をかぶせて車に積んで、松本まで運んだところを見つかったそうだ。犯人はおびんずる様に恨みがあったとか、わけのわからないことを供述しているそうだし、組織的な背景などがあるわけではないようだが、どこかで積み替えてうまく立ち回れば見つからなかったかもしれない。

 おびんずる様を盗み出すなんてなんと不届きなやつだ、と書きたいところだが、実はぼくはおびんずる様がどんな方か、そのえらさがまったくわかっていなかった。ぼくの知っているおびんずる様というのは、だいたいどこの札所の片隅にもいて、赤く塗られて不気味な貌をした得体のしれないじいさん、というものだった。そんなだから四国遍路を周ったときに見かけても、手を合わせるどころか、できるだけ近づかないようにしていたものだ。聞けば、お釈迦様の一番弟子である賓頭盧尊者のことだというからたまげた。ならお大師様より偉いお方ではないか。無知とはおそろしいものだ。大変失礼をばいたしました。こんど四国を周るときはきちんとお参りします。お許しください。

 

2023年3月 1日 (水)

Shikoku Japan 88 Route Guide

 3月になった、お遍路の季節だ、というわけで英語版遍路ガイドブックの紹介。これがなかなかのすぐれものなのだ。つい最近2023年版(第8版)が出たのを入手した。この英語版の地図、へんろ道保存会保存協力会で扱っているのは以前から知っていたのだが、実は手に取ってみるのは初めてだ。歩き遍路必携の保存会の地図編(黄色いB5判の冊子)の話は前に書いたが、同じ保存会から売られているし、それの英訳版なのだろうと思っていたら、全然別物だったのでびっくり。たしかに他の方のブログ記事などで、英語版には日本語版に載っていないへんろ道が載っていたりする話はきいていたが、地図図版そのものからまるで違う。

 そもそも発行所が地図出版の老舗武揚堂で、著者にへんろ道保存協力会宮崎建樹となっているので、保存会の日本語版地図情報を使用して武揚堂が作ったガイドブックということなのだろう。地図会社の本なので、収載されている地図はすべて上が北で(当たり前だが)、縮尺もほぼ30000分の1か60000分の1に統一されている。日本語版がページごとに縮尺がまちまちで、歩く順路を優先させているので方位も地図ごとにめちゃくちゃなのと好対照だ。

 情報は日本語版を踏襲しているので不足はないし、地図は見やすいし、外国人向けにこれ一冊で四国88ヶ所遍路の情報が得られるように、四国遍路や各札所の解説や持ち物、作法などの説明もついているので、解説編と分冊になっている日本語版より充実しているともいえる。しかも安い。英語版なので当然地名などはローマ字表記で読みにくいが、要所には日本語注記も併記されているし、これなら日本人向けにも日本語版よりこちらで用が足りるのではという気にもなる。

 しかし、いい点ばかりではないのが世の常で、欠点もある。まず判型が小さい。日本語版がB5なのに対しこちらはB6判と半分だ。ハンディで持ち歩くにはいいのだが、1ページの表示範囲が小さいのはやはり痛い。ページが変わるとそこで道が途切れるのでつなぎ目では行ったり来たりして見にくい。そのうえ、ページ内の地図面に札所の説明とかバスの時間とかが囲み記事で挿入されているので、ただでさえ狭い地図が削られていて見にくくなっている。情報をコンパクトに詰め込んでいるせいで、肝心の地図が相対的に目立たなくなってしまうのだ。全体のページ数との兼ね合いもあるのだろうが、レイアウトには一考の余地があると思う。

 とはいうものの、一般の地図・地形図を読みなれている人には、肝心の地図の体裁は絶対こちらの方が見やすいとは思う。歩き遍路を計画されている方は、ぜひ一読をおすすめしたい。ついでながら、本書の追加情報等についてはぢぢいさんのブログも必読だ。

 

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