2025年8月25日 (月)

四等三角点「防風林」

 「はじまり」の地を訪問したその足で、600 mほど東にある「防風林」へ向かった。探訪日は同じく2025年7月30日。

 基線零号交差点(B地点)から零号を川沿いに次の東一線との交差点まで歩く(C地点)。ここの零号川には歩行者用の副橋つきの立派な橋が架かっていて、「東1線零号橋」という銘板がついている。右折すると防風林の切れ目の先に東一線が伸びている。三角点は2本目の電柱のあたりの左手藪の中だ。電柱を背にして藪をよくみると、オオハンゴンソウの群落の奥に三角点位置を占める黄色三角形の表示ポールが立っているのがなんとか見える。藪をかき分けて近づくと、その横に表示杭も立っていて、その間に標石が埋まっている。

 点の記によれば、ここは1956(昭和31)年の設置で、前回訪問した「六号」と同時期だ。そのまま移転履歴のないので、摩耗して丸みを帯びた標石には古さびた味わいがある。点名の「防風林(ぼうふうりん)」は、零号沿いに植林されている防風林の林内にあるためだ。同名の三角点が当別町と新篠津村の境にもある。

〇四等三角点「防風林」
 北緯 42°59′45″.8050
 東経 141°40′59″.8109
 標高 (m) 6.92

 

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基線零号から1ブロック東の交差点(C地点)

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橋の銘板(C地点)

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右折した南方向(C地点、矢印が三角点位置)

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電柱を背にして左側の藪(矢印に黄三角標識が見える)

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藪を分けて近づくと表示杭と標石がある

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年8月24日 (日)

「はじまり」の地を歩く

 「きづまりの地」に続いて今度は「はじまりの地」歩き。

 

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基線零号に架かる橋

 北海道の開拓農地の区画割、300間(約540 m)四方のブロックが縦横碁盤の目に整然と並んでいる。基本的には一方の中央を基線とし、そこから東西(あるいは南北)に一線、二線と区画路を引く。それと交差する方の中央は零号で、そこから南北(あるいは東西)に一号、二号と番号を振る。市街地の条丁目と同じ方式で、札幌なら基線に相当するのが大通(南北○条の中心)、零号に相当するのが創成川(東西○丁目の中心)で、北○条西×丁目という座標で位置を特定しているように、農地では西○線南×号というふうに位置が表される。

 このように座標軸の原点ともいうべき中心が基線零号なのだが、零号にあたる通りが基線となっていたり(当別町)、零号のかわりに一号で折り返して両側が北(南)二号になっていたり(砂川市)、実際の場ではそうそうきちんとしているところはかえって少ない。そのなかでこの基線零号がわかりやすいところに存在しているのが長沼町だ。札幌の原点、ゼロ条ゼロ丁目にあたるテレビ塔裏の大通・創成川上にはスノーリングというモニュメントがあるが、長沼の原点には何があるのだろう。これは行ってみるしかない。というわけで、長沼町の三角点探訪のついでに行ってみた。探訪日は2025年7月30日。

 

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 毎度おなじみの北広島駅発ながぬま温泉行きのバスを西2線通のバス停で下車する。いつもながらこういう中途半端な場所で降りる人は他にいない。それでもここは何もないところというわけではなく、すぐ横にパーキングスペースがあり、その片隅に立派な馬追運河の碑が建っている。ついでに見物してみたが、碑までは道がなく枯れた雑草が積み重なった上をバリバリ踏み分けて行かねばならない。この運河は明治29年完工という歴史あるもので、この碑は平成3年の大改修完成を記念して建てられたものだ。残念ながら運河の周囲は草ぼうぼうで、碑の近くから水面を望むことはできない。

 

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道道の西2線通バス停

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馬追運河之碑

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草ぼうぼうで運河は見えず

 バス停近くで道道は西二線および零号と交差しているが、交差点の複雑化を避けるためか、零号は道道に出る手前で屈曲して西二線とつながっている(A地点)。そこから先は、零号川に沿った歩きやすい道が東へと続いている。西一線の交差点を過ぎ、カモの親子が泳いでいる川(といっても水路だが)の横をのんびり歩いて行くと、正面に簡易信号機のある交差点があり、左には赤い橋が架かっている。ここが基線との交差点、すなわち基線零号の場所だ(B地点)。

 

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西二線に屈曲してつながる零号(A地点)

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零号川沿いの道(A地点の先、東方向)

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カモが泳ぐ

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基線零号交差点と基準橋(B地点)

 あいにく交差点から南側の基線が道路工事中で、付近には工事関係者の車が止まり、交差点には誘導員が配置されていた。あまりカメラをもってうろうろするのも気が引けたが、誘導員に一声かけて周囲の検分をする。零号川に架かる朱塗りの橋はその名も基準橋で、橋を渡った右岸の東側にその由来を書いた町教育委員会の説明板が立っていた。曰く「明治26年長沼村植民地の画割の中心で、農村構図の原点といわれている」。さすがにスノーリングのような派手な記念物はないし、黙って通り過ぎてしまえば気づかないで終わってしまうような場所だが、このお洒落な橋と説明板だけでも来たかいがあったというものだ。ここから零号川沿いにさらに1ブロック歩いたところには四等三角点「防風林」があるが、それはまた別の話。

 

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基準橋から北方向への基線

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橋から東方向への零号

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橋から西方向への零号

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橋を渡って振り返る南方向の基線(工事中)

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橋のたもとの説明板

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おまけ(札幌テレビ塔からみたスノーリング/2025.8.5)

 

2025年8月 4日 (月)

四等三角点「六号」

 どうにもならない「九区」はあきらめて、次に少し北上して「六号」へ。探訪日は同じく2025年7月14日。

 西二線をそのまま北上して北五号との交差点を過ぎ、次の北六号にぶつかる手前の細い作業路を左折する(C地点)。北五号から2/3ブロックの地点だ。開拓農地区画は300間(約540 m)間隔の碁盤の目だが、そこを2×3の6等分して各戸に割り当てられた。なので、ブロックの1辺の半分あるいは1/3ごとに区画路がはいっていることが多い。半分の区画路をどう呼ぶかは「二十八区」のところで出てきたが、1/3刻みはどうするかは知らない。それはともかく、作業路を半ブロック進んだところの右側が農地の境目になっている(D地点)、その畑の畦道の正面に立派な松の木が並んでいて、その根元が三角点位置だ。もともとここは北六号に面して農家があり、その敷地の裏側の角にあたっている。北六号側からだと農家の敷地を通らねばならないので、裏側の畑の方からお邪魔したという形になる。この位置関係は「至誠」のときと同じだ。行ってみると目印の松の木の根元に白い標石がポツンと顔を出していた。

 点の記によれば、ここは1956(昭和31)年の設置と古い。近在でいうと「木詰」「北三号」と同時期になる。その後、1976(昭和51)年に移転している。点名の「六号(ろくごう)」は、北六号に由来するのだろうから、元々は表通り側にあったのかもしれない。なぜ北を付していないのかはわからない。

〇四等三角点「六号」
 北緯 43°01′51″.6282
 東経 141°40′47″.6475
 標高 (m) 8.44

 

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「九区」から西二線を北上した左折点(C地点)

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左折した農道(C地点)

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半ブロック先の畑の切れ目(D地点)

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右側の畦道を松の木まで進む(D地点)

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松の根元に三角点(矢印)

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反対側から畦道側を見たところ

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

«四等三角点「九区」

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