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2025年7月

2025年7月26日 (土)

四等三角点「西五線」

 炎天下の農地歩きも「二十八区」まできて、あとは残すところ一つ。帰りのバスの時間もせまってきたので、足早に次の「西五線」に向かう。探訪日は同じく2025年7月1日。

 「二十八区」から半端な名前の南四号半を西へ1ブロック歩いて西五線との交差点に出る(G地点)。そこを右折して1.5ブロック北上した南三号との交差点が三角点位置だ(H地点)。到着時刻は13:06。そこからさらに5分ほど歩いて道道に出れば西五線通のバス停があって、帰りのバスは13:22だから、間に合いそうだ。だがしかし、当該交差点の手前左角にあるはずの三角点が見つからない。四角い用水枡の手前あたりだが、草がかぶってその下は石がゴロゴロしている。目印の杭はないし、少し移植ごてでほじくり返してはみたものの、短時間ではとてもらちがあかない。まいったねと周囲を見回すと、用水枡の反対側になんと見慣れた黄三角標識が破断して打ち捨てられているのが見つかった。これが立っていてくれれば探しようもあったのに。というところでタイムアップ。次のバスを乗り逃がすとその次は2時間後なので、それまでこんな日陰もない炎天下にはいられない。標石は見つからなかったけれど、位置表示の標示板を見つけたのでまあよしとしよう。

 点の記によれば、ここは「西二線」「二十八区」と同じく2010(平成22)年の設置。様式も同じ。同時期に同じような交差点角に設置されても、「二十八区」はきちんと標識が立って標石も露出しているし、「西二線」は標石こそ埋もれているが標識はちゃんと立っている。ここは一番条件が悪かった。点名の「西五線(にしごせん)」はもちろん通りの名。

〇四等三角点「西五線」
 北緯 42°59′46″.7435
 東経 141°38′12″.9750
 標高 (m) 6.08

 

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「二十八区」の横の南四号半(F地点、西方向)

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西五線との交差点(G地点)

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右折した北方向(G地点)

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南三号との交差点(H地点、矢印が三角点位置)

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用水枡側から見た三角点位置

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用水枡の反対側に黄三角標識

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壊れて打ち捨てられている標識

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2025年7月25日 (金)

四等三角点「二十八区」

 「西二線」の次は、南へ1.5ブロック、西へ2ブロックの地点の「二十八区」。探訪日は同じく2025年7月1日。

 相変わらずの碁盤の目歩き。「西二線」のある西二線/南三号の交差点(D地点)から西二線を南下する。1ブロック行ったところで南四号に相当する細道と交わるが、さらに半ブロック先へ行くと立派な舗装道路との交差点に出る(E地点)。この道路、位置的には南四号と南五号とのちょうど間に相当する。登山道なら四合五勺というところだが、何と呼ぶのだろうとあとで調べたら、南四号半となっていた。開拓農地はほぼ正方形の碁盤の目区画だが、こういうイレギュラーなところもあちこちにあるので、苦心の命名になったのだろう。交差点を右折して南四号半を西へ2ブロック進んだところが西四線との交差点で(F地点)、そこが三角点位置だ。交差点を渡った左の西四線沿いの街路灯のすぐ横に黄三角標識が立っていて、そこに上面舗装された標石が露出している。

 点の記によれば、ここは「西二線」と同じく2010(平成22)年の設置。点名の「二十八区(にじゅうはっく)」は地区名で、長沼町内は1~31の区に分れており、そのうち西二線と西五線にはさまれた道道3号より南、千歳川までの間が二十八区となっている。ちょうど三角点の真向いには第二十八区会館という地区会館がある。

〇四等三角点「二十八区」
 北緯 42°59′14″.0946
 東経 141°38′18″.4340
 標高 (m) 5.79

 

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「西二線」の横の西二線(D地点、南方向)

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南四号半との交差点(E地点)

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右折した西方向(E地点)

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西四線との交差点(F地点、矢印が三角点位置)

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渡った街路灯の根元に三角点

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全景

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標石

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真向いの第二十八区会館

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2025年7月24日 (木)

四等三角点「西二線」

 「優勢」の次は少し南に下がって「西二線」。探訪日は同じく2025年7月1日。

 西一線/南一号の「優勢」から西二線/南三号の「西二線」へ碁盤の目をたどる。札幌市民は〇条〇丁目に慣れているから、東西南北の方角さえ間違えなければ目をつぶっても行きつける。どう行ってもいいのだが、西一線を2ブロック南下してから南三号へ右折し(C地点)、西に1ブロック歩いて西二線との交差点に出た(D地点)。7月の日差しが照りつける中のまっ平な農地歩きで、えらく暑い。交差点を渡った先の左側にデリネーター(反射板)があり、その横におなじみの三角点の黄三角標識ポールと先の赤い表示杭が並んで立っている。根元は草むらで一見何も見えないが、少し草をかきわけると標石があらわれた。位置は赤い表示杭のすぐ道路側で黄三角ポールの横あたりになる。

 点の記によれば、ここは2010(平成22)年の設置と新しい。点名の「西二線(にしにせん)」は横の通りの名。必要があって設置したのだろうに、15年しか経っていないのにもう草むらに土をかぶって打ち捨てられている。なんだかな。

〇四等三角点「西二線」
 北緯 42°59′22″.9098
 東経 141°39′19″.1816
 標高 (m) 7.10

 

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「優勢」前の西一線(B地点、南方向)

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南三号との交差点(C地点)

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右折した西方向(C地点)

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西二線との交差点(D地点)

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渡ってすぐ左側に三角点(矢印)

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標示柱との位置関係

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2025年7月23日 (水)

四等三角点「優勢」

 「木詰」「零号」と変わった名前に惹かれて長沼町内にはいりこんだ三角点歩き、今回は町域を横断する道道札幌夕張線の南側の農地をめぐる。まずはこれまた変わった名前の「優勢」。探訪日は2025年7月1日。

 鉄道アクセスのない長沼に公共交通機関ではいるルートは、西側の北広島からと東側の岩見沢~由仁からの2つのバス路線があるが、東ルートはかなりの遠回りなので必然的に北広島駅からバスに乗ることになる。今回も北広島駅からながぬま温泉行きのバスに乗り、途中の西三線通のバス停で下車した。バス停から少し長沼方向へ歩き、西三線の次の南一号へ右折する(A地点)。ダートの道を2ブロック進むと西一線との交差点に出る(B地点)。右に曲がってすぐ右手の用水枡の先に表示杭が立っていて、その横にスレート?の太い円筒が地面に突き出ている。そこが三角点位置で、円筒の中に標石がある。

 点の記によれば、ここは1978(昭和53)年の設置で、2002(平成14)年に移設されている。標石が蓋つきのコンクリートの土管様の円柱で覆われている「長都村」のような例はあったが、蓋のない単なる薄い円筒をかぶせただけというのは初めて見た。点名の「優勢(ゆうせい)」というのはいわくありげな名前だが、新旧地図上からはそのような地名は見あたらない。近在の農家で形成される優勢営農集団というのが見つかったので、このあたりの地名ではあるらしい。どういう由来なのか興味がある。

〇四等三角点「優勢」
 北緯 42°59′47″.1207
 東経 141°40′04″.0401
 標高 (m) 6.89
 

 

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「西三線通」バス停

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道道から南一号への右折点(A地点)

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右折した東方向(A地点)

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西一線との交差点(B地点)

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右折してすぐ右側に三角点(矢印の円筒の中)

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全景

250723g
標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年7月18日 (金)

四等三角点「東町公園」

 「長沼」まで来て、帰りのバスまで少し時間があったので、駆け足で少し先の公園にある「東町公園」を見ていくことにする。探訪日は同じく2025年6月24日。

 「長沼」のある通りを。さらに南東へ進み、国道337号を越えた先のJA集荷場の角を左に入る(H地点)。この道はバス停のある道道へ抜けるきちんとした道路(H→I→J)だが、なぜか地図には公園までの間が抜けている。曲がるとすぐライラック公園の角に出る(I地点)。三角点は遊具のある一角の先の石垣で囲まれた芝生の縁にある。公園によくある鉄蓋マンホールの中なので、面白みには欠ける。ちょうど盛りのシロツメクサの花に半分埋もれていた。

 点の記によれば、ここは2004(平成16)年の設置で、マンホールの中は金属標の軽量標識とのこと。所在地はライラック公園なので、点名の「東町公園(ひがしまちこうえん)」は東町にある公園ということだろう。

〇四等三角点「東町公園」
 北緯 43°00′13″.9263
 東経 141°41′58″.0227
 標高 (m) 11.07

 

250718a
「長沼」前の南東通(東方向)

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集荷場の角(H地点)

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左折した北方向(H地点)

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右手にライラック公園(I地点)

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遊具の奥の石垣のすぐ上にマンホール(矢印)

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石垣の上

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マンホール蓋

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

2025年7月17日 (木)

三等三角点「長沼」

 「黄金」までくるともう長沼町市街地が近い。次は町中にある「長沼」へ。探訪日は同じく2025年6月24日。

 「黄金」から手前の交差点(E地点)までもどり、左折して北一号を南東に2ブロック進むと馬追運河に架かる赤い橋があり、それを渡ると道道の交差点に出る(F地点)。左折して道道を東進し、角にセブンイレブンのある信号交差点を右折する(G地点)。植込みがきれいに整備された南東通の左側歩道を500メートルほど進んだところが三角点位置で、植込みの間に上面舗装枠に囲まれた標石がある。

 ここは三等三角点なので、最初の設置は大正時代のはずであるが、点の記には1978(昭和53)年の設置、2000(平成12)年に移設となっていて、それ以上は遡れない。昔の地図(昭和10年)をみると現在のあかね二丁目あたりに三角点記号があるので、そこが元位置ではないかと思われる。点名の「長沼(ながぬま)」は町名であり、昔このあたりにあった沼に由来するらしい。

〇三等三角点「長沼」
 北緯 43°00′21″.7829
 東経 141°41′19″.3606
 標高 (m) 9.24

 

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「黄金」手前の交差点から北一号へ(E地点、東方向)

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馬追運河の橋に突当たる

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橋の先を左折した道道(F地点、東方向)

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南東通への信号交差点(G地点)

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右折した東方向(G地点)

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車道寄り植込みの間に標石が見える

250717g
車道側から見る

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

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新旧地図比較(左図は昭和10年修正、ひなたGISより)

2025年7月16日 (水)

四等三角点「黄金」

 「零号」の次は、2ブロック東、1ブロック北の位置にある「黄金」へ。探訪日は同じく2025年6月24日。

 「零号」から農地横の作業路を西四線との交点(B地点)までもどる。そこから西四線を北上して次の北一号との交差点を右折する(D地点)。1ブロック東進して西三線を左折する(E地点)。ちょっと行った右手道路下の水路脇に、三角点の標石が立っているのがすぐ見える。ここはとてもわかりやすい。

 点の記によれば、ここは1956(昭和31)年の設置で、1983(昭和58)年に現位置に移設されている。点名の「黄金(こがね)」というのはこのあたりの地名らしく、道道3号を通るバス路線にも同名のバス停がある。縁起のよさげなせいかあちこちにある名前ではある。

〇四等三角点「黄金」
 北緯 43°00′38″.7636
 東経 141°39′44″.2529
 標高 (m) 6.41

 

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西四線と零号の交差点(B地点、北方向)

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北一号との交差点(D地点)

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右折した東方向(D地点)

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西三線との交差点(E地点)

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左折した北方向(E地点)

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右手道路下に標石が見える

250716g
全景

250716h
標石

250715z_20250716171901
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年7月15日 (火)

四等三角点「零号」

 前回訪れた「木詰」の近くにもうひとつ気になる三角点がある。それが「零号」。開拓地の区画路である南○線やら西○号やらの名をとった三角点はたくさんあるが、零号とは何ぞや。そこで今回はそこからスタートすることにした。探訪日は2025年6月24日。

 「零号」は、長沼町の農地区画でいうと西五線と零号の交点(C地点)にある。北広島と長沼を結ぶJRバス路線は道道3号を通り、1線区画ごとにバス停がある。つまり順路からいうと西五線通のバス停で降りて西五線を2ブロックほど北上すればよいのだが、三角点は交差点の北東角にあり、道路からは西五線、零号いずれからも水路をはさんでいて、交差点には橋がないので渡れない。水路を渡るには農地に入る橋まで大きく迂回せねばならない。ということならば一町東にある西四線の交差点(B地点)で水路を渡って畦道を西へ一町たどったほうが早い。ということで、ひとつ先の黄金バス停でバスを降り(A地点)、馬追運河を渡って西四線を北上して零号との交差点に出た(B地点)。左折すると零号の道路に沿う水路(零号川)の右手の農地には作業路が並行して伸びているのでそこを歩くことができる。交差点に突当たったところの角が三角点位置だ(C地点)。しかしそのあたりは除草剤を撒いたものか一面の枯草原で、目印になる杭のようなものもいっさいなく、さがしようがない。残念ながらあきらめた。

 点の記によれば、ここは1980(昭和55)年の設置。点名の「零号(れいごう)」は、面している道路名による。農地区画路の南○線、北○線の場合、中心になる線は基線と呼び、そこから南北に南〇線、北○線と番号を振っていく。一方、西〇号、東〇号の場合は、それが零号となるわけだ。たしかに理にはかなっているが、近在では見たことがなかったので奇異に感じる。

〇四等三角点「零号」
 成果なし

 

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道道3号の黄金バス停(A地点)

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馬追運河を渡って西四線へ(A地点)

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馬追運河(上流方)

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零号との交差点(B地点)

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左折して水路右の畦道をたどる(B地点)

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三角点のある交差点(C地点、矢印が三角点位置)

250715g
一面の枯草原で痕跡はない

250715z
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年7月 8日 (火)

四等三角点「木詰」

 旧夕張川沿いの三角点探訪の掉尾がこの「木詰(きづまり)」。その顛末は前エントリ「きづまりな地を歩く」に書いてしまったので、詳細はそちらを見ていただくとして、ここではアクセスとデータのみを書いておく。探訪日は2025年6月18日。

 「木詰」へは、ぼくは北側の北広島南幌線からはいって南側の北広島長沼線へ抜けたが、南側から入ったほうが近い。北広島駅からながぬま温泉行きJRバスに乗って西長沼で下車(G地点)。すぐ先の交差点を左折して馬追運河を渡って西六線にはいる。ずっと北上して突き当たった道が旧夕張川の旧流路で、手前の水路橋が木詰橋(本流にかかる同名の橋とは別)だ(F地点)。右折して道なりに少しいった先の農道を左に入る(E地点)。直進してちょっとずれた交差点に出たところを左折する(D地点)。曲がってすぐ右手の道路際、舗装の端に接して三角点の上面舗装があり、中に標石がある。バス停から3キロ弱だ。

 点の記によれば、ここは1956(昭和31)年の設置で1993(平成5)年に移転ということで、前回見つけられなかった「北三号」と同じ履歴をたどっている。場所も近く、様式も同じだ。点名の「木詰(きづまり)」については、「きづまりな地を歩く」のエントリに書いた通り。

〇四等三角点「木詰」
 北緯 43°01′07″.6212
 東経 141°38′18″.1487
 標高 (m) 7.65

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道道3号の西長沼バス停(G地点)

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左折して馬追運河を渡って西六線へ(G地点)

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旧夕張川旧流路に突当たる(F地点)

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右折した旧流路沿い道路(F地点)

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三角点への農道交差点(E地点)

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左折した北方向(E地点)

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三角点のある交差点(D地点)

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左折してすぐ右手の道路際に標石

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全景

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標石

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位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

2025年7月 7日 (月)

「きづまり」な地を歩く

 三角点ばかり訪ね歩いてどこがおもしろいのか、と大方の人は思っているに違いない。ほっといてくれということなのだが、今回はちょっと趣向を変えて三角点は二の次ということにして、いわくありげな土地歩きに出かけてきた。

 

250707a
きづまりはし?

 

 まずは前置き。旧夕張川沿いの三角点探訪は、前回「沼の里」まで歩いて次は対岸の長沼町側にある「木詰」ということになる。この「木詰」、地図をみると長沼町の木詰地区にある。「きづめ」と読むんだなと当然のように思っていたが、点の記にあるふりがなをみて驚いた。「きづまり」と読むのだった。ずいぶん変わった地名で、きっと何かの由来があるに違いないと調べてみた。

 旧夕張川は明治時代の開拓当時には大変な暴れ川で、しょっちゅう氾濫していた。もともとこのあたりの石狩低地帯は標高が低く、そこを曲流する石狩川を筆頭に支流の千歳川や夕張川が合流する江別や広島あたりは洪水の常襲地帯だったのだ。そのせいで夕張川は早くから直線的な新流路の掘削が進められ、もともとの流路は旧夕張川として残った。

 その旧夕張川の木詰地区は、上流から大量に流れてくる流木が屈曲部に詰まって、たびたび洪水を引き起こしたことから、木詰(きづまり)という地名がついた。この「木詰まり」を少しでも緩和しようとこの部分の屈曲をショートカットする流路改変が行われたほどだ。

 もともと木詰地区は川の右岸(北側)の幌向村(現南幌町)だったのが、1909(明治42)年頃の流路切替えによって左岸(南の長沼村(現長沼町)側)に変わった。その後、行政区域が川で分離されているのは不便だということで、1920(大正9)年に幌向村から長沼村に編入されて現在に至っている。地図を見ると木詰地区の開拓地の碁盤の目区画は対岸の南幌町側と一致しており、周囲の長沼町側の区画とは傾きがずれているのが一目瞭然だ。その区割りの境界が旧夕張川の旧流路すなわち元々の村界ということになる。

 なるほどそういう経緯だったのか、おもしろい。三角点もあることだしこれは現地に行ってみたいものだ。気づまりなところへ行く気はしないが、木づまりな地にはぜひ行ってみたい。というわけで行ってみたというのが長い前置き。

 

250707zz
位置図(国土地理院地図(電子国土web)に一部記入)

 

 木詰地区に行くには、北広島駅と長沼温泉を結ぶバスを西長沼で降りて歩けば30分ほどの距離だ。しかしGoogle Mapには、旧夕張川の南幌側の沼の里排水機場のところに木詰の地跡というランドマークがある。どうもそこに地名由来の説明板があるらしい(ここに写真があるがよく読めない)。ということでそっちへまず行くことにして、南幌町側からはいって長沼町側へ抜けるルートをとることにした。

 前回の「沼の里」から10日ほど後の2025年6月18日、北広島駅と南幌を結ぶバスを西十五号のバス停で降りる。添付地図では切れているが、バス停は上方の南十五線と西十五号の交点にある。そこから西十五号をまっすぐ南下して川に突当たったところが沼の里排水機場だ(A地点)。木詰の地跡はその右手なのだが、一面に草が生い茂ってモニュメントらしきものはまったくない。残念ながら説明板は亡失してしまったようだ。排水機場の一角に祠が祀られているが、木詰と関係あるものなのかわからない。しかたないので自然堤防にのぼってみるが、川筋は鬱蒼とした茂みで流れはほとんど見えない。上流側では築堤盛土工事がさかんに行われており、いずれこのあたりも工事されるのだろう。工事が終わったあかつきにはまた説明板を立て直してほしいものだ。

 

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道道の西十五号バス停

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西十五号を南方向

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沼の里排水機場に突当たる(A地点)

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排水機場の右手には何も痕跡がない(A地点)

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堤防への道(A地点)

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堤防上の上流方向(築堤盛土工事中)

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堤防上の下流方向

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堤防から旧夕張川(赤矢印に水面、青矢印は木詰橋)

 

 幸い工事車両の出入りの関係で堤防上が整地されていて歩けるので、そのまま下流側の木詰橋まで歩く。流路に沿ってカーブした堤防を歩くこと600 mほどで立派な木詰橋に出た。この橋はわりと新しく2014年の架橋だ。「木詰橋」・「きづまりばし」という立派な銘板がついている。説明書きは特になかったが、きづまり表記を目にすることができて、まあ来たかいがあったというものだ。これで旧夕張川の橋は小林橋、堺橋についで3つ目だが、いずれもいい名前だと思う。

 

250707j
本流の木詰橋(B地点)

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銘板1

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銘板2

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旧夕張川下流方向

250707n
木詰橋を渡った南方向

 

 木詰橋は南幌町側の西十六号に架かっている橋で、渡ると対岸は長沼町木詰地区だが、前置きに書いたようにここはもともと南幌町(旧幌向村)だったところで、西十六号の延長がさらにまっすぐ2ブロック伸びている。その中間点の南二十線相当の道路との交差点を左折する(C地点)。1ブロック歩いたさきに「木詰」三角点がある。そっちの話はまた別に書くこととして、三角点のある交差点(D地点)を右に折れてちょうど西十五号の延長にあたる道を南下すると屈曲する道路にぶつかる(E地点)。このカーブの多い道が旧夕張川流路跡で、明治末期の付け替え前はこちらを川が流れていたのだ。

 

250707o
木詰地区中心交差点(C地点)

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左折した三角点方向(C地点)

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三角点のある交差点(矢印、D地点)

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右折した南方向(D地点)

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旧流路沿いの道路に突当たる(E地点)

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カーブする旧流路(E地点、北東方向)

250707u
カーブする旧流路(E地点、南西方向)

 

 右折して少し行った先の交差点を左折したところに水路橋があり、こちらも木詰橋と名がついている(F地点)。ただ、ガードレールにつけられた簡素な銘板の表記は、なぜか「きつまりばし」と濁らない。この旧流路の南側は昔からの長沼町域で、流路跡を境に農地区画がずれているというのも前置きに書いたとおりだ。あとは長沼町区画の西六線をまっすぐ南下して、道道にぶつかったところが西長沼集落で、北広島と長沼を結ぶJRバスの西長沼バス停があり、そこからバスで帰途についた。

 

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水路に架かる木詰橋(西六線との交差点、F地点)

250707w
銘板1

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銘板2

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橋の先の南方向

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道道の西長沼バス停

 

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